EP1.神の遊戯と開門
ここから物語に入っていきます。
「神様? 神様ぁ?」
純白の両翼を垂らし、紅長髪を揺らせる女天が辺りに視線を行き渡らせる。だが、その動きは急いでいるようには見えない。おっとりとし、のんびりとした歩みだ。
「あら? どうしたのです、セラフィ?」
名をセラフィと呼ばれ、紅い髪が声の方とは逆に揺れた。
「ケルム、神様をご覧になられませんでしたの?」
「神様? いいえ。私は見ていませんが。……もしかして、また脱走されたのですか?」
瞳に不相応な小さな眼鏡を鼻にかける黒髪を束ねた女天。両手と胸の中には幾冊かの書物があった。
「そうかもしれませんの。全く、あのお方は目を離すとすぐにこれですから困りますの」
頬に手を当て首を傾げるセラフィ。あまり困っているようではない。
「ドミニオンに頼んで捜索させましょう。セラフィ、あなたにはシェハキムをお願いしても宜しいですか? 私はこれの処理に追われていますので」
ケルムが書物を少し掲げる。セラフィがそれは何? とまた首を傾げ、翼も垂れる。
「地上界よりの輪廻の転生対象の記憶叢書です。送られてくる数は膨大ですから」
「分かりましたの。それでは発見次第、神座へ赴くよう伝えて欲しいのですの」
「承りました。それでは私も急がせて頂きます」
セラフィに対し一礼すると、ケルムは脇を通り過ぎて行った。
「ほんとうに困ったお方ですの。オファム。オファムはいるですの?」
セラフィがアポロスからアラボトへのミルキーウェイに出る前に神殿内に呼ぶ。アポロスは神の暮らす地。上級一位天使から中級三位天使までしか立ち入りは許可されておらず、下級天使にとっては神の姿を崇めることすら厳しく、また偉大であった。
「……でかい声で呼ぶな。聞こえている」
アポロスの神殿の壁に寄りかかる男天使が居た。鋭い目つきに背には身の丈を悠に越っする太剣を負う。
「オファム。貴方にお願いがありますの」
「断る。俺に命令して良いのは神だけだ」
内容を聞くことなくオファムは壁から背を離し、歩き出す。セラフィは追いかけない。
「神様がいなくなりましたの。と言うよりも逃げ出しましたの」
オファムの足が止まる。首が少し振り返る。
「……何だと?」
「ケルムたちにはアラボトの捜索をお願いしていますの。セラフィもこれからシェハキムへ行きますの。なのでアポロスのよろしくお願いしますの」
用件を伝えるとセラフィは翼を広げる。身体の数倍の翼は何一つの穢れのない白。その一枚一枚の羽が光に輝いていた。
「待て。俺が行く。そしてお前は自身の呼称を私と変えろ。己が呼称を自身の名で呼ぶ天使は貴様だけだ」
言うが早いか、オファムが同様の翼を広げ地を蹴り、空を煽いだ。セラフィの紅髪が揺れる。
「行ってもらえるのは楽なものですの。セラフィにはすることがありますの。それよりも、セラフィはセラフィとしか呼べないですの。文句はあのお方へ言って欲しいのですの」
既に姿を消したオファムに、セラフィの文句など届きはしなかった。
時を同じくしてシェハキム。穏やかにして安寧なる神の地。
「んふぁぁぁ〜〜〜」
生命の木の下で、一人の男が横たわる。頭部には女天使の膝枕。片側には女天使の扇風。その逆には女天使の弦楽器の音色。
「大きなあくびですね、神様」
柔らかい天使たちの優雅な笑み。静かで穢れのない薫り高いひと時。
「んぁぁ? 最近はよぉ、何かと騒がしいじゃん? 忙しいったりゃありゃしねぇんだよ。セラフィとかケルムの奴もうるせぇしよぉ」
あらあら、と笑みが男を包む。
「ダメではありませんか、神様。それがお仕事なのですよ?」
シェハキムに居る女天使たち。その全てがアポロスに使える天使中級一位ドミニオンズ所属の中級天使。
「んなこたぁ分かってるっつーの。でもよ、地上界にだって仕事の休み日っつーんがあんだろ? 四六時中働きっぱなしなんざやってらんねぇっての」
天使たちに包まれ、男は全身の力を抜き、女天使に身を委ね続ける。まさに神の安息の地となっている。
「もぉ、今日だけですよ? セラフィ様に見つかっては大変ですから」
