第七章 罠 十一
十一
丁寧な動作で茶器を持ち上げ、紅茶を口に含む。薫りと共に香ばしい渋味が口いっぱいに広がった。
その姿はあくまで食後のお茶を楽しむものだったが、その眼光だけは和みとは無縁の鋭さを秘めた銀色をしていた。
「けど、まさかそんな物使っていやがったとはね」
「まだ確信は持ってないから仮定の話だけどね。それを使ったのだとしたら理屈が合うわ。『薬』を口にし、かつ『卵などの食品』を摂取したものにだけ症状が現れるとしたら、より巧妙に“病気”が作れる」
月が行方をくらませている間に判明した事実と、これまでの出来事を語り終えた柚は、挽肉詰めのパイを一口齧った。ゆっくりと咀嚼し、うっとりと幸せそうに藍眼を細める様子は満足した猫のそれに近い。
「ちょっとこれ本当に美味しすぎるわ。作ったのがあの兄じゃなかったら月か翔にレシピ聞き出してもらうとこなのに」
「・・・・・・自分で聞くのではないのか?」
「私じゃ訊いても作れないんです」
料理下手ですからとなぜか胸を張って宣言する少女を、一瞬ほうけたように眺めたあとジェイドは高らかに爆笑した。
「柚は楽しいな。まさか月の言う仲間がこんな可愛らしい子なのかと始めは目を疑った物だが。人は容貌で図れぬものだという手本だな」
「それをいうならジェイドさんこそ。カブセラの人にこんな綺麗な女の人がいるなんて、考えたこともありませんでしたよ」
先ほど道端で月から、一緒に売られて逃亡してきた人、という簡潔すぎる紹介をされた女性は、東南街道最強の傭兵団の名を名乗ったのだ。
その時の驚きは、何とも言いがたいものだったと自分で頷く柚をジェイドは柔らかい眼で見つめた。
とりあえず相互の思いを告げ終えた後、とりあえず空腹を満たすため五人はミュリネ達の店へと戻ってきたのだった。柚をはじめとする三人はもとよりそのつもりであったし、月とジェイドもほぼ一日休まず馬で駆けてきたのだ。今後のことを考えても、腹ごしらえの必要があるのは明かだった。
「じゃあこれから二手に分かれて医者と協力者だろうあの食品店を襲撃するってことで良いわね」
どう分かれる?と柚に小首をかしげ訊ねられ、月は飲み干した茶器をことりといた。
「ゆえと私とジェイドさんで食品店行くわ。ゆえに店までの道を案内してもらえるし。こっちにジェイドさんが来れば馬にくくりつけて店の主を医者の方に連れてけるでしょ」
「ん、わかった。私と翔が医者担当ね。翔、頼むわよ」
「了解、まかせろ」
「ゆえもお願いね」
「・・・・・・あ?ああ」
五人は食器を軽く片付け、装備を整えると外に出た。
休息と情報交換を兼ねてゆっくりとった食事の時間は短くなかったため、すでに日は完全に暮れ薄雲の間から紺の空を覗かせている。
徒歩で向かう翔と柚と見送った月は、馬の背に蔵を据えるジェイドへと歩を進めた。
「手伝います」
「いや、いい。もう終わる」
「流石、早いですね」
軽く見開かれた眼は、穏やかな薄墨色をしている。どうやら感情が高ぶる時だけ瞳の色が銀に見えるらしいと沈黙のまま考えたジェイドだった。
「なあ、月」
ゆえに声をかけようとしていた月がくるりと振り返る。細い極東のものらしき銀の拵えの刃を腰に佩き、緋色の短甲で装備を整えた少女は、細身であるにもかかわらず凛とした強さを感じさせ、まさに少女剣士という呼称がぴったりとくる出で立ちだ。
「なんですか」
「先ほどの話なのだが・・・・・・その、本当なのか。月は――――――捕まった後売られる前に逃げ出せたのにわざと売られたのか。その、自らの力量を試すために?」
「まあ、売られる人々に対しての義憤が無かったとは言いません。私たちも売り飛ばされた過去をもっていますし」
「なん・・・・・・だと!?」
思わぬ告白に深緑の眼がこぼれそうなほど見開かれる。おもしろそうにそれを眺め、でもと続けた。
「私の行動理由の第一動機は嘘偽り無くあれですよ。ちょっといろいろあってヤケになっていたのもありますが」
それにほら、自分が無茶すれば私が無茶するのがわかれば、自重してくれるでしょうと、少女はいたずらっぽくうそぶいた。
「・・・・・・・切れると何をしでかすかわからない人物の典型だな月は」
ジェイドは首を巡らせ、心底気の毒な視線を仲間である茶髪の少年にむけた。
「大変だな。ゆえ殿このような御仁が仲間では」
