前説.地上界
三ヶ月ほどぶりの更新です。
遅くなってしまいましたが、これで世界観は一応出ましたので、本編にいよいよ入れます。
次の更新の予定は未定ですが、これ以上期間が空かないように気をつけたいと思います。
潤いに蒼き聖上と歌われたアース。その栄華は花と消え、緑の大地は灰色に染まり、青の海は黒の油に溢れ、空には灰塵が舞い上がる。血の流れる大地も枯れ果てる緑も、破壊の連鎖に人の姿は塊へと変わっていく。
「マリアンヌ様、遣魔使の派遣団の編成が完了しました」
傅く男に、マリアンヌが戦火を逃れた庭園から静かに視線を戻す。体を滑る金髪と愁いを帯びる瞳。
「分かりました。では、早急に天上門へ派遣団を派遣して下さい。それから、恐らく魔界が動き出しているはずです。こちらの残存する兵力、武力を現段階に終結させられるものの全てをエデンに集結させなさい」
「はっ。では、彼の者たちは如何に?」
男が顔を上げる。マリアンヌは空を見上げる。厚い雲の中に神秘に輝く天上門が顔を出している。その下を照らし出す光の下、直立不動にて佇む姿があった。
「彼らは私が指揮します。この地域に生存する方達をサンシャイン公園台広場に集めてください。被害の出ないよう、地下シェルターへ非難させるのです」
マリアンヌの言葉に、男の表情が驚きに変わる。
「マリアンヌ様、とうとう……」
「人類の生き残る道を切り開くのです。この青上の星に光を取り戻すことは、人類の務めです」
「はっ。不肖、このハーバトロン、この命、姫様にお預けいたします」
胸元に腕を掲げ、一礼後、ハーバトロンは室内を後にする。それを見送るマリアンヌは、決意を固めた表情を浮かべ、バルコニーに出て行く。
「ハーツ、あなたは何を見ているのですか……?」
庭から空を眺める一人の少女。王宮と言うかつての栄華はなくとも、この世界においては華やかで雅やかな静けさを保つその庭園で、マリアンヌはその一点を見つめ続けた。
「……あ」
その視線に気づいたのか、マリアンヌが声を漏らす。見上げてくる無垢で夢愛想の視線。白髪に青い瞳。この星のかつての姿をその器に宿す姿が、マリアンヌを射抜く。
その時、少女の背中から翼が開き、空を仰ぎ、風を纏い、バルコニーに降り立った。
「どうかしたの? マリアンヌ」
姿とは異なり、その口調は自然。この宮殿内において軽口を叩く違和感は、この少女だけ。
「いいえ。それよりも、話があります、ハーツ」
「戦争?」
ハーツの言葉に、マリアンヌが言葉を詰まらせる。
「魔界に? それとも天界? もしかして、両方?」
見透かすような問いかけに、マリアンヌが視線を下げ、すぐには応えなかった。ハーツはそれに理解を見せ、肯いた。
「……そう。とうとう始まるんだね」
「この星に生きる全ての生き物の為にも、闘わなくてはならないのです」
マリアンヌの表情は芳しくない。
「大丈夫だよ。私たちがいるもん」
ハーツだけは笑顔を浮かべる。
「戦争の引き金を引いた魔界は、私たちが滅する。天界の交渉はマリアンヌ、あなたの腕次第。皆を守る為に闘うんでしょ?」
「ええ、もちろんです。それ以外にアースが生き残る術がないのです」
破壊に満ち、人類の8割はその犠牲に血を流し、生物の七割以上が絶滅を余儀なくされた死の星。かつてこの星が青かったと言う歴史など、現実に存在はしていない。
「人間が生き残ること。アースの再生を活性させることが出来るのは人間だけ。なら、私たちは闘うよ」
「ハーツ……」
人類が星を破壊されたことには、人類の争いがある。しかし、それには人類の手だけではない。魔界よりの差し向けられた力が存在した。
「魔界は確かに強力だよ。人魔の戦争が始まって三十七年。きっとアースの歴史の中で最も凄惨な出来事だよね」