「あー、やっぱお前らは天使だよなぁ。くぅ〜、どうしてアポロスの奴らはこう、優しくねぇのかねぇ」
男が天使の太ももに頬を寄せる。天使たちはにこやかに笑うだけで、拒否することが無い。それはこの男がこの世界を生み出す親でもあるからだ。
「神様、喉は渇いておりませんか?」
そっと差し出されるは、生命の木に成る実を絞ったジュース。光を纏い輝いていた。
「おぉ、気が利くな。どれ、今日の味は……ん……ん……かぁっ! うっめぇっ! さすがは生命の木。やっぱいい味してるなぁ」
穏やか過ぎる時が、シェハキムには流れ続ける。反対側は地獄であろうと、関係なしに。
「んっ!?」
不意に男が女天使を抱えて飛び上がる。女天使たちの小さな悲鳴の下、何かが入れ違いに通り過ぎ、地に落ちた。
「ふんっ。相変わらず勘は良いな、神よ」
「オ、オファム。お前な……俺を殺す気か?」
大地に突き刺さるは大剣。突き刺さる瞬間の風が野を波打った。
「ふん。この程度で死ぬような男を神に持った覚えは無い」
オファムが剣を抜き、背に背負う。重量があるにも拘らず、片手で扱う力は絶大。だが、神と呼ばれる男はそれを容易に避ける。女天使を三人抱きかかえながら。
「俺も神を殺そうと仕掛けてくるアポロスの天使を持った覚えは無いけどなっ」
男が降り立つ。
「ドミニオンズよ。お前たちもお前たちだ。この男の仕事への放棄ぶりは存じているだろう。甘やかせるな。この男は付け上がるだけだぞ」
三人の女天使が階級が数段上のオファムに叱責されて、俯く。
「おいおい、俺が呼んだんだっつーの。こいつらを責めんな。お前の管轄じゃねぇだろうが」
「貴様が仕事すれば良いだけの話だ」
女天使にフォローを入れた瞬間に、自身を責められる。
「俺が仕事を命じてるのは、お前らだ」
「して、自身は娯楽に身を置くか。飴と鞭。使い分けも出来ぬ堕落者が恥を知れ」
「だぁかぁらぁ、それをフォローする為に、天使がいるんだろうがよ」
神がドミニオンズの女天使たちを強く抱き寄せる。女天使たちは、誰一人として嫌がる顔をしない。むしろ、それを喜びのように笑顔だ。
「俺は貴様の啓示を地上界、並びに天界へ仕る任がある。しかし、同時にして、貴様の右腕でもある。主が恥を掻き消すは、俺が任」
「おぉ、分かってんじゃんかよ」
神の言葉に、オファムが剣の切先を神の鼻先に突きつける。
「無論だ。邪心は天界に不要。ならばこのオファム。正すのみ」
「俺かよっ。俺は神だぞ。ルシファーに言えよっ、そういうことはよっ」
言葉は大げさな反応を見せるが、行動は実に落ち着いている。女天使を後ろに移動させ、切先を掴む。オファムの表情に違和感が生まれていた。
「奴は魔界が主。俺の使命に関係はない。しかし、天を治めし我らが神ならば、アポロス直属が戦神オファム。貴様の精魂、叩きなおしてくれる」
「やれやれ、出来るものならやってみろ。その気もないくせに言う台詞じゃないぜ?」
髪と呼ばれる男と、太剣を突きつけるオファムに、天使たちが不安な視線を神に向ける。
「悪ぃな、なるべく離れてな。怪我するぜ? いや、俺の勇姿に火傷するぜ?」
こんな時でも神は笑っていた。天使たちは、いやぁん、と色っぽい声と黄色の声を残し、男たちから離れていく。
「さて、と。やんのか? この俺と?」
天使たちの姿が小さくなると、神がオファムを挑発するように髪を流しつつ問いかける。その表情は楽しげであり、絶対的な自信がある。
「無論。一人遊び呆ける神など、天界には不要」
言い終えると同時にオファムが剣を古い、翼を広げて男へと襲い掛かる。薙ぐように振るわれる剣を男は後退してかわす。オファムの振るった剣先から、波紋のように強力な風が吹き荒れ、男が着地しても男の足は風に押された。
「本気かよ、お前」
神の髪と装束がたなびく。一面の草原の草も風の向きに傾いている。遊びの攻撃ではなかった。
「余裕も切迫にしてくれる」
剣を振るい、体の重心が移動したオファムが、今度はそのままの重心を利用して、反動的に攻撃するように逆方向に今度は剣を振るう。男は地を蹴り飛び上がる。風がどこまでも広がる草原を駆け抜け、男の表情に関心が見て取れる。
