女の子に転生しました
1/わたしの名前はアスカと言います。
生まれた時から違和感はあった。
村の人たちや自分が着ている服。周囲の建物、教会や宿、酒場と言った施設に対して妙に『古臭く』感じ、村を覆う柵の向こうにいるモンスターや大人たちが使う剣技や魔法が『作り物』のように感じた。
しかしそれと同時に、それらはこの世界で疑問に思うほどのものなのだろうか? という考えもあり、自分の矛盾したこの思いを長い時間抱き続けていた。
初めから存在していた物を異物と認識するには、時が経ち過ぎていたのである。しかしきっかけというのは些細なもので、少女――アスカが己を自覚したのは村の子どもと遊んでいた時の事。
その時は、将来何になりたいかと村の子どもたちと一緒に楽しく談笑していた。
ある者は冒険者に。ある者は騎士に。ある者は勇者になりたいと憧れをそのまま夢にして、皆の前で宣言していた。
「アスカちゃんは何になりたいの?」
「わたし? わたしは……今の所思いつかないから、おじいさんたちのパン屋を継ごうかな?」
「え~! アスカ、大人になってもパパたちのお手伝いする気かよ!」
「違うよ。おじいさんたちが居なくなった後も、この村でパンを売り続けていく。それだけだよ」
「ふ~ん……よく分かんないけど、アスカちゃんって大人みたいだね!」
大人みたい。
その言葉が何故か心の奥で引っ掛かり、アスカの中の違和感は大きくなった。
アスカは大人しくて賢い子だと村では評判だった。進んで大人の手伝いをし、他の子どもたちのようにイタズラをせず、してはいけないことの意味を理解し実行しない。
老夫婦に育てられたからだろうと村の大人たちは考えていたが、それは違うのだと他でもないアスカ自身が実感し、しかし幼い体は理解できずに不安となって心を乱す。
その夜、アスカは老夫婦に尋ねた。何故自分は皆と違うのか、と。
しかし、返って来たのはアスカが求めたものではなかった。
「どうしたんだい、突然」
「……おそらく髪の色かねぇ。この年頃の子は素直だから」
「そうか。それで揶揄われたのか」
どうやら老夫婦は、アスカが自分の容姿がこの村で浮いていることを気にしていると勘違いしたようだ。
村の人々とアスカの違い。真っ先に挙げられるのは髪の色だろう。村の人たちが黄色や赤、青と言ったカラフルかつ個性的に対して、アスカは余分なものを全て排除したかのように白く、輝いていた。老化によって変色した白髪ではなく、生まれ持っての白銀の頭髪。アスカ以外に該当する者は、この村には居ない。
ゆえに、仲間外れにされて揶揄われたとおじいさんとおばあさんは心配し、しかしアスカに優しく語り始めた。
「良いかいアスカ? アスカと皆が違うのは、多分流れている血が違うからだよ」
「血?」
「そう。ワシや村の者たちは『マルス人』。使える魔法で髪の色や瞳に違いが現れるんじゃよ。ワシみたいにババアになったら白くなるけどなぁ。
そしてアスカ。お前は『エルス人』じゃ」
「エルス、人」
「うむ。隣の国のミリアドネード帝国に多く存在し、そして天使様の末裔と言われている。
エルス人はマルス人や『アルス人』とは違った魔法を使える珍しい種族で、滅多に外国には行かないそうじゃ。お主には多分その国人たちの血が流れているんじゃろうて」
「……」
「じゃがなぁ。それはどうでも良いんじゃ。見た目が違っても、血が違っても、お前はエルロン村のアスカじゃ。それ以上でもそれ以下でもない。……それじゃあ不満か?」
「……ううん。ありがとうおばあちゃん」
聞きたかったことは聞けなかったが、おばあさんの愛情に触れて先ほどまで悩んでいたことが馬鹿らしくなったアスカ。
アスカに礼を言われたおばあさんは「良かった」と呟くと、彼の白銀の頭を力強くしかし傷つけないように優しく撫でつけた。その光景を柔らかな表情で見るおじいさん。
この人たちの子どもである限り、自分がどのような存在でも問題ない。そのことを理解したアスカの表情は晴れやかなものだった。
しかしふと先ほどの話で聞き慣れない単語があったのを思い出し、おばあさんに尋ねた。
「ねぇ、おばあちゃん。アルス人って何?」
「うん? アルス人は黒髪が特徴の種族でな。何でも異世界から来た勇者様の末裔なんじゃよ」
「異世界?」
「そう。精霊様たちが居る世界とは別の……確か、名前は――」
「チキュウですよ、おばあさん」
「そうじゃ! そうじゃ! チキュウじゃ! アルス人は腕っぷしが強くてのぅ。昔あったアルス人はアイアンゴーレムを一人で倒しておったわ」
――チキュウ……地球。
おじいさんとおばあさんから放たれたその言葉は、まるで最後のピースのようにアスカの中にカチリとはめ込まれて、
「ん? アスカ……アスカ!?」
頭痛と共に、アスカは……飛鳥は全てを思い出した。
自分が地球に居たこと。
そして、何故この世界に生まれ変わったのかを。
必死に呼び掛けてくるおじいさんとおばあさんの声を聞きながら、彼女は意識を手放した。
2/俺の名前は飛鳥だった。
五歳と言う幼い体には、一人分の人生は多過ぎた。