「ええ……」
アースの歴史史上まれに見る大災害。それは戦争であるが、生態系の破壊、人類文明の崩壊、環境破壊が同時に引き起こされる戦争。人の業であれば、終焉はもたらされる。だが、人の業に魔界は欲を見る。故に絆される者が表れ、魔の使いの魔女が圧倒的な魔力を駆使する。人の兵器では限りがある。だからこそ破壊しつくされていく世界に、ただ見守るだけでは済まなくなった。
「マリアンヌ、もしかして、遠慮してる?」
「えっ?」
ハーツの言葉に、初めてマリアンヌの表情に大きな変化が生まれる。ハーツがそっとマリアンヌの肩に手を乗せた。
「やっぱり。だからずっと浮かない顔なんだね?」
現人類において政府機関というものは存在しない。国連、協会、機関、財閥その全てが破壊と言う魔の手に落ち、多くの国は焼け野原と化す。
「誰もいないから、本音、出したら?」
ハーツが笑む。今にもマリアンヌはその笑顔に泣きそうに小さく震えた。
「恐い……恐いよ、ハーツ」
人間は求める。己を導く存在を。その名目に見え隠れする責任の押し付け。そこに担ぎ上げられた者は、背負う他はなく、戦火において財を成す企業の一人娘であり、自然保護奉仕団体会長と言う役を負っていたマリアンヌは、生き残った人々に担ぎ上げられた。世界は今、マリアンヌと言う少女の手の中に希望を求めている。軍事企業の一人娘の財は、戦争において脅威を持ち、自然保護団体という相反する組織に身を置き、世間の評判を集める為の人形となっていたマリアンヌ。その一人の少女が世界唯一の財力を持ち、人を導くだけの器量を兼ね備えていた。しかし、それはマリアンヌにとっては苦悩の始まりでしかなかった。
「うん、分かるよ。人間の期待は恐いもんね」
ハーツが胸に小さな体を抱き寄せる。人ではない温もりが、マリアンヌを包み込む。
人の期待は叶えば賞賛の嵐をもたらし、英雄を生み出す。しかし、叶わぬと知れたら最後、人は己らが持ち上げた人間であろうと、期待外れと言うレッテルを貼り、晒し者と血祭りに上げ、痛める。マリアンヌはまだ政に携わる知識を得てはいない。所詮は企業の娘、跡取りとして守られた存在。その描く思考は決して成熟はしていない。だからこそ、マリアンヌは知ってしまったのだ。世界の事変により知らねばならなくなり、背負うには器が足りなかった。しかしそれを見せることも許されない状況。ハーツの胸の中がせめてもの少女に戻れる温もりを蓄えていた。
「私は、どうしたら良いのかな……?」
呟くは不安と言う愚痴と懸念。
「マリアンヌは、そのままで良いんだよ。今のアースはどこにも平和なんてない。だから、皆が不安に思ってる。マリアンヌが哀しいと、誰も笑ってくれないよ。だから、マリアンヌは笑ってて。泣きたい時はいつでも私が傍にいるから。だから、今まで通りで大丈夫だよ」
そっとマリアンヌを抱く腕に力を入れ、頭を撫でるハーツ。人のように豊かな表情ではないにしろ、その優しさは人の感情そのものだった。
「少しは、楽になれた、かな?」
不安げな声色のハーツに、マリアンヌが顔を上げる。
「うん。ありがとう、ハーツ」
少女らしいその笑みに、ハーツも小さく笑った。
「じゃあ、私たちも準備しないと。マリアンヌ、少しの間の辛抱だよ?」
「……ええ。行きましょう、ハーツ」
深い、深い吐息の後、マリアンヌは再び人類の長たる姫としての凛とした表情で、ハーツに肯いた。
「守ろうね、人間たちの手で、全ての生物を」
「もちろんです。今こそ、人が人である世界を再興する時です」
マリアンヌが髪を揺らし、背を向ける。ハーツは再び羽を広げ、バルコニーから飛び上がった。吹きぬける風に、マリアンヌの髪と服が靡き、決意に満ちた表情で歩き出した。