同情の視線に対するゆえの返答は、軽く頷く動作のみだった。
何かに気をとられ、心此処にあらずといった風情で深く考え込みながら歩を進める、襲撃前というこの場にそぐわないもので。
更にジェイドが問いを重ねようとするこえより早く、ゆえが口を開いた。
「着いたぞ。この店だ」
「そう、ありがとう」
扉に大きくとられた窓には、この世界では貴重な一枚硝子がかっちりとはめ込まれている。そしてその周囲を囲む窓枠には色硝子をふんだんに用いた彩色玻璃を施してあり、十字に通された格子にさえ細かな彫り物が施してあった。
「腹立つぐらいに儲かっているみたいね。まあ今夜が終わりなわけだけれど」
「まさに年貢の納め時と言うやつだな」
女二人は互いに含みを持たせた目配せを交わし、美麗な扉に脚を蹴破った。
一方翔と柚も、目的の医者のところへ辿り着いていた。暗闇に浮かび上がる建物は、食品店と同じく腹立たしいほど立派な造りをひけらかしている。
「じゃ、いくか」
両脇に吊った胡蝶刀を無造作に抜き放ち、翔は少女に向き直った。
「ええ、頼んだわよ」
「・・・・・・人任せかよ」
「一応武装はしてきたわよ?けどここにいるのは武力的にはずぶの素人でしょ。なら翔だけで取り押さえることできるでしょ、頼んだわ」
ふざけるように短槍の先を翔の鼻先にゆらゆらと突きつける。首を引き指先でそれをつかみ、翔は溜め息を一つ吐いた。
「信頼してるわよ?」
「お前って自覚の無い小悪魔だよな・・・・・・」
「何?」
「いや別にもうなんでもないからいいからいいからいくぞ?!」
悲しくなってきたと、翔はこっそりこぼした。
「はぁい?お医者様。どうもこんばんは」
柚は行儀よくスカートを抑えつつちょこんと座り込み、にっこりと楽しげに声を掛けた。
眼前に転がる話し相手は、猿轡をかまされた上に縛り上げられ、さらに翔に押さえつけられた男。寝室に踏み込んだ翔に男は抵抗することすらできずに床に転がされたのだ。
金の髪の少女はさらに可愛らしい笑顔を作ると、手を顎に預け視線を合わせた。
「今回は直接ではないとはいえ、色々お世話になりまして。私の言ってる事、理解できますよね」
危ない橋渡っているくらいの自覚はあるでしょう、と投げ打つように脂汗まみれの男に投げつける。
「ちょーと薬草棚見させていただいたんですけどねー、鳥兜に毒芹、延齢草、金鳳花、走野老などなど。こんなんじゃ医者が聞いて呆れるっていうか、むしろちょっとした毒の見本市な感じですよねー。けど最初に盛ってたのはあれらじゃないでしょう?」
おもむろに服の袷から柚が取り出したのは、手のひらに載るほどの小刀だった。ついと鞘を払えば、意外なほど鋭さを秘めた煌めきを放った。
遊びの延長のように軽々と玩び、男の前にゆっくりとにじり寄ると切っ先を頚動脈へ押し当てる。
「あんた達が最初に患者の薬に紛れ込ませて盛ったのは『強制的に抗体反応を起こさせる薬』。違うかしら?」
刃越しの動揺が、真実を獲ている事を伝えていた。
今度は満足そうに心からの笑顔を浮べ、翔に向かって頷いてみせる。
*
「もしかしたら『人工的にアレルギーを起こさせる薬』というのもがあるのかも」
柚がそんなことを言い出したのは、食事の半ば皆が一通り空腹を満たした頃だった。
「そんなのあったら現実じゃノーベル賞ものだろうけどね。けどそう考えた方が自然なのよ。
あと卵を高値で売りつけていた食品店にも行ってみたわ。置いてあったのは特殊な蕎麦や落花生、特殊な穀類などのほかにも、毒草の類を混入したと思われる加工食品が並んでいた」
苦々しく言い放つ柚の言葉に、月は銀の眼を伏せ考え込んだ。
「医者と卵の入手先であるその店の相似点は?」
「二つとも、一年前に来た旅人が開いた所だったんだよ」
「ミュリネさんの飲んでいた薬も調べてみたわ。蜂毒を中心に、軽い毒がいくつか合わせられていた」
たぶん、と前置きしつつも柚は確信をもって断言する。
「ミュリネさんの場合はたまたま過去に刺されたことがあったから効果が大きすぎただけで、想定していたのは軽い発作と発熱程度でしょうね。これに泡を食った兄の方に、さらに高額な薬を売りつける手はずだったんでしょう」
口元に手をやり考え込んでいた月は、すっと視線を上げた。
「組織性は、あると思う?」
