第七章 罠 九
九
「改めて名乗ろう。私の名はジェイド・ホルタス・カブセラだ」
その名を聞いた瞬間、月の薄墨の瞳は見開かれ、次いで細められた。
固く結ばれた唇が、笑みを形作る。
銀に光る瞳を見つめ、つられたようにジェイドも紅い唇をゆがめた。
一気にひきしまる空気にノロス達だけがついていけず、きょろきょろと首を廻らした。妙に小動物的な動きは、姉妹そろっているからこそ場違いな愛嬌を振りまいている。
「あーのー?物騒な笑顔浮かべてるとこ悪いんだけど、何がどうなってるかあたし達に教えてくれる気はないわけなの?」
「ノロスさんもしかして、知らないんですか」
月の口調には厭味がなくノロスは小麦の髪を揺らし、素直に肯定した。
「これまで生きてきたあたしの生涯で傭兵なんて今まで馴染みなかったもの。ぶっちゃけていえば現役ばりばりの傭兵見たのなんて始めてよ」
「なんか根本的に慣れてないなとは思ってましたが、今のでわかりましたよ。ノロスさんって本来、定住者でしょう?」
しまったとばかりに口を閉ざしたノロスだったが、諦めたように吐息を洩らした。
「そうよ。ずーっといままでは町の人間だったわ。旅なんて始めたのはついこないだよ。でも、なんでわかったの?」
旅人暦がほぼそのまま年齢に直結する少女は、あっさりと答えた。
「一箇所に留まる生活をしてる人なら、傭兵という人種に接点がないのはあたりまえでしょう。ですが、私たち旅人には必ず必要な知識のひとつですから。
中でも緑と黒の紋章を旗印にした東南海道のカブセラ傭兵団といえば、知名度や規模などもろもろで一、二を争うほどの何代も続く大傭兵団ですよ」
そして、と鋭く輝く銀の眼差しを、ジェイドに向ける。たじろぐ事なく受けた女は、ついっと笑みを深くした。
「中でも『カブセラ』自体を名乗れるのは直系血族のみ。ここにいるジェイドさんは、この傭兵団の長の縁者というわけですよ」
「ふぇ?」
奇声を発し、少女はぴきっと固まった。
「・・・・・え?ええぇえ?!!嘘ぉ?!」
それでようやくわかった。
ジェイドの姿を見るなり傭兵達が硬直したのも、下にもおかない扱いで出迎えたのも、ひとつの天幕をわざわざ空けて三人に提供したのもみな、この女の身の上のおかげだったのだ。
「そんなたいしたものじゃないさ。うちの一族は結束が固いだけさ」
静かに目を伏せる動作はどうやら照れかくしらしい。困ったように髪をかき上げ、ジェイドはひかえめに微笑んだ。
「まあ、正体も明かしあったところで本題に入ろう」
勇ましく足を組み替えるとジェイドは表情を真剣なものに改め、ひたと二人を見つめた。
「こんな形で出会ったのも何かの縁だ。お前達もうちに入らないか?」
「・・・・・・えっと、あたしもなの?」
ああ、と答えた真剣な緑の双眸に、薄墨と黄色の眼が動揺に揺れる。最初に口を開いたのは、ノロスのほうだった。困惑を貼り付けた顔は、なぜその話が自分に来るのかが、不思議で仕方ないらしい。
「えーと、あんたが月を誘いたくなるのは、なんか同士って感じがぷんぷんしてくるからわかるんだけど、なんであたしもふくまれてんの?もうわかっちゃってると思うからいうけど、あたしとろいし、この子だっているし、ぜんぜん強くないわよ?足ひっぱるわよ?」
「“同士って感じ”ってどういう意味ですか」
「腕が立つもの同士ってこと。それくらい聞かなくてもわかるでしょう」
「わかっても聞きたかったんですよ」
「話し、続けていいか?」
こめかみに手を当てジェイドが、脱線しかけた話を戻した。
「確かに戦闘員として月の腕を買ったのは認めるが、ノロス。お前もそうそう自分のことを悲観したものでもないぞ?」