「ねぇ、トッティ。これからもしかして、戦争がまた始まるのかな……?」
曇天の下、輝きのない冬に広がる人々の祈りを受け続ける銅像も、今にも降り出す雨に愁いの表情で空を見つめ続けている。その下で集い始める人々に、覇気はない。憔悴にやつれ、ただ、指示に従うことでひと時でも安心を得ようとしている。そんな程度にしか感情がない。「どうだろう。でも、姫様からの発表があるらしいから、その可能性もあるんじゃないか?」
トッティの腕を抱き、決して離れないようにしているのは、トッティの恋人、フィリア。
「また、人が死んじゃうのかな……」
それは単に恋人と離れたくないからと言うわけではなく、死という世界観が蔓延る世界において、繋がりを失うことへの恐怖からトッティの腕を抱えているような表情で見上げる。
「俺にはそれは分からないよ。ただ、姫様には直属のアンドロイド部隊があるんだ。今は話を聞こう」
「うん……」
二人には平穏の表情は出てこない。変わりにそれを求めるように、お互い首に下げているロザリオを握り締めていた。
「広場へ集合して下さいっ! まもなくマリアンヌ様より今後のアースの方針のお話がありますっ」
兵隊たちが集まる人々をまとめ始める。トッティとフィリアも誘導に従い、公園内にある広場へ、人の波の中の一つとして歩いていた。
「みんな疲れてるな」
「だって、もう昔の生活なんて、どこも出来ないんだよ……辛いんだよね」
ただ縋るしかない他国民たちを二人は神妙な面持ちで見つめる。
「安心できる世界なんて、初めからないんだよ。本当は」
「気づかないだけ、なのかな……」
歩きにくそうなトッティと、なお身を寄せるフィリア。
「マリアンヌ様の御登壇―――っ!」
広場にある宮殿。元来この場は公園ではなく、貴族の屋敷として鎮座していたが、戦乱の中、戦火の影響をほとんど受けていないこの場を、難民開放の広場として公園と化した。
「あれがマリアンヌ様、なんだ……」
「大変そうだな、世界を導く姫だなんて」
市民たちの見上げる視線の先、複数の側近と護衛を引き連れたマリアンヌが静かに壇上に立っていた。そこへ、いまや機能をほとんど果たすことのなくなった、数少ないメディアのカメラが全世界へそれを中継すべく、一斉にマリアンヌへレンズを向けた。
「国民の皆様、他国より難を逃れた方々、不安と緊張、日々の恐怖に身を休めることもママならない中で、今日、この場へお集まりくださったことを、深く感謝申し上げます」
いまや人類の頂点に立つマリアンヌが深々と頭を下げる。かつてであらば、いっせいにシャッターが切られる場面ではあるのだろうが、今やそのような状況下ではなく、ただ一斉に沈黙の波が目的の言葉を待つ。
「本日、全世界へわたくし、マリアンヌより皆様へ新たな人類の歩む道を検討して頂きたく、お集まりいただきました」
茫然とする者。疲れきり、その場に腰を下ろし、立ち上がる気力の無い者。マリアンヌを最後の希望と祈る者。言葉を待つ者。
「こう言う時、お姫様綺麗……とか素直に思えたら良いのにね」
「そうだな……」
そして、寄り添う者。多種多様にマリアンヌを見上げ、マリアンヌもその一人一人を見つめるように、息を漏らした後、その艶やかさのある口を開いた。
「現在、アースにはかつて六十億もの人々で豊かさを保っていました。しかし、現在把握している中での人口は、わずか五億人です。荒廃した国はもうありません」
現状の報告に、人々からは悲しみの吐息が空雲へ立ち上っていく。
「これは人類史上の危機です。奇しくも人類外の生命には潤いとなるのでしょう」
