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この校舎はCの形に作られていて、彩はずっと迷子になっていたのだと知ったのは教師の後を歩きながら、校内地図を見た時だった。
「ここが教室です。覚えましたか?」
彩がブンブン首を振ったのを見て、教師は再び苦笑を溢した。
彩は、何故先生の笑顔は寂しそうな感情が押し込められているのだろうかと、不思議に思った。
「では、今度も迷子にならない様に僕が朝待ちますか?」
「えっ! 良いんですか!? あ、いえいえ、見知らぬ人についていくなとお兄ちゃんに言われているので大丈夫です」
「担任を他人呼ばわりとは、さぞかしお兄さんに良い教育を受けたのでしょうね」
「あっ! ……違います、そうじゃなくて」
「いえ、分かってます」
彩は失言してしまった、と口元を押さえた。
そして、冷酷な表情の教師が自身に柔らかい口調で話しかけてくれる事に異常な程に喜びを覚えていた。
「ここが、教室です。時間も時間ですし、貴女は後ろから入ってきてください」
「あ、はい。分かりました」
高校デビューして友達うはうはになってやろうと考えてた彩だが、やはり根本の友達は読書という所は変わらない。
会話の前に、「あ」等と余計な言葉を足したり吃音染みた口調になってしまうのは、緊張した時の癖だ。
「……わあ」
教室には既に全員集まっていた。立っている者座っている者、それぞれバラバラだがもう打ち解け会話している子達もいた。
私の席は……と、彩は女子の頭を避けながら黒板を眺めた。窓際の一番端の席である事が分かった。後ろは好きではないが、窓の近くという事は嬉しかった。
彩は外を眺めるのが好きなのである。特に数学のテストの時間とかはよく現実逃避する為に窓の外を眺めていた。
自由に空を舞う鳥を見ては、良いなぁ。羨ましい。と一人ごちて、隣のクラスの男子がサッカーしてる時は内心応援していた、中学生活。意外と楽しかった。
初日早々迷子になったという疲れと共に、荷物を下ろして椅子に深く座ると異常な迄に落ち着いた。今にも寝れる気分だ。
「お、可愛い子はっけーん」
突然、真横からアニメ声が聞こえてきた。ああ、隣の女の子達が話しているのか。誰の事なのだろう? と、彩。
「ん。君だよぉ。ツインテールの黒髪ちゃん」
「黒髪ちゃん……私?」
振り返ると、隣の席にはまさにお人形とでも表すべき程可愛らしい少女がいた。栗色のフワフワの髪の毛。真っ白な肌。赤い唇。垂れた目尻。女性らしいふくよかさ。彩とは正反対の人間だ。
だからこそ、彩は理解出来なかった。
こんな可愛い子に可愛いなんて言われる筈がない。頭から決めつけていた。
「そう。あたし、隣の席の唯川悠子だから、悠ちゃんでも悠子ちゃんでも何でも好きな呼び方してねぇ」
「あ、わ、私は鈴城彩、です。宜しくお願いします……」
「固いねぇ。緩んで、揺るんでぇっ」
「あっ、はは……」
高校デビューは何処へ消えたのか。負の中学時代の自分が舞い戻っていることに気が付きながらもどうしようもなく、彩は生唾を飲んだ。
「ゆ、悠子ちゃん。だっけ?」
「ん。そうそう。彩でしょ? 彩だったら面白味がないからー、アヤチンにしようかな? 彩にゃんにしようかな?」
「いや、普通に彩でお願いします」
「だから、固いってばぁ」
舌足らずな話し方の悠子は戒める様にコツンと彩に、拳骨をぶつけた。そして、続ける。
「丁寧語使ったら怒るからねぇ」
「あ、ダメで……いやだよ、それは」
「良いじゃん。そんな感じぃ」
ニヤニヤ、悠子は笑う。それにつられて彩も笑う。
悠子は不思議な人だ。酷い中学生活を送ってきた私に簡単に話しかけて、すぐアダ名を付けようとするなんて、私には到底出来ない。
彩は、驚きつつも徐々に不安が薄れていった。悠子ちゃんの様に皆が皆、話しかけてくれる訳じゃないけど、話せる子が出来て良かった。安堵していた。
丁度、その時。ガラリと音を立てて、教師が教室に入ってきた。
「皆さん、おはようございます。席に着いて下さい。僕、相川がこれから一年間皆さんの担任となります。宜しくお願いします」
ヒューヒュー、とクラスの何処からか歓声が上がった。それにつられて皆が高揚した目で教師を見る。
「先生、先生。彼女はいるんですかぁ?」
「……貴女方は勘違いしている様ですね」
教師は嬌笑を浮かべたかと思えば、生徒達を侮蔑するかの様な視線を向け言い放った。
「僕は教師。貴女方は生徒。教え教わる関係性でありそれ以上はありません。なので、必要最低限の交わりしかする予定はありません」
「……げぇ」
「顔は良いのに、残念だわ」
甘い期待をしていた大半の女子がガックリ肩を落とした。他の、教師に興味を向けていなかった子は、話すら聞いてなかった。
例外である彩は、教師の言葉に目を輝かせていた。
私が朝迷子になった時はあんなにも自然に関わってたのに、こんな態度を見せている……つまり、私は特別扱い!??
