第2話 下着と水着の違い
下着と水着。
似て非なる二つを分かつのは、一体何か。
水着と下着の違いは何だろうか。
図らずも世界水泳が巷のテレビを賑わせているとき、こんな深遠なる想いがアタマをよぎってしまった。
解決したからといって「チョー気持ちいい!」ワケでもないのだが、ボクは気になって気になって仕方がない。
片や見られると恥ずかしい下着。
片や見られるとうれしい水着。
両者は見た目だけでなく「肌に密着し、局部を隠す」というところまで共通している。
それなのに、その先の扱いが正反対なのだ。
まあ、素材などの観点から見れば細かな違いがあるのだろうが、少なくとも下着を水着代わりに利用する事は可能だし、その逆も然りなのである。
その上、水着も下着も肌の露出度は大して変わりゃしないワケで、中には下着を上回る露出度の水着だってあるのだ。
冒頭で述べた世界水泳の水着には納得ができる。
あの水着。実は表面に微細なミゾが掘り込まれているのだ。
そうすることによって、いわゆる「サメ肌」を人工的に再現。泳ぐ際の水抵抗を少しでも軽減する役割を担っているのだ。
彼らの装着している水着には「少しでも速く泳ぐ」という重要な存在意義があるのである。
翻って、パンピーの水着はというと、下着とさほど変わらぬデザインである。
仮に下着が水着売り場に置かれていても「最近のトレンドなんですよ」などと店員に言われたら、マ○イのカードと共にレジへ出してしまいそうだ。
そう考えると両者間には明確な線引きが無いといえる。
「機能性が違うではないか」と反論してくる方もいるかもしれないが、濡れることを前提に開発される水着はそのキャラ上、吸湿速乾性に優れた素材で作られる。
つまり、「すばやく水分を吸い上げ、すばやく乾かす」というモットーで開発されるのだ。
これは下着以上に下着に適した素材なのである。
それでは両者を下着、水着と分けている線は一体何なのだろう。
たぶんそれは「心の持ちよう」なのだと思う。
つまり、下着と思って着れば下着だし、水着だと思って着れば水着になるのだ。
そして下着と思って着ている着衣は公衆の面前にさらすと恥かしく、水着だと思って着ている着衣は公開OKなのである。
おぉ。デザイン性にも機能性にも差がない二つの着衣は、僕らの心によって存在を二分されていたのだ。
そう考えると、僕らの日常は「下着か水着か」という状態が非常に多いコトに気づく。
下着か水着か。に始まり、
楽しいか楽しくないか。
好きか嫌いか。
生きたいか死にたいか。
そしてコレらは心の持ちようで、十分に変える事ができるのだ。
「オーラ」や「運気」または「殺界」という名前のこれらも、ようは心の持ちようの変化形なのだと思う。
「一生に一度の大運気です!!」などと言われたら、そりゃ誰だって毎日がばら色になろう。
なにせそういう心の持ちようになっているのだから。
いやぁ。
世界の生きている世界がどうなるかは、自分の心の持ちようなのですな。
ということで「毎日が楽しくない」と嘆いてるあなた。
ためしにココは一つ、「現状打破」という意味でも下着を水着として着て見るのもイイかもしれない。
今までと違う世界が見えてきて、心の持ちようがイイ方向へ進むかもしれない。
なお、それによって警察のお世話になっても、ボクは一切の責任を負わないので、悪しからず(笑)