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夢物語  作者: 矢玉
第七章 罠 
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第七章 罠 七

     七


「追い掛けないのか?」

 ゆえは二人から告げられた『一時待機』の考えに首をかしげる思いがした。内心それに同意しつつも、柚は首を横にふる。

「帰ってくるって書いてあったでしょ。だったら私達は待つまでよ。何か月なりに考えがあるだろうし」

 まあ、とげっそりした顔で柚は金の頭たれ、うなだれる。

「ろくな考えじゃないんだろうけど」

「言うなよ」

 二人は暗い顔で同時にため息をはく。ふと会話が途切れれば、ひかえめな朝の喧騒が耳に入る。

 何とも穏やかなそれは、激しく心象に合わないもので。

「っつあー、もう!ありえないわ。ねぇ何で!?わざわざ騙して毒盛って、売りとばした相手を助けるような手助けしてると思う?!私達!!」

「お前昨日も同じ事叫んでたぞ」

「何度だって叫びたくなるのよッ」

 金髪をくしゃくしゃにし叫ぶ少女を見つめ、唐突にゆえは口を開いた。

「そういえば・・・・・・結局なんであの人倒れたんだ?」

「アナフィラキシーよ」

 きぱっと言われた耳慣れない単語に、少年達は顔を見合わせた。

「生体が特定の物質、いわゆる抗原に対して抗体を作り、再び同じ抗原が入ってきた時に起こる抗原抗体反応の事よ」

「いや、詳しく説明されてもますますわかんねぇから」

 ちっと舌打ちが聞えた。いつになくがらの悪い様子に翔は注意深く問い掛けた。

「柚さん・・・・・・?」

「ああもうだから!アレルギー反応の一番強力なやつの事よ!!今度こそわかるよね?わかったわよね?!」

 剣幕に気圧されつつ、二人は口々に言い始めた。

「アレルギーってあれだろ。花粉症とか、体に合わないもの食べると出来る斑点とか」

「・・・・・・昨日の卵もそうじゃなかったか?」

「そうよ。何でアレルギー反応は知っててアナフィラキシーは知らないわけ?!」

「いや、普通に医学用語理解してる十四歳なんてそうはいないぞ?」

 翔のもっともな言葉も、今の柚には気にさわるものでしかないらしい。苛立ちもあらわにがたりと音を立て、立ち上がる。

「何でも良いわよ!じゃあ私でかけるから!暗くなったら戻るわ。それ前に月が帰ってきたら呼びに来て」

 乱暴に鞄を掴みそのままの勢いで飛び出して行く。少女を呆気に取られた表情で見送ることになった少年達は姿が見えなくなった途端、深いため息を突いた。

「何であんな荒れてるんだ・・・・・・?」

「月の事でぶち切れてるからだよ。月が帰ってきたら相当の修羅場になりそうだな」

 予言めいた翔の言葉に今からゆえはうんざりした。




 話題の中心となった少女はその頃、常とは別人のような身振りでしずしずと廊下を歩いていた。ぴんと背をはり、しとやかに、たおやかにすら見えるその姿は、周囲の目を惹くこともなく自然にとけこんでいる。

 後ろに続くジェイドとノロスは昏倒させた女達から強制的に借り受けた衣装を身に纏っていた。ノロスの方はさらに腕に引き剥がしたカーテンを抱えている。その中には意識の戻らない妹が包まれていた。

 長い廊下を平然と歩き、客や年長者と思われる人物には軽く頭を下げて進んでいく。その堂々とした歩きぶりからはとても逃亡しようとしている人間とは思われず、ここまで何ごともなく歩いてこられた。