「そうですね」
「ええ?!な、なんでよなにがよ」
思わぬ褒め言葉に、ノロスのそばかす顔が瞬時に赤く染まる。それをいたずらっぽい笑みで見つめていた月は、当てて見ましょうか、と言った。
「多分ジェイドさんがあなたを買った点は“思考力”。ですよね?」
「当たりだ。ああいった状況であるだけの情報の中から敵の思考を読み、最善の手を打つ。それは下手な戦闘能力より遥かにいい」
だからほしいと真顔で続けられ、別の意味でノロスの顔が染まった。
「く、口説かれてるように、聞こえるけど?」
「ってか口説いてるんでしょう。無自覚っぽいけど」
赤い頬に手を当てしばし可愛らしく唸った後、少女はふと表情を消し、黄の瞳をジェイドに向けた。
「返事する前にひとつ謝らせて。いままであたしあんたのことただなヤな奴だと思ってた。だから、ごめん」
一つ息を吐き、妹の差し出した腕をとり守るように膝に抱える。
「あたしはこの子を守らなきゃならないの。だからジェイドの申し出はすっごーく嬉しい、もしほんとに置いてくれるなら、喜んで何でもするわ」
無造作に、だが心から嬉しそうに差し出されたジェイドの手をノロスはしっかりと握った。
「でもホントにあたしにも仕事あるの?」
「傭兵といっても木石で出来ているわけじゃない。怪我もすれば、飯も食う。お前に頼む仕事はそんな後方部隊だな、あとは繕い物とか、日々の雑用なんかも頼むと思うが」
「そんなのなら任せて!賄いならさんざんやったわ」
嬉しげに笑いあう二人に、遠慮がちな声が掛かる。
「話がまとまった処に水をさすようでものすっごく心苦しいんですが」
月は困ったように眉を寄せたが、きっぱりと言い放った。
「私は、お断りします。私にはもう、仲間がいるんです。大切な」
とても大切な、そう告げ月は控えめな微笑を浮かべた。
その笑みはふたりの虚を衝くのに、十分なものだった。
やわらかな笑みは、月というこの少女が常にまとっている張り詰めた緊張感からかけ離れた、年相応の少女の無防備な笑顔で。
「ならば、仕方ないな」
ジェイドがそう呟くと、ノロスは拗ねたように顔をしかめたが何も口にはしなかった。
「では月はこの後どうするんだ?」
「あの町に戻ります。そこで待っているので」
「断言するのか?」
「ええ」
何せ書置き残してきたので、などとは流石に言わず月は続けた。
「お誘いを断った直後にあれなのですが、ジェイドさん幾らか貸してもらえますか?後から五倍にして返します。といっても生憎何も対価にできるものが無いので、正直断るのが普通でしょうが・・・・・・」
「何を言っている」
薄く微笑み、ジェイドは腰を上げた。
「あそこから逃げられたのは、私たちの誰がかけても無理だった。ならば私は月に恩があり、月は私に恩がある。ならば先に返すのも悪くない。
それより町まで帰るなら、金より馬のほうがいいだろう。貸すぞ」
月は深く息を吸い、そのまま吐き出した。
「ありがとうございます。ジェイド・ホルタス・カブセラ。私の名にかけて、借りた恩はいつか返します。でもやっぱりお金にしてください、私まともに馬を扱えないので」
精々歩かせるのがやっとです、と続けるとジェイドは事も無げに言った。
「なら、私が送っていこう」
傭兵団に所属すると言う証である緑黒の腕章を巻き、山賊刀を腰にさしたその姿は、立派な女武者だった。
「根本的に人種が違うわー」
思わず遠い眼になってしまう。本当にこの人と同じ傭兵になんて自分がなるのだろうか。隣に並んだ月が、同じ装いに身を包み、それがまたよく映えているものだから、ノロスは唸るしかない。
