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02 理由は最初からなくて


 私はただ、海の外の世界を見てみたかっただけなのだ。

 生まれて十六年は、海の外に出てはいけない決まりだった。メロウ――特に女のメロウは、狙われることが多いから。まあそれ以外にも、人間に姿を変えられるのが十六歳になってからという理由もあるんだろうけど。


 一年前の誕生日、私は初めて地上を歩いた。人間に姿を変えて、砂浜の上を歩いた。足で、地面を踏みしめる。そんなことで、馬鹿みたいに感動していた。さらさらした砂の中に時々、ごつごつした少し大きめの粒の砂もあったけれど、それを踏んだときの痛みにさえ感動した。

 裸足で歩いた後には、今度はお母さんが人間の町から買ってきてくれた靴を履いて、砂浜を走ってみたりもした。


 たぶん、あの日の私はどうかしていたのだ。

 砂浜を歩くだけでは飽き足らず、人間の町へ行ってみようと思ってしまった。私のような未熟なメロウが人間の町に行けば、どうなるかわからないと知っていたのに。けれど、万が一にでも帽子が脱げないよう、帽子をしっかり押さえることは忘れずに。


 人間の姿であっても、私たちメロウは角までは消せない。赤い羽根の帽子は、一応角を隠す役割もあるのだけど……。

 それ以上に大切な役割が、地上でも『メロウ』でいられるようにすること。帽子を脱いでしまったら、メロウは『メロウ』ではなく、『人間』になってしまう。そうなると、海の底の家に二度と帰れなくなるのだ。


 人間の町に着いた私は、浮ついた気持ちで色んなお店を見て……いつの間にか、道に迷っていた。

 我に返ったときにはとっくに夕暮れで、どうしよう、と青くなった。早く帰らなければ、これから地上に来るのを禁止されてしまうかもしれない。

 そして何より……お母さんに怒られるのが怖い。


 しかし、誰かに海までの道を訊く勇気はなかった。こんな時間になぜ海に? と訊かれたら答えに困るし、私がメロウだと気付かれる可能性もある。

 人間の姿になっているときにメロウだと気付かれることは少ないのだけど、鋭い人間なんかは、微妙な違いをわかってしまうのだ。


 でも……本当にどうしよう。潮の香りがどこから来ているのかわからないかと、くんくんかいでみたが、メロウでも人間でも、そこまで嗅覚は鋭くない。


 ライナスに会ったのは、そんなときだった。


「大丈夫か?」


 このときの私は、泣きそうな顔をしていた。らしい。

 振り返ってみると、優しい雰囲気の男の人がいた。こう、なんと言うか……あたたかい感じがしたのだ。焦っていた気持ちがゆるゆると落ち着いて、ほっとした。

 だけど。

 ライナスに助けを求めたのは、きっとそれが理由ではなかった。


「…………あの、」


 今でもわからない。

 どうしてだろう。


     *  *  *


 ライナスに海まで連れて行ってもらい、無事家に帰れたわけだけれど。あのときのお母さんの説教は、思い出すだけで身体が震える。

 しかし、特に地上に出ることを禁止されたりはしなかった。こんなことがまたあったら、地上に行かせないから、とは言われたけど。なんだかんだで、甘いお母さんだ。


 そして、二度目に地上へ出かけたとき、またライナスに会ったのだった。

 あのときは本当にびっくりしてしまった。また会う、という可能性は、全く頭になかったから。だって私は、前回のことを反省して、海の近くを歩いていただけだったのだ。


 一人の人間と深く関わることは、とても危険なことだ。一緒に長い時間を過ごすほど、どこか人間と違うことを感じ取られてしまうから。


 その危険を知っていながら。


 なぜか私は、ライナスと親しくなってしまった。そうなるつもりはなかったのに、いつの間にか一緒に買いものをして、彼の家にまで行っていたのだ。


 家に連れてこられたときは、何か変なことをされるのではないかとびくびくして、ほいほいとついてきてしまったことを後悔したものだ。

 しかし彼は、何もしなかった。ただ、穏やかに私と話して、私の話を聞いて、妹のクレアちゃんを紹介して――。


『クレアと、友達になってくれないか』


 ああ、どうして私はあの言葉にうなずいてしまったのだろう。

 そのときのことを思い出して、ほんの少し呻き声を上げたい気分になった。


 今思えば、どうして、と思うことばかりだった。

 だって、どう考えてもおかしかったのに。会ったばかりの私に、重い病気の大事な妹を紹介して、挙句の果てに「友達になってくれないか」なんて。


 どうして、と思うことでも、後悔しているわけではない。だからこそ私は、ライナスに「ありがとう」と言ったのだ。眠っているときに言ったのは、聞こえなくてもいい……むしろ、聞かれたくない言葉だったから。きっと、彼を苦しめてしまう言葉だったから。


 どうして、ライナスやクレアちゃんとここまで親しくなってしまったのか。来たら一日は泊まっていくなんて、どうかしてる。お母さんも、許可を出さなくたってよかったのに。

 そっとため息をつく。


 ……本当はわかってる。きっと、『友達』という言葉に惹かれてしまったのだ。昔から私は、他のメロウとは少し違って。……ううん、少しではなく、とても違って。

 だから私は、親しいメロウがいなかった。挨拶をする程度の仲の相手はいるけれど、それ以上の相手は家族しかいない。それが寂しくて……陸の世界に、人間に、憧れたのだ。


 とは言っても、それが人間と親しくなった直接の理由ではないと思う。道に迷っているときに会ったのがライナス以外だったら、私はついていかなかったのではないだろうか。

 ならどうして、と考えて、初めて納得いく答えが見つかった。



 ……たぶん。理由なんてものは、最初からなかったのだ。







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