「毒から見たかぎりじゃ薄いわね。煎じ方さえ工夫すれば毒になるだけで、普通に手に入るたぐいのものだから」
「じゃあ報復は覚悟しなくて良いって事ね」
じゃあ憂さ晴らしがてら退治しに行きますか、と月が言い襲撃はあっさりと決定されたのだった。
*
あまりにあっけなく襲撃がすんでしまい確証も得てしまって、正直柚は拍子抜けした。
「自分から言ったこととは言えホント私ってば武装しなくてよかったわよねー」
寝込みを襲ったことも在り、医院の扉を蹴破ってから藪医者を捕獲するまでものの数分もかからなかったのだ。
「ちょっと翔。本格的に暇だからちょっと家捜ししてくるわ」
んじゃあと明るく笑う少女に翔は引きつらせ、一応つっこんでみた。
「参考までに、何あさるんだ。それと悪役のセリフにきこえるぞ?」
「んー?珍しい薬草とか結構あったし、手持ちで切れてたやつとか補充できるかなぁって。大丈夫、月達着たらちゃんときりあげるからさ」
そんな言葉と共に今度こそ寝室から出て行った柚はその足で診療室と思われる部屋に向かった。蹴破った入り口脇にあるその小部屋はそこそこ整頓されており、壁一面にこれ見よがしな薬草棚が作りつけられている。
「此処だけ見ればまともなこともないわねぇ。まあ全力でまともに見せてた、いわば善玉の仮面なわけだから当然かもだけど」
置いてあったランタンを勝手に灯し、小さな抽斗を集めて作ったような薬草棚の品目に眼を凝らした。
「お?狐の手袋がある。しかも結構な・・・・・・悪事に用いられたらと思うとぞっとする量じゃない。軽く数十人殺せそうな量。まあでもこれは心臓の薬にもなるし、貰っていきますか。余ったら売ればいいんだし。わぁ!!番紅花も山盛り!!案外まともなのも置いてるのねー。あっと、これは毒空木?流石にこんなの入らないわね。使い道ないし。使いたくないし」
うきうきと目を輝かせて、此処最近で一番はしゃいでいた柚の耳に、馬蹄の響きが微かに聞こえてくるころには、少女の鞄は笑えるほど膨らんでいた。店主を連衡した月達は妙に上機嫌で出迎えた少女を何事かと首をかしげたのだが。
改めて店主の女と医者の中年男を円座に囲み、五人はじっと視線を注いだ。これが今回の事件の原因であり、三人の胃痛の原因であり、二人の屈辱の原因である。色とりどりの敵視の視線にさらされ、二人の小悪党の顔からは、完全に血の気が引いていた。
「どうします?ジェイドさん」
沈黙を破ったのはやはり月だった。話を降られた女傭兵は物騒な気配はそのままにわずかに疑問をうかべる。
「何故私に尋ねる」
「今回直接こいつらの被害を被ったのは私と貴女ですから。復讐の権利は我々にある、それが私達の考えかたですから」
「言われてみれば、たしかに、な」
猛禽類を思わせる暗緑の眼を眇め、ジェイドは口の端を歪めた。
「知らずとは言えカブセラの傭兵に喧嘩を売ったんだ。それ相応の酬いをうけさねば、な」
血の気が引き蒼白だった顔色が、土気色に転じていく。もし猿轡をかませていなければ喧しい嘆きと命乞いの騒音で耳を塞ぐ羽目になっただろう。それですますほど、甘くあるはずもないが。
一歩分輪を縮めジェイドは山賊刃を抜き放った。耳障りな音を立てて現れた血曇りの刃に、男女の狼狽は深くなる。互いを蹴り合ってでももがこうとするそれに、侮蔑のまなざしを投げかけ顔面ぎりぎりにさしかけ、次いで勢いよく動かす。
髪の一部を削ぎ落とし、皮膚に食い込む感触が無感動に与えられる。床に滴る血液と散らばった髪に、恐怖は一気に恐慌へとさしかえられていく。
因みにこの時点でゆえ、翔、柚は完全に傍観の構えである。ゆえだけはわずかに困惑気味であるものの、二人の苦笑めいた眼差しにひとまず静観を決めた。
男と女は終には脂汗と涙で顔面を汚し、深くうつむき震えだした。そこでやっと手を止め、ジャイドは月と眼差しを交わす。
「お前達の財、これはすべて私がもらう。馬一頭だけくれてやるから今すぐ私の目の前から消えうせ、二度と現れるな。再び東南街道に踏み込めば――――――次こそその汚い首を貰い受けるぞ」
ついっと進み出た月も強制的に視線を上げさせ、にっこりと冷笑した。
「そしてもう二度とこの方法で儲けようとは考えないことですね。私達は旅人、どこにいたって風の噂は耳にしますから」
暗に隠れても無駄だと止めを刺し、最後の企みを踏み砕く。