 だが突然、階段を下ろうとした月の肩が痛いほどつかまれる。

「駄目よ」

「え?」

 踊り場から覘きこんだ先に、階段を上がってくる人物は二人。裕福な身なり中年男と、派手に着飾り宝石を身に着けた妙齢をとうに過ぎた女。

「女のほう。あれはたぶんここの主人よ」

 ジェイドと月の顔色が変わった。

 他の娼婦や客ならばごまかせるが、主人ならばそうはいかないだろう。寝顔を見られている可能性もある。音を立てぬよう駆け上がり、空室の表記のある部屋へとすべり込む。

 内鍵を掛けようとしたジェイドは舌打ちを洩らす。そこには下げる形の錠ではなく、金の透かし彫りをほどこした鍵穴が存在した。

 部屋を見渡し、身を隠せそうな場所を探す。

 天蓋つきの悪趣味な大きさの寝台に、ゆったりとした長椅子と揃いの一本脚の円卓。高級そうな家具が並ぶこの部屋は、おそらく娼館の中でも一、二を争う値の張る部屋なのだろう。

「嫌な予感がするわ」

 裾の長いカーテンに潜り込みながら、ノロスのささやき声が耳に届く。

「女主人がじきじきに案内するって事は、そーとーお大尽かもしれないわ」

 身分の高い客に、高級な部屋。

 顔をしかめた三人が予想の外れを願う中、無常にも扉の開閉音が響き渡る。

「誰も、おらぬぞ?」

「あらまぁ!もうしわけございません。いったい何をやっているのか。すぐに他の娘を呼んでまいりますわ」

「いや、今日はロゼビアの声を聞きたいのだ。なに待つのは苦にならぬさ、あれの歌が聞けるのならばな」

「光栄でございますわ。あなた様に目を掛けていただくなんて、あの子もなんて幸運な子なのでしょう」

 しばらく食器が擦れあう音や衣擦れの音が聞え、やがて止んだ。

「では少々お時間を頂きます」

 息を殺し、耳をそばだてて女主人が退出するのを聞き届けると三人は顔を見合わせた。ジェイドが目だけでどうすると問い掛けるのに月が頷き、耳元に口を寄せ小さく声を出す。

「私が呼ぶまで出てこないで下さい」

 このままこうしていても、やがて大人数がこの部屋へと集まってくるだけだろう。気は進まないが今動くしかない。軽く深呼吸し、手にした箒を転がし可愛らしい悲鳴を上げる。

「誰ぞおるのか?」

「申し訳ございません・・・・・・」

 おどどした表情を作り、すっとカーテンの裾から姿を現す。そっとその場で片膝をつき頭を垂れた。

「掃除をしておりましたら、このような時間に」

「・・・・・・その姿でか?」

 緑の衣裳の襞飾を見下ろし、まずいと思いながら言葉を継ぐ。

「実は着替えてから、箒を置き忘れたのを思い出しまして」

「そうか」

 足音が近づき、顎をつかまれ顔を上げさせられる。ほう、と満足そうな声が分厚い唇から洩れた。

「見ない顔だな」

「まだ見習でございますゆえ」

 本来ならここで名乗るべきなのだろうが、東極の響きの本名では目立ちすぎる。

 かといってすぐに偽名なんて思いつかないし、などとこっそりそう考えながら、はにかんだような笑みを浮かべて誤魔化した。男の顔にますます面白がるような表情が広がる。

「なかなか美しいな、そなた。見習と言ったか?」

「はい、そうでございます」

 肩に置いた手をわざと素肌に触れるように置き換える。すぐさま払いのけそうになる手を意識して止めながら、作り笑顔のまま頷けばますます満足そうに笑みをふかめられた。

「気に入った、今宵はそなたを――――――」

 男の言葉が途切れると同時に、鈍い打撃音が耳に入る。うめきもせずに倒れていく男をわずかに体をかたむけて避ければ、男はそのまま絨毯へと沈没した。

「呼ぶまで出てくるなって聞えませんでしたか?」

「私はこういう男は好かんのだ」

 男を一激で昏倒させたジェイドはきっぱりと言い放つ。侮蔑に眼差し鋭くし男の肩を蹴りつけた。

「どうせ月はこの男を倒すつもりだったのだろう。早くなって良いじゃないか」