「はやまった、カモ」
「もう遅い。言質はとった。もう逃がさないぞ?」
「え、ちょっとまってあんたってばそういう性格なの?!聞いてないわよ?!」
何だか幼馴染二人のやり取りを思わせる二人の舌戦に、自然と月の心が和む。
(もうすぐ、帰れる)
三人の元に。
たぶん、ものすごく怒っているだろうが。
勝手にこんな“賭け”をしてしまって。
「まあ、黙って起こられる気はさらさらないけどね。 お二人ともー、中いいのはわかりましたから、そろそろ出発させてください?」
痴話げんかはジェイドさんが帰ってからいくらでもどーぞといえば、倍の勢いで言い返された。
気を取り直して天幕から出ると、すぐさま男の一人が立ち上がり近づいくる。
「ご用ですか」
「ああ、月を町まで送ってくる。ジルトを引いて来てくれ」
「へえ、ですがお嬢の馬では二人乗りは可哀想でしょ。その娘さんにも別のを用意しますか」
「月は駆ける事が出来ないそうだ。それに子供みたいに軽いから大丈夫だろ」
「まだ十四ですから子供なんですけどね」
「十四!?」
ジェイドは大げさないくらい眼をむいて叫んだ。碧玉の眼が、いまにも零れ落ちそうだ。
「十四でその腕前とは末恐ろしいな」
「あなたにだけは言われたくないな」
間髪いれずに言い返し、月はため息を吐いた。
「けど残念ながら見た目ほど軽くないですよ」
ジェイドからみても、月は華奢だがそこそこ長身でもある。肩をすくめて、無言でどこかを目指して歩き始めた。しかたない、と言いたげな風情に首を傾げながらも無言で後を追うと、歩いていった先は、中央と思しき場所に作られている焚き火だった。
その中心にはがっしりとした体躯の男が無造作に大刀を手入れしている。厳つい顔つきや、装備からどうやら首長らしいなどと月がと思っていると、その横をすたすたと歩みジェイドは男の前で足を止めた。
「親父のバイジャを貸してくれ」
「金貨二十枚」
いろんな意味で目を剥く月とは対照的に、ジェイドは顔を舌打ちを一つ落としただけだった。
「高い。金貨五枚」
「金十九」
「金九」
「十八」
「十一」
「十七」
「十三っ」
「十七だ」
「・・・・・・足許見んのもいいかげんにしろよ親父」
「自分の馬鹿やった結果だろう。酌量の余地はねぇさ」
父娘の睨みあいを、仲間の数人がおかしそうにはやしたてている。
「ただでさえお前のために二人も抜けてんだ。金貨十五枚でかしてやるからどこいくか知らんが、とっとと行ってきやがれ」
まだまだ高いと思ったが、これくらいが潮時だろうとジェイドは引き下がる。鞍をつけるのを手伝いながら、月はこっそりとジェイドに訊いた。
「もしかしなくても実の娘へ馬を貸すのに、金貨十五枚もとったんですか?」
非難めいた言葉に、ジェイドは首を振って苦笑した。
「まあしかたないだろう。傭兵にとって馬は命にも等しい物なんだ、剣と同じく、な」
その言葉に月も納得した、確かに愛刀に対する思い入れは剣士ならば理解できる。
「では急ぐぞ、月。親父の血管切れないうちに、帰ってこなくてはならんからな」
「・・・・・・・・あ?」
「お?」
「あら?」
同時に疑問符を口にした三人は、声をそろえて言った。
「何でここにいる?」
夕暮れの道角に一瞬微妙な沈黙が流れる。
「こっちはお前のこと夕飯に呼びに来たんだよ、柚」
妹が意識を取り戻ししばし時がたった後、店主の青年は二人を店の厨房へ呼びつけるといぶかしむ二人をよそに、黙々と料理を作り始めたのだった。
立ち去ることもできずにそれを眺め続けること数十分。