美しい悪魔のごとき娘達に骨の髄まで脅された二人は、四人が見張る中街を後にするその時まで、震えが止まることはなかった。
緑に白み始めた空を走り去る馬影が消え去ると、柚はぽつりと呟いた。
「後ろ盾があるのって、やっぱ違うわね」
脅しにも何というか迫力の重みが違う。しきりに感心した風情の少女にジェイドは微笑みかけた。
「では柚もうちにくるか?」
ぎょっとするいつくもの視線に鮮やかに笑いかけ、胸を張って宣言する。
「せんだっては月に断られたが、いま改めて四人に尋ねよう。私と共にこないか?」
「俺らも?傭兵になれってことですか」
「もちろんそうしてくれれば嬉しいが、急いで決めなくとも別にいい。まずは私と共に旅をしないか?我らはこのままこの海道を東に進む。まずは途中までと思ってでもいい、一緒に来ないか」
一息に言い放つった後、薄墨と薄茶と黒と藍の瞳に見つめられ、ジェイドは照れたように頬をかいた。
「丁度あいつらの使っていた馬車もあるから、馬に乗れなくても行けるぞ」
「いえ、そう言う事でなく」
なぜ誘ってくれたかを聞きたいのだと伝えると、女傭兵は肩をすくめて見せた。
「対して意味はない。ただ、お前達ともうすこし付き合ってみたいと思った。おもしろそうだ、とな」
今度は四人が顔を見合わせる番だった。無言の問いかけ合いに、くすりと笑いが漏れる。
「馬車の旅なんて久し振りだな。闇花抜けて以来じゃないか?」
「いいの、翔」
「いいじゃない。ここまで言ってもらったんだから。月がお世話になったこともあるしね」
一人沈黙するゆえに目を向ければ、すっと視線を合わせられた。
「お前が決めればいい。俺は、それに従う」
三人の言葉を受け、月は深く頷きくるりとジャイドに向き直った。長く編んだ三つ編が、動作につられくるりと弧を描く。
「では、お言葉に甘えて。一緒に行かせていただきます」
深く頷き差し出された琥珀の手を、月の白い手がしっかりと握りしめた。じんわりと拡がる空気を吹き飛ばすように、柚が高い声を上げる。
「そうときまれば出発ねー、もう朝近いけど。空白み始めているわ。ああ、私カテクたちにお別れ言ってくるから」
「俺の分も頼む。残って馬車の準備はやっとくな」
「じゃあ私もミュリネさん達に挨拶しておかないと」
おそらく店主の青年も、その妹もとても複雑な顔をするだろうと柚は苦笑をかみ殺し、じゃあねと林へ足を向けた。
「ついでに、医院とあの店の管理も兄に押し付けよっかしら。それくらいは任しても引き受けてくれるだろうし」
まともな食材もあるし勿体無いしねーと店へ向かおうとした少女の肩に、かすめるように手が触れた。
「月」
己の名をつむぐその声に、一瞬動作が止まる。周囲の音が掻き消えたように、虚空に静かな空間に掘り出されたように、ひとつの音だけが耳に残り余韻を残す。
あまりに永く、呼ばれなかったために。呼び止められた名前は違和感を残すほど奇妙な心地がした。不思議と自分の名を口に乗せようとしなかった、過去に姿を消した少年。
ゆえ、そう応える声がかすれたのに、月は自分で哂ってしまった。自覚しない動揺の現れのようで妙にうろたえる。
そんな少女の様子に頓着した様子も無いのは、本当に変わらないと。真剣な薄茶の眼差しを受け、月は薄墨の瞳を和らげた。
「俺が、前に消えた後の、あんたの様子を翔に聞いた」
「――――――そう」
それで、と語尾を切り、ひどく戸惑ったように瞳を伏せる。だが再び向けられた眼は先程の真剣な光を宿していた。
「俺は確かに、お前の前から姿を消したかもしれない。――――――けど、俺は、帰ってきただろう」
呼吸が、止まる気がした。
それだけが言いたかったと足早に立ち去るのを、見送ることも、引き止めることも出来ず棒立ちになり立ち尽くす。
しばらくあと気配に振り返れば、温かな手が肩口に置かれる。
「・・・・・・翔。聞いて」
「ああ」
「ねぇ、つまんないこと言っていい」
片手で口元から頬にかけて覆い、月は吐息と共に囁いた。
「初めて、前のゆえと今のゆえがぴったりと重なった気がしたわ」
泣きそうな声に翔は小さく、俺もだと答えた。
七章 罠 ~思う、心~ 終
※※※
やっと完結できました!!
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