老夫婦からの話で様々なことを思い出したアスカは、その代償に三日三晩生死の境を彷徨い続けた。
頭痛、吐き気、眩暈、発熱……。体の抵抗力が異世界の異物を排除しようと過分に働いた結果だ。急に倒れたアスカの事は村中の人々に知れ渡り、たくさんの人たちがお見舞いに来た。また、ご年配で体力のない老夫婦に代わって看病する者もおり、アスカがどれだけ愛されているのか、老夫婦がどれだけ慕われているのか窺えた。
そんな人々の愛が届いたのか、アスカは目を覚ました。それも、今までの不調が嘘のようにケロリとしていた。
老夫婦も村の人たちも彼の無事に喜びの涙を流した。流行り病で子どもが死ぬのは珍しくなく、だからこそ生還したアスカに対する声は多かった。
そんな彼らを見ながらアスカは申し訳なさと嬉しさを感じていた。
「アスカちゃん、大丈夫?」
「うん、大丈夫。心配かけてごめんね皆?」
「べ、別に心配してねーよ! オレは皆が心配してたからそれだけで……」
流行り病ではないことが分かり、アスカと会うことが許された子どもたちも彼の無事を祝った。アスカと仲の良いワンピースを着た女の子も、いつも女の子に……特にアスカにイタズラをしていた擦り傷だらけの男の子も、その他たくさんの子どもたちが祝福の声を届けた。
「そういや。ロイドの奴が隣町まで医者を呼びに行ってたな」
「丁度今日帰ってくるね。あのバカ、馬使えば良いのに走っていくから……」
上半身裸で大斧を持った戦士の男が豪快に笑い、エプロンを付けた女性がため息交じりに呟く。
「アスカ、病み上がりなんじゃからもう少し寝ておきなさい」
「そうだねぇ。まだ熱があるのかもしれない。申し訳ないけど皆今日はお開きにしてくれないかねぇ」
老夫婦の言葉に村の人々は素直に従いそれぞれの家に戻っていく。
久しぶりに会ったアスカと離れたくない子どもたちは、親たちに連れられて帰っていき、それをアスカはベッドの上から見送った。
「アスカも。ご飯を食べたら寝ときなさい。調子は良くなったけどまだ無理したらいけないよ?」
「うん。分かったよおじいさん」
じゃあご飯を作ってくるね?
そう言っておじいさんはアスカのご飯を作りに行き、おばあさんは暇だからと薪割りに外へ行った。
一人になったアスカはベッドに体を投げ出すと、木目模様の天井を見ながら己の中で起きた変化に向き合っていた。
生まれた時から感じていた違和感。それは前世を思い出した分だけ大きく、そして明確になった。
自分は、別世界の人間だ。
3/俺はアスカになった。
前世の記憶を取り戻したアスカ。当然変化が現れない筈もなく、心境の整理をするのに数日かかった。
記憶を取り戻す前の自分とのすり合わせは思いのほか難しく、老夫婦や村の人たちに心配されてしまった。だが苦労した甲斐はあり、アスカは自分が置かれている状況を正しく認識することができた。
前世の記憶があると言う事は、前の人生があったということ。
ではその人生はどうしたのか? 放り捨てて来た? 違う。終わったのだ。
生前の彼女……彼の名前は星月飛鳥。名前負けしていると悩んでいたが、今世では良い付き合いができそうな馴染み親しい名前。
ハンドルミスをした車が一直線に突っ込んで来て、そのまま電信柱とサンドイッチになって即死。幸いにも痛みを感じることなく、しばらく肉を食べたくない程度の前世最後の思い出。
本来ならこうして思い返すことはない筈だ。しかしどういう因果か、こうして前世を振り返っている。死んだ後に何かあったのだろう。誰かと会っていた気がしてならない。それが誰で、どのような話をし、この世界に来たのか分からないが……。
ともかく、こうしてアスカは大人しくて賢い子どもから大人の価値観を持つ子どもになった。
それに伴い、今世と前世の大きな違いを理解する。
この世界には魔法がある。
精霊の力を借りて人は魔法を使ってモンスターと戦ったり、日常に使ったりしている。この前も冒険者の人が魔法を使って、家を焦がして怒られる。それくらい、この世界では魔法が普通だった。
そして最大の違いは己の性別。前世では男だったのだが、今世ではどういうことか女になっている。
思い出した当初は「前世のわたしは男だったんだー」と思っていたが、徐々に「ここでは俺、女なんだ」と意識が変わってちょっとへこんだ。今はまだ子どもだけど、将来はどうなるんだろう。ほら、好きになる人とか結婚する人とか……。
しかしそれもようやく落ち着き、記憶を取り戻す前と変わらない平穏な生活を送っている。
前世を取り戻したアスカだったが、変わったのは自分だけで周りは変わらなかった。
老夫婦は優しく、村の人たちも親切で、友達もたくさん居る。
何故自分がこの世界に生まれ落ちたのかは知らない。ただ自分が出来る範囲で、今度は最期まで真っ当に生きて行こうと決めた。
以前話していたように老夫婦が経営しているパン屋を継ぐのか、友達が言っていたに冒険者になって世界を見て回るのか。
未来はまだ分からないが、後悔しないように選んでいきたい。
そう思って彼女は――、
「お迎えに参りました。ルナお嬢様」
――五年後の十歳の誕生日に、運命によって未来を打ち壊された。