「飛んだ所で不変なり」
オファムが男と同じように地を蹴り飛び上がり、下から剣を突き上げる。
「うおっ」
その速度は尋常ではなく、男も切先ギリギリで宙で身を反転させて回避する。しかし、それを見越していたようにオファムの刃が反転して体勢が元に戻った男へと振るわれる。
「なわっ、つっ、おっ」
連続して襲い掛かる刃に、男は器用にそれをギリギリで回避する。オファムの切先から生まれる風が地上を強く靡かせる。
「……ちっ」
それでも攻撃が当たらないことに、オファムが舌打ち混じりに男を追う。
「オファムっ、おまっ、ちょっ!」
男が何か言いたげだが、それを遮るようにオファムの剣戟が飛んでくるため、言葉が続かず、男は避け続ける。
「避けてばかりいるな。俺を侮っているのか、神よ」
そしてオファムは一向に攻撃を仕掛けてこない男に煮え切らないものがあるようで、攻撃を促すように攻撃を繰り広げる。
「おいおい、良いのか?」
そして、男は少しずつ余裕を取り戻してきたのか、前後左右上下の見境なしに剣を振るい、攻撃の術を与えんとするオファムの攻撃を宙で器用に体を捻らせ避けつつ、笑っている。
「一撃の攻撃もなく神を倒した所で、誇るべきものはない」
「おわっ、くっ!」
振るっていた剣を肘を引いて納めたと思わせた瞬間に、剣を男へ突き出す。回避に体を捻っていた男が、それに気づいた瞬間、その切先は男の腹部を捕らえ、回避の猶予を与えなかった。
疲労を知らない剣戟に、男の表情に苦渋が浮かんだ。回避する暇はない。受け止めるにもオファムのように男は武器の類を一切有していない。生身の体を貫く太い切先が空間すら突破するような素早さで男へと突き抜けた。
「ふんっ」
オファムが手ごたえを感じたのか、眼前にいる息を呑んでいるように表情を固めている男の瞳に鼻で笑う。男は疎オファムの切先をかわしきれなかった。
「油断は死をもたらす。故に貴様には隙が多かったことが敗因なり」
「うっ……な、あ……」
それでもオファムは剣を収めることなく、さらに突き出そうと前へ腕を押し出す。男の顔から戦意が喪失していく。声にならない継ぎ接ぎの言葉だけが、無情にも男の口から零れた。
「神の終焉とは、いかなものだ? 神よ?」
オファムが勝利に問いかける。その間も剣を引くことはない。
「そう、だな。どうせ、殺されるなら、女が良かったかもな」
オファムの問いに、神といわれる男は振り絞った声で、ゆっくりと答える。そして、その最後まで下らない答えに、オファムは無情にも思えるように、乱雑に剣を抜いた。刃に支えられていた男が、地へと落ちる。それは神の死を表す光景であり、静寂の中で、男の体はまるで羽のように静かに草原の中へ落ちた。
「ふんっ!」
だが、オファムはそれを見届けることなく、剣を抜いた勢いで、シェハキム内に生える大木へ向けて剣を投げた。
「うおっ!」
地上に落ちた太剣が大木を貫き、地上へ砂煙を巻き上げ、突き刺さり、大木もゆっくりと草原に倒れた。そしてその中から男の声がした。
「あっぶねぇなぁ、おい」
砂煙の中からどの天使たちよりも輝く翼を広げた男が宙へ飛び上がる。今しがたオファムの太剣に体を貫かれたはずの神が、そこには浮かんでいた。
「戯言を」
「ったくなぁ、シェハキムを荒らすなよ。直すのは俺なんだぞ」
と、神が自らの羽を一枚抜き、そっと息を吹きかけ、太剣が地を抉り取った場へと吹き落とすと、黄金に輝く羽が光を放ち、その場を包み込んだ。淡い光の中で失われた自然が回復していく。まるで何事もなかったようにその場は再び緑が萌えていた。
「造作なきこと。所詮貴様に俺が勝てることはないのだからな」
そしてそれを見届け、なお対峙するオファムの口から、そんな言葉が出た。
「当たり前だ。お前に負けてたら今頃魔界に支配されてんだろうが」
そして神も当然のことだと、軽い口調を崩さない。
「セラフィが貴様を探している。仕事に戻れ」
そしてオファムはそのまま戦意を見せることなく、神の横を通り過ぎ、太剣を取りに地に降りた。
「何だ? もう戻るのか?」
