第七章 罠 六
六
汚れた天井を眺め、まず月が行った事は己に向っての舌打ちだった。
「ミイラ取りがミイラに、なんて」
間抜けにも程がある、と悪態を呟く。
近日二度目の『目覚めたら覚えのない部屋にいた』という状態であるという事を振り返れば自己嫌悪のあまり脱力する気がしたが、今はそんな余裕はない。両手を使って体を起こし頭を振って辺りを見回せば、薄墨色の目には埃っぽい室内と共に自分と同じ様に床に寝かせられている人物が映った。
一人は二十歳前後の女性。よく日に焼けた肌は琥珀色に輝き、厚い唇は艶めいた女らしさを感じさせる。だがきつい線を描いている眉からは、意志の強さがうかがえた。
もう一人は十代前半と思しき少女。丸い小顔にそばかすが散る愛らしい顔を、小麦色の緩やかに波打つ髪が覆っている。口元のそれを除こうと手を伸ばした月は、ある事に気がついた。不自然な姿勢で横たわる少女は、幼い子どもを抱えていたのだ。
それを見とどけ、月は膝をついて立ち上がった。ふらつくかと思われた足は以外にもしっかりと灰色の床板を踏みしめる。
戸に身を寄せ気配を探るが、今すぐに入ってくるような気配は感じられない。念のため錆の浮く錠を下ろし、再度部屋へと向き直る。
改めて横たわる三人を眺める。女性の方を琥珀に例えるのなら、少女は可憐な花のようだ。少女の抱える幼子も、教会に描かれた天使のような愛くるしさを振りまいている。
(と、いうことは。ここは娼館かしら?)
売られた人間を買い取る所など碌な場所なはずがないが――――――嫌悪感は拭えない。
月は緩く首を振った。その動きにつられ、解き放つままになっていた黒髪が流れるように揺れる。
状況を把握するために、余分な感情は必要ではない。冷静にならなければ打開策も見えてこない。現状把握を優先し、月は思考を開始した。
手足は自由に動かせるが監禁状態にあり、共に閉じ込められている人間は三人。そのいずれも意識を衰失しており、例え意識を取り戻したとしても確実に一人は足手まといになる。その上現在地すら把握していない。
月はうっすらと微笑を浮かべた。
「やってやろうじゃないの」
ふと手首に目をやれば、そこには二筋の赤茶けた痕がある。おそらく一本目は最初に監禁された時のもので、二本目は買い手に引き取られたとき縛られたと思われた。心なしか二本目の方が色が濃く、ずいぶんきつく拘束されたようだ。
月は一本目の痕を観察するようにしげしげと凝視した。まだまだ赤く縄目状に腫れているものの、薄皮が張り血も止っているようだ。試しに軽く手を沿えてみれば予想どおり血は滲んでいなかったものの、激しく痛かった。軽く曲げれば、擦り傷特有の引きつるような痛みが走る。
それから導き出される結論は。
(半日ないし二日は経ってないわね)
髪から生臭さがないため海を渡った可能性は少ないだろう。それは、元いた位置からそう遠くない地点にいると言う事。
視点を転じたカーテンの破れ間からのぞくのは高く白い塀。
脳裏に地図を思い浮かべる。
(あの町から北はデリシア、南はヘリテージ、西は・・・・・・サウサンプトンがあるけどあそこにこんな大規模の娼館はないわね。となるとあとは東はゾンマーモント)
窓から差し込む光は弱々しく白いのだが、部屋は思いのほか明るかった。ぼんやりと霞むような白――――――朝霧が出ているのだ。
月は勢い良く顔を上げた。
(ゾンマーモントは山のふもとの町。しかも周囲を囲むように川があったはず。おそらく、当たっているでしょうね)