「まあそうですけど。じゃあとっととこの人縛りますか」

「し、縛るの?」

 動揺も露に尋ねてくるノロスに、当たり前といった風情で月は頷いた。

「このまま転がしといたんじゃいつか気がついて騒ぎ立てます。それより行方不明になってくれた方が遥かに動きやすくなる」

 その間にもてきばきと手を動かし、猿轡をかませ男をうつぶせに転がす。その横からぬっと手が現れた。驚いて見返せば、紐状のタッセルを手にしたシェイドが立っていた。

「つかえるだろう?」

「ええ、ありがとうございます」

 タッセルで手足を縛り上げ、寝台の下に男を隠してしまうとさっさと部屋を出ようとしたが、ふいにジェイドが足を止めた。

「どうかしましたか?」

 ジェイドが足を向けたのは一本脚の小机。手元を見た月の薄墨の目が銀に輝く。

 琥珀の手にあったのは小ぶりなナイフだった。果実などを向くための包丁として使うそれ。ごてごてと装飾の多いそれを軽く降り、満足そうに呟く。

「丸腰というのは落ち着かなかったんだ。こんなちっちゃな刃でも無いよりましだからな。それに――――――」

 ザクり、と音を立てて蜜柑に刃を立てれば、瑞々しい香気が広がる。

「切味は悪くない」

 ぼうぜんと、ただぼうぜんと二人の様子を眺めることしか出来なかったノロスは、ぽつりと呟いた。

「何者なの、あんた達」

 それぞれ作業にいそしんでいた二人は顔を見合わせ、同時に言った。

「ただ人だが」

「普通ですよ」

 どこが?!とでも叫ぼうとしたのだろうが、大声を出してはまずいと自分の口を手でふさぐ。そのしぐさがなんとなく可愛らしく見え、月は思わず微笑んでいた。

「で、これからどうするんだ?」

「さっき下ろうとした階段は一段分で終わってました。だからあれを降りれば一階のはずです、そしたら窓からでも逃げれるんじゃないかと――――――」

「それは無理」

 否定の言葉を口にしたのは、以外にも小麦の髪の少女だった。

「たいていの娼館じゃね、一階から二階へあがる階段は特別に店の中央にあるものなのよ。あそこはどうみてもその大階段じゃないわ。だからたぶんここはまだ三階。それに窓には格子がはめられてて出ることなんてできやしないわ」

 すらすらとしゃべりだした少女に驚きの表情が向けられたが、ノロスは気づかず考え混んでる。

「出れる可能性のあるところっていったら厨房かなんかの裏口でしょうけど、この格好じゃ無理っぽいしねえ。

 あ!洗濯場、洗濯場なら大丈夫かも!・・・・・・あーでも、それでも塀はあるか。正面からって手もあるけど、女三人じゃ目立つどこの騒ぎじゃ無いだろし、門番いるだろし」

「門番の人数の予想はたつか?」

 ジェイドの問いかけにノロスは瞳を瞬かせた。

「この時間だったらせいぜい一人か二人だろうけど、な、何考えてんの?先言っとくけど倒すなんて無理よ?!たいていが傭兵崩れの連中が雇われてるもんだし」

「大丈夫さ」

 笑みを深くし、ジェイドは小さな刃をひらめかせた。本来果実などを剥くはずのそれは琥珀の手の中で、どきりとするほどの鋭い軌道をえがき輝きをはなつ。

「そうですね、何とかいけそうです」

 思案顔だった月も表情を改め、ノロスを振り返る。

「ぐずぐずしてても状況は好転しませんよ。損になるほど分の悪い賭けにはならなさそうですしね」

 ノリスを先導に進み、程なくして大階段は見つかった。

 階に立てば眩暈のするような高さは、宮城にさえ似ている気がしてくる。床という床すべてに敷き詰められた赤絨毯も、処々におかれた陶磁器や剥製も悪趣味ながらも高価だろうと思わせた。

「娼館ってこんなに儲かる商売なんですかね?」

 月のもらした独り言からノロスは顔を背け、目立たぬよう細心の注意を払いながら階段を踏みしめる。気がはやり、つい足早になるのを意志の力で押しとどめ、ようやく一階へと辿り着いた。