人類は五億いるとは言え、世界の歴史上は空前絶後の危機。絶滅すら恐れられる現状。その一方で他の生物たちは人類を恐れることなく、食物連鎖を果たすことがほぼ可能となった。人類にそれを阻害することも、保護することも厳しいことが眼前にあるのだから。
「しかし、このままではあらゆる生物は絶滅と言う結路を辿るでしょう。全ては犯さずの均衡に成り立ち、今、その均衡は打ち破られています。ここにお集まりの皆様、誰もが大切な方を亡くされたことでしょう。私も両親を亡くしました」
人々の目は、各々の心を支えていた人を思い描き、悲しみに暮れている。その中で懸命に声を絞り出すのは、誰でもない、マリアンヌだった。
「マリアンヌ様……」
フィリアがトッティの腕を強く抱く。その手にトッティが手を添える。心の中でマリアンヌを応援するように力強い瞳だった。
「悲しいことを、ただひたすら待っていては、人類に限らずこのアースに未来は来ません」
両親を思い浮かべているのか、マリアンヌの声は震えている。その瞳も今にも零れそうな涙がある。
「私たちには生き残り、アースを再生する義務があります。命を絶たれた人々の思いを、このアースの再生に馳せねばなりません」
静かに瞳を閉じ、涙を堪え息を整える。誰も急かしはしない。ただ、同じ思いを描くマリアンヌを見つめる。
「頑張れ、マリアンヌ様」
フィリアが思わず声を漏らす。
「……闘いましょう。再びこのアースに青い空が戻るその日まで。もう猶予はありません」
訪れる静寂。沈黙にマリアンヌの言葉は駆け抜け、曇天に消えていく。拍手もなければ反発も出ない。マリアンヌを不安にさせるような絶対的な静寂。
「そして、皆様へご紹介すべき方たちを、本日はここへお呼びしています。彼らは私たち人類を救うために、その命を顧みずに志願された方々です」
マリアンヌの言葉と同時に、一糸乱れぬ地鳴りを呼び起こす足音が公園の両脇から集った。それは全てが志願兵。
「このアースにて私たちに兵となる命を召集する能力はありません。けれど、彼らは私たちが願うアースの再興へお力添えを志願頂いた、勇敢なる兵士の方々です。どうかここへお集まりの皆様。わたくし、マリアンヌからのお願いです。彼らの歩み道を支え、共に私たちの未来を、アースの明日を切り開くことへの協力をお頼み申し上げます」
集まる人とは異なり、前進を武装した兵士たちは、覇気を背負い、勝利を信じて強く佇んでいる。それでも人々は知っている。天も魔もその持つ力は強大であることを。そして、それを最も目の当たりにしたマリアンヌは、さらに言葉を紡ぐ。
「そして、彼らを率いるべく編成された、アースを救う新たな力をご紹介します」
マリアンヌが天を仰ぐように、空に両手を差し出す。すると、それを合図に、空の厚い雲を貫く十二の光が眩い翼を広げ、大地へ降り立った。
「ね、ねぇ、トッティ……もしかして、あれが……」
フィリアがその姿に声を漏らす。
「あ、あぁ。アンドロイド、だろうけど、空を飛ぶなんて……」
そこで初めて、集う人々の表情が驚きに変わる。アンドロイド自体珍しいものではない。家政的用途として用いられ、福祉や重労働の代役を担うことを目的に開発された。しかし、人々の目の当たりにするものは、まるで天界よりの使者。しかし、見た目は人であり、その翼は天でも魔でもない、白黒の翼。驚きに空気が多少ざわつく。
「皆さん。私たち人類はこれまで紡いできた歴史を以って、新たなアンドロイド―――十二の司士たちと、最後の戦いを、ここに決意します」
マリアンヌを中央に十二人のアンドロイドたちが静かに人々を見下ろす。巨体から歪な造物を持つアンドロイドとその姿は十二が異なる。それは救世主のようにも見え、脅威のようにも見えるが、この世界において、何も出来ない人は、それを見上げることが精一杯だった。