嬉しそうに微笑み踏み出そうとした足先にこつんと何かが当たった。
足許に転がっていた小皿を拾い上げ、軽く嗅いで見る。咳き込むほどの刺激臭から気付け薬のたぐいだと知れたそれを近くに寄せ、膝をつく。
「起きてください」
耳元で繰り返し幾度か揺すれば、縮れた黒褐色の髪の奥から暗緑の瞳が現れた。それを見とどけ、月は少女にも同じ事を繰り返した。しばらく後、少女の瞼がぴくりと反応し覚醒の兆しが現れる。
もう一度人の気配に耳を済ませ、部屋の中を物色し始める。がらくた同然の衣装箪笥を慎重に開ければ、何かが倒れ掛かってきた。危なげなくそれを受け止め月はにんまりと笑う。
壊れかけた古い箒だった。軽く振ってみるとそれは意外に軽く、手に馴染む。
さらに回り込んでみると割れた底板から緑の布地がのぞいている。下から引きずり出せば胸元のあいた裾の長いドレスが現れた。動きづらそうだが、下着同然のこの姿よりはましだろう。埃っぽさを我慢しながら身につけると胸と胴回りが余ったが、気にしてはいられない。さらに探れば揃いの靴も出てきた。
「ここは、どこだ」
低い掠れた声が埃を帯びた空気を揺らし、暗緑に物騒な光を灯した瞳が鋭く月を射抜いた。
「おそらく娼館かと」
琥珀の手が腰の辺りをまさぐるのを見て、月は確信した。この人は戦う術を知る者だと。
「お前は」
「貴女と同じですよ」
すべてを受け流すような薄墨の目から悟ったのか、敵意が霧散した。
「気分はどうです」
「機嫌は最悪だが気分は悪くない。動ける」
半身を起こしたままどっかりと胡坐をかき、女性はそう返した。その様子を苦笑で眺めていた月だったがふと目線が逸れる。つられるように暗緑の眼が動いた。
「気がつきましたか?」
小麦の髪を持つ少女は怯えたように伏したまま後ずさり、壁に頭をぶつけて小さくうめいた。
「お前、馬鹿か」
「ふえ?って。ば、馬鹿となんですっ馬鹿とはっしかもそれが初対面に向っていう言葉ですかっていうか――――――」
子どもを抱えなおし、壁に背を預け少女は起き上がった。
「ここどこよ、あんた達誰なの!!」
「お願いですから事態を悪化させたくなければお静かに」
月の静かな声に少女の細い眉が寄せられる。再び上げた顔には、安堵の色があった。
「じゃあなに、あんた達人攫いの身内じゃないわけなの」
「そうですよ。もうひとつ言っておくと既に人攫いどころか人買いすら通り過ぎ、買い取られた後のようです」
絶句し蒼白になる少女と物騒な気配を復活させた女性を、月は交互に眺めた。
「それで私は逃げようと思いますが貴女方はどうします?」
薄墨の瞳に込められた本気を読み取り、二人は沈黙した。
「けれど、それには危険が伴うでしょう。運が悪ければ殺される。ここにいれば商品として扱われますがそれなりの暮らしはできるでしょうね。貴女方はどうします?」
「逃げるさ」
「もちろん逃げるわ。決まってるじゃない」
二人による同時の即答に月は綺麗に微笑んだ。
「では、決まりですね。私は月と言います」
すっくと立ち上がった女性は、髪をかき上げ言った。
「ジェイドと呼んでくれ」
「私はノロスっていうの、この子は妹のミンネ。よろしくね、月」
未だ意識のない子どもを肩口に押し上げ、少女も立ち上がった。その様子を見ていたジェイドがぼそりと呟く。
「お荷物は置いていけ」
「人の妹を物扱いしないで!」
折角の笑顔から再び眉を吊り上げ少女が怒鳴った。それを煩わしげに聞き流しジェイドが再び口を開く。
「足手まといは迷惑だと言ってるんだ。お前もそう思うだろ」
話をふられた月は静かに息をはいた。