 一階は大広間になっており、開け放たれた玄関からは、正面の外門が開閉するさまさえはっきり見通すことが出来た。大きく開く正門を恨めしいげに眼にした後、ノロスはきょろきょろと視線をさまよわせた。その小動物じみた動作を銀と暗緑の瞳が不思議に眺める。

「どうしたんです?」

「店のもの用の通路探してるんだけど見当たんないわ。そりゃ目立たせないのが基本でしょうけど、ここまで隠さんでもいいのにっ」

「ああ、だったらこの階段の裏じゃありません?この地域じゃ水場は北に集められているはずですから」

「え?」

 裏側に廻れば、同色の木材を用いてつくられたと思しき小さな扉が見つかった。

「何でわかったの・・・・・・?」

「ああ、地図で見てこの辺の地理は頭に入れてあるんですよ」

「違う、そじゃなくて、さ」

 言いよどむノロスの言葉を継ぎ、ジェイドが言った。

「どうして室内で正確な方角がわかったのか、そちらを聞きたいんだ」

 そんなの、と笑いを含んだ声で月はすっぱりと断言した。

「勘に決まってるじゃないですか」

 絶句するジェイドの横で、実はこの人実は猫とかじゃないかと一瞬本気で考えたノロスだった。




 扉を一枚隔てるとそこはがらりと雰囲気が変わった。湿気を帯びた空気は塵混じりな上さまざまな臭いがこもっており、思わず口元に手をやってしまう。床はむき出しの土間が延々と続き、雑踏にも引けをとらないくらいの人間が慌ただしげに動き回っている。

「こっちよ」

 慣れた様子で人を縫っていく後姿に慌てて我に返り、二人は小さな背中を追った。

 ノロスが足を止めた一郭は、騒々しい雰囲気だった。働く人もみな焦燥をつよく感じさせる風情でそれぞれ身の丈ほどの桶に水を入れたり、汗を滴らせながら踏み洗いに精を出している。肌に感じるほどの湯気の向こうに、捜し求めていた扉がみえた。思わず三人とも顔をほころばす。

 その時。

「ちょっと!あんた!そこの緑と青と紫の服の三人組!!」

 威勢のよい声に、思わず足がこわばる。声の主はずかずかと近寄り、ジェイドの身にまとう薄青のドレスの襞を持ち上げた。

「やっぱり。ちょっとこれどういうこと?!この服あたしがロゼにかしたものじゃないの。何であんたが・・・・・・って、あら」

 女の憤慨が、困惑にすりかわる。

「あんた、誰?」

 月が述べようとした偽りより半瞬早く、扉から男が飛び出した。

「大変だ!仕入れたばっかの娘三人、足抜けしようと逃げ出しやがっ」

 とっさに足払いをかけたジェイドの判断の運否はわからない。ただ後戻りできなくなったことだけは確かだった。

「逃げますよっ」

 凛然と響いた声に、二人は同時に駆け出した。

 虚をつかれ出遅れる者どもの手をすり抜け走る。後ろからつかまえろ、という声に気をとられ、ノロスが振り返りかけた。

「――――――いやぁッ」

 踏みとどまった衝撃で、靴底が熱く擦れる。振り向いて眼に映るのは、小麦の髪をつかまれのどをのけぞらせた少女の姿。

 舌打ちをもらす横を琥珀の影が横切る。ジェイドはそのまま駆け寄ると、髪を握る男の腕浅く薙いだ。ぱっと散った朱とともに、野太い悲鳴が廊下に響き渡る。

「ありがと」

「とっとと行け」

 妹を抱き直すノリスに顔を伏せてジェイドは答えた。

 古箒だったものを壁に叩きつけ、柄の部分だけをとりだした月もジェイドと並び追っ手に打撃を与えていく。黒髪をなびかせた少女の参戦に獰猛な笑みで答え、ジェイドの動きは更に加速した。