神が浮かんだままに問いかける。
「地上が動く。遣天使の派遣だ。貴様が出る幕ではない」
そのままオファムは用件が済んだのか、シェハキムから、再びアポロスのアラボトへ向かって翼を広げ、飛び立った。
「ほぉ、いよいよってわけか。こりゃ、一見の価値はありそうだな……」
神はその言葉に、好奇心を持つ子供のように楽しげな眼差しでシェハキムから同じように飛び立つ。シェハキムの女天たちがオファムと入れ違いに戻ってきたが、その相手をするよりも有意義だと見出したように飛び去る。
その頃、天界・魔界・地上界を繋ぐ天上門では、緊迫した空気が多少なりとも漂っていた。
「地上界のエンジェルスより通達。これより地上界遣天使一団が天界、魔界へ派遣されます」
天上門のある天界第二天ラキアでは、天上門を監視するのは下級一位のプリンシパリティーズの天使。
「オファム様より遣天使一団の来訪を受諾を認証。これより天上門の開門申請を魔界側へ通達します」
機械的ではない。地上界の機械文明など天界には存在しない。天魔においての通達は直接の応対。プリンシパリティーズの天使が天上門を挟んで存在する魔界側の管理者の下へと向かう。
「天界下級一位プリンシパリティーズ所属天使、ルミアです。開門申請が一つを通達に参りました」
ルミアの背中は天界の眩い光に溢れているのに対し、足元を川のように巨大な門が横たわり、対岸の魔界側はその対極の黒で多い尽くされ、二つの世界の狭間が一目で把握できる。ルミアは天界側の岸に立ち、その対岸へ呼びかける。
「こちら魔界ベルゼブル隊所属、ヒルコット。ルシファー様より同用件の申請を行います」
すると、魔界側の管理者が姿を見せる。小柄なルミアに比べての比較的大柄の魔族。天使は人が原型を示すが、魔族はそれがなく、ヒルコットも人や天使の姿かたちではなく、何かの獣を象らせる原型のように、その姿は歪だった。
「では、両界による同一申請は相意により、天上門の開門を行います」
「魔界はこれを受諾します」
二人のやり取りは実に事務的。対立する勢力の中で、この天上門が横たわる空間は互いにおいての不可侵領域。だからこそ、管理者によるやりとりも緊張感を孕んでいるが、双方において敵視による戦意は見受けられない。ルミアもヒルコットも共に部下でしかなく、上の指示に従い、行動するだけのようで、二人は天上門に両手を翳す。
「我が天界を守護せし天上門よ」
ルミアの小さな手のひらの先に白い光が浮かぶ。
「我が魔界を隔てし天上門よ」
ヒルコットの歪で不気味な細長い腕からは黒い闇のようなものが表れる。
《双意により、その隔壁されし世界の扉を開放せよ》
二つの声が重なると、双方に宿った白黒の光が互いを攻撃する光と闇のようにお互いへと放たれ、天上門の中心部辺りで衝突し、天上門へ稲妻のように落ちる。すると、それが門を開く鍵のように、天上門が青白く光を放ち、それこそ二界を挟む川のように光を纏いながら、ゆっくりと地上界に向かって二つの扉が開いていく。青い扉が開くと、そこには青い空が迎えていて、その下には一面の白い雲が、まるで天上門を覆い隠すように広がり、その中に二つの小さな姿が雲の切れ間へ降り注ぐ光の中に浮かんでいた。
一つは天界への地上より派遣されし遣天使。周囲をエンジェルスに守護され白い光の中で天上門が開かれるのを待つ。
そして、もう一つは魔界最下級の魔女たちによって囲われる遣魔使一行。遣天使とはことなり、魔女一団は光も病みも纏わず、ただその姿を黒の装束で覆い隠し、表情一つ見られないだけだが、その魔女に取り囲まれている人間は、地獄へ誘われる罪人のようでもあった。
天上門が開かれると、それぞれの一団が静かに門を潜り、それぞれが降り立つ地へ誘われた。
「ようこそ、我らが天界へ」
「よくぞ参られた。この魔界へ」
ルミアとヒルコットがそれを迎え、双方がその世界の深き所へと導くと、天上門は再びその堅い扉を閉ざした。
次回更新は「ハウンと犬の解消記」ですが、現在文学賞用作品の執筆が〆切間近なので、更新予定日は大幅に遅れての12月26日を予定させてもらいます。