第二章 想 一
二章 想 過去の残影 一
んじゃあ、と教壇の上の黒髪の少年は、チョークを持った手の小指で頭をかきつつ口を開いた。
「今日こそは体文祭のクラス出し物決めるぞ。日程的にもそろそろ取り掛からないとやばいしな。じゃあ、挙手つっても意見で無いだろうから適当に当ててくぞー?」
一人で自己解決し学校祭実行委員の武蔵 翔は目線を窓際の席へと向けた。
「月、何か無いか?」
「そうね。ちょっと待って」
呼びかけられた少女に自然とクラスの視線が集まる。細い眉を寄せて考え込む少女は、転校してから一週間が経った今でも周りからくっきりと浮き上がった空気を持っている。
クラス全員分の視線にも竦む事無く、薄墨色の眼をまたたかせ少女は口を開いた。
「定番だけど模擬店はどう?焼きそばとか、パフェとか」
「却下」
あまりに素早い翔の否定に、月は怒るよりも先に困惑した。
「どうして?」
「この学校じゃみんな部活の方に力入れてるからな、クラスの出し物はそんなに時間かかるやつはやれないんだよ。まあどこのクラスもそんな感じだし」
だから、と起きっぱなしになっていた誰かの団扇を片手に翔は続けた。
「それなりに見栄えがして、そんなに手間かかんなくて、そこそこに労力がいる展示系の案。そんなの無いか?」
「また難しい事を」
真面目な生徒や教師に聞かれたら、露骨に睨まれそうな言葉をはっきり言うのに月は苦笑したが、クラスのどこからも非難の声は上らず、担任さえも穏やかに微笑んだだけだった。
「こんなんで良いのかしらねー、それならバルーンアート。風船で動物なんかを作って飾ったらどう?」
「ん、じゃあ意見一だな。次、後ろの柏木。何か無いか?」
「あぁー、別に何も」
「それ無し。とっとと決めねーと部活の方行けなくなるぞ?」
「んな事言われても思いつかねーし。無いもんはだせねーだろ」
だらしなく机にもたれかかったままそう言