彩は、青春に間違った見解があった。
教師からのホンの短い挨拶もとい宣言を受けた生徒達は、すぐに体育館に向かった。
入学式が始まる。
「えー、本日はお日柄も良く、皆さんが入学するには最高の日ですね。きっと、貴女方が真面目で良い子達の集合体だから神様も晴れにしてくれたんでしょうねぇ。本校では」
うんたらかんたら。
校長先生の話が長い、というのはこの高校も例外ではなく、いつ卒倒する生徒が現れてもおかしくない程、長かった。
皆が皆、欠伸を噛み殺したり、かっくんかっくん船を漕いでいる。彩もそうだった。
「次は転勤された野村先生の代わりに国語を教えていただく先生のご紹介をします。それではどうぞ、鈴城先生」
校長先生に促され、体育館の中心に立った短茶髪の男は照れ臭そうに頭をかいた。
「あー。鈴城風樹です。新米教師なんでお手柔らかに。いやー、女子ばっかだな。なんか気恥ずかしいな」
どっと体育館に笑いが巻き起こった。
彩とは別の科には男子がいるのだが、全体で比較すると少なかった。
「まあでも心配しないでくれ。俺は百パーセントお前達に手を出さない。何故だか分かるか?」
何処からか「そりゃ教師だから、手ぇ出したら駄目じゃん」という言葉が上がったが、それに首を振る。
「違うんだな。知らないと思うが俺には世界最高に可愛い妹がいるから、お前らはジャガイモ位にしか見えないのだ。だから、君達はしっかりと勉学に励みたまえ」
ガハハと人笑いしてから風樹は皆に一礼した。
こっくり、こっくり、船を漕いでいた彩の肩をツンツンと悠子がつついた。そして、爆弾発言をした教師を指す。
彩は先生に怒られたのかと思い飛び起きたが、悠子が起こしてくれたのだと知るともう一度寝ようとした。
呆れた悠子は彩に魔法の言葉を囁く。
「あの、鈴城先生。彩のお兄ちゃんじゃないのぉ?」
さすがの言葉には彩の強固な睡魔も怯えて逃げていった。
お兄ちゃんが!? と、壇上を見れば本当に彩の兄が立って皆に自己紹介していた。雰囲気から察するに、妹が彩だと気づいたのは悠子だけだった。
他の生徒は、風樹がジョークを言ったとしか捉えていない様で、彩は胸を撫で下ろした。
「な、何で気がついたの!?」と、小声で彩は聞く。
「だってぇ、そっくりじゃん。雰囲気というか、オーラというか、そんな感じの所が」
「普通、分からないよー……」
「別にそんなにも嫌がることじゃないじゃん。お兄ちゃん嫌いなの?」
「嫌いじゃあ、ないけど……」
「なら良いでしょうが」
「まあ、うん、そうなの、かな?」
彩は腑に落ちないまま、軽く首を下に振った。
内心、何でお兄ちゃんは言ってくれなかったの!? という怒りが徐々に大きくなっていた。
はたまた、別の所では複雑な心境が渦巻いていた。
悠子である。悠子の視線は、風樹の横に立つ新任の教師に注がれていた。それに、怒りが含まれているのは誰も知らない。
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