最後の料理を仕上げ、何事もなかったようにその場を立ち去るかと思われた青年は、ドアの所で謝罪と感謝の言葉を口にしたのだった。
唐突なそれに面食らっているとすぐさま扉の向こうへと足早に去ってしまったのだが。
「やっぱあれだよね。あの兄って似てるわよね」
「そーだよな。唐突なとことか、脈絡無視なとことか、気恥ずかしいときや気まずいとき一言だけ言って立ち去るとこなんか特に」
無言で視線を注がれたゆえだけが、主語の抜けた会話が理解できずにいぶかしんでいる。
「絶対さ、月がほだされたのってあの妹の方より兄の方って気がしてならないのは私の妄想だと思う?翔」
「いいや、俺は力いっぱい全力投球で同意するぞ、柚」
「・・・・・・何の話してんだよ、さっきから」
なんでもない、の一言で二人はゆえの疑問をすっぱりと切り捨てた。
「で、お前の方はなんでこっちに向かってたんだよ」
「あんたの包帯替えに来たの、ほーうーたーい!!」
びしっと目の前に消毒液とおぼしき液体を掲げ、柚は声高に宣言した。
「あんた怪我人って自覚ないでしょう?!『月と再会した時少しでも機嫌がいいように傷治すのに専念する』んじゃなかったの?!一日一回は消毒しなきゃ傷が膿む危険があるっていっつも言ってるじゃないの。なのに、なのによ。昼過ぎても日が暮れても一向にくる様子がないから私が出向いてきたんじゃない!」
しまったとばかりに今更ながら手のひらの包帯を見つめるが、柚からは冷たい一瞥がむけられるだけ。すこしばかり眼を泳がせ翔はうめいた。
「こっちまで余波がきてんじゃねーか月の奴・・・・・・」
「なにか、言った?」
「ナンデモアリマセン」
ぼんやりといつものやり取りを眺めていたゆえは、不意に顔を西へと向けた。
暮れる太陽を山肌に飾った光景は、視界のすべてに緋の光を投げかけている。一色に塗り込められた視界のことさら光の強い方角を見つめ、何事か呟いた。
「え、なに?何か言ったゆえ」
「・・・・・・あぁ、いや。別に・・・・・・」
自分でも何を言おうとしたか思い出せない。
そのことをいぶかしむ前に予感めいた感覚がよぎり、五感のすべてが西へと向かう。
「・・・・・・馬、か?」
今度こそ呟きを聞き取った柚は、つられるように顔を動かした。
閑散とした町並みの比較的開けた、本来ならば目抜き通りであろう道の遠くから、規則正しい音が風にのって運ばれてくる。ややこもったそれが馬蹄の響きだと気づく頃には、影絵のような黒駒が眼に映った。
「うわぁー、すっごい綺麗な馬」
「見事っつーか、高そうっつーか。大国の軍馬級の馬だな。何でこんなとこにいるんだよ。伝令かなんかか?」
会話を続ける間にも、豆粒ほどだった大きさだった馬影は、みるみるうちに大きくなっていく。蹄の音がひときわ大きく響き、我に返った。
「ぼうっと眺めてる場合じゃなかったな。あんなのに蹴られでもしたら、骨を折るくらいじゃすまないぞ」
「そ、そうよね。ほらゆえも」
ぐいっと腕をとられ、後ずさったものの視線は魅入られたように馬影の姿を捉え続ける。
一陣の風とともに、黒駒が走り抜ける。同時に視界をよぎる馬上の二つの影。
煽られた髪が視界をさえぎり、乾いた砂が巻き上げられる。反射的に咳き込む合間に、耳慣れた声が飛び込んできた。
止まってください、と数回繰り返された声は騎手に届き、馬はゆっくりと歩を緩め弧を描いて馬首を返した。
黒駒を操っていた騎手は見慣れない琥珀色の肌をした美女だが、響いた声は間違いなく。
「――――――月」
いささかぎこちない動作で馬から下りた少女は、ただいまとだけ呟き、微笑んだ。
※※※
再会。