「そう思ったらあなた達を起こさずに一人で逃げてますよ」
「ほら!二対一よ。多数決よ!あたしの勝ちよ!!この子を次に邪魔者扱いしたらただじゃおかないわ」
啖呵をきる少女を煩い小形犬のように眺めていたジェイドが、不意に視線を外した。
「ジェイドさん」
同じく扉に視線をむけた月が名を呼べば、素早く頷く。
「ジェイドでいい。これからはさん付けなど悠長な真似していられないだろう。私も月と呼ぶ」
「かまいません。向こうはおそらく二人。一人お願いします」
言い終ると同時に錠が軋んだ。
不審げにがたがたと揺すられるそれを、頃合いを計り外す。
部屋へと入ってきた女の足を払い、抱き寄せるように身を寄せ腹部に箒の柄を入れる。ぐったりと声も上げずに失神した女を支えると、肩を叩かれた。
「やるな」
肩にもう一人の女を乗せたジェイドはにやりと口角をあげた。
そんな二人の様子をノロスだけがぽかんと眺めていた。
朝霧の立ち込める夜明けの景色を視界に納め、翔はあくびをかみ殺した。
「起きたか」
ああと言いながら身を起こせば無表情な茶髪の仲間がいた。昨晩交代で眠ると取り決めたのだが――――――おそらく、眠れないとわかっていたのだろう。起こせと言った時間にもゆえは翔の事を起こさなかった。
(まあ現実の方は土曜だし)
案外細かい神経してるよな、などとつらつらと考えつつ翔は扉の方へと歩いていった。
「どこいくんだ?」
「顔洗ってくる」
確か外に井戸があったはずと思い返しつつ階段を下ろうと曲がったところで、黄色い髪の青年に出くわした。目があった瞬間、ばつが悪そうに逸らされる。
「お兄さん」
「お前の兄になったつもりはない」
「そんなどっかの小舅みたいな事言わないで下さいよ、レシュさん。妹さんの様子は?」
ゆえにも優るとも劣らない仏頂面で悪くはない、とだけ言い残すと扉の向こうへと消えて言った。
「あんたって意外と嫌な性格してるわよね」
不意にかけられた声に視線を彷徨わせれば、階段下の死角から金髪の少女が現れた。
「盗み聞きしてたやつには言われたくないな。それと嫌とか言うな」
「じゃあ厭味なって言ったげよか。厭味な性格の武蔵翔クン?」
「やめろって」
苦笑しつつ裏口に向かえば柚も後をついてくる。井戸水で顔を洗った後、髪から雫を滴らせたまま少女は唐突に口を開いた。
「あの薬が本当に毒か確かめるわ」
「そうか。どれくらいでできる」
「半日あれば十分よ。ここじゃ場所が悪いから、カテク達のところでやろうかと思ってる」
「で、わざわざそれだけ言うために起きて来たのか」
違うだろ、と問い掛ければ澄んだ藍の眼を向けられる。
「昨日の夜のあれ、どういうこと。ゆえにあんな事言ったってどうしようもないじゃない」
「お前いつから盗み聞き趣味に増やしたんだよ」
やれやれとおどけたように言いながらも、目だけは真剣な色を湛えていた。
「そろそろあいつも知っといても良いと思ったんだよ。月の本性」
「本性って言い方するととことん悪く聞えるわね」
「悪いっつーか、始末におけないつーか。けど今のゆえはそこんとこ理解して無いようだったからな。あいつの中の月の虚像を壊しときたかったんだ」
どこまでも強く、謎めいていながらも清冽な雰囲気を常にまとう少女の虚像を。
「今回の事から見ても、月は完璧な奴なんかじゃない。けど限り無く完璧に近く見える時があるのはあいつが無理してる結果だって事を」
理解させたかったという少年の表情は苦虫を噛み潰したようでもあり、しかたないと諦めているようでもあった。