 四、五人を伸したところで行き戻りしているノロスに追いついた。開口一番、ジェイドが怒鳴る。

「早く行けといっただろう!!」

「行きたいわよ!けどどっちに進めばいいか、わかんないのよ!」

 その言葉にはジェイドも顔をしかめた。確かに当初の予定だった裏口はあきらめるしかないだろう。そうなると、どこへ行けばいいのか。

「戻りましょう」

 冷静な声が届く。こんな時でもそれは涼やかに響き、頭に上った血が一気に下がる心地がした。

「あの表の場所なら客の眼があり、そうそう乱暴な真似もできません。いったん隠れるなりなんなりして、やり過ごせば何とか」

 そうだと口々に同意し、もと来た道を駆け戻る。途中追っ手に出くわしながらも少女たちの逆走という行動に仰天した男達は、おもしろいように立ちつくしていた。

 土間が絨毯へと変化するころにはノロスだけでなく月やジェイドの息まであがっていたが、休む間もなく足早にわかりにくい通路を選んで進んでいった。




「も、も・・・・・・う、そろ、っそろ。とま、っても、・・・・・・いいんじゃ」

 ない、と言葉を発すると同時に、壁にずるずるともたれ座りこんでしまう。

 だがそれをとがめる声は無かった。肩で息をして、無言で同意する。

 三人がいるのは客間が並んだ廊下の一郭だった。しかしなぜだか人目はなく、部屋もドアノブの曇り具合からして、使用された形跡もない。

「これから、どーしよ、うかね、え?」

 流すままにした黒髪が首筋に張りつくのを、月は煩わしげに払いのけた。

 こうなったら格子窓に挑んで見るのもありかもと、そのままふらふらと窓へと歩みよる。外の光に眼を細めようとして、ふと妙な違和感を感じた。

 等間隔に整然と真横に設けられている窓と、眼前の窓は一見変わりなく見える。同じように金を鍍金した金具

がわずかな隙間をおいて生真面目なほどまっすぐ並び、外部からも内部からも行き来を不可能にしている。


 けれど。まぶしくなかったのだ。


 朝陽であろうと、夕陽であろうと、いつも色素の薄い瞳を焦がす日光が感じられない。隙間に額をつけ覗き込み、うかがうこと数十秒。

「あぁッ!」

 二人がびくりと体を起こすのと、薄墨の瞳が輝いたのはほぼ同時。

 不思議がる二人を満面の笑みで手招きし、格子を覗き込むよう身振りでうながす。

「どうです、わかりましたか?」

(・・・・・・?)

 そういわれても、格子越の視界に映るのは立ち塞がるような白い壁と、そよ風にもなびかない立ち木ばかりで――――――動かない、草木。

「嘘・・・・・・」

 手を伸ばせば触れられそうな質感を持つというのに、それは僅かに顔を傾けても、それは少しも変わらない。

「騙し絵っていうんですよ、こういうの」

 月の声に愉快げな響きが加わる。

「本物そっくりに絵を書いて、そこを格子で覆ったんじゃなかなか気づけませんよね。距離があるならともかく仮に本当に外だったとしても、すぐさま壁がある」

 遠近感もごまかせるし、と続け拳で壁をやさしく叩いていく。端におかれた花瓶をどかせば、壁と同色に塗られたノブが現れた。

「そういえば聞いたことあるわ。こういう高級娼館じゃお忍びできて顔を隠したがる専用の部屋があるって。客と、店側の限られたものしか知らないそこは、とうぜん人目につかないように隠し出入り口までついているって」

 少女の小麦色の瞳が期待にきらきら輝いた。

「幸運な偶然ね。奇跡だわ。神々さまありがとう」

「そうだな。神々に感謝しなければいけない、幸運だな」

 ぼんやりと、薄墨の瞳が揺らめいた。そう称した少女の言葉が意外なほど心に残る。


 『神』と口走ることさえ、自分にはなくなってしまったから。どれだけ祈っても、叶わない願いを抱えてから。


「月?」

 訝しげな二人分の視線を受け止め、少女は軽く首を振りノブを回した。


※※※


黄金林檎週間により、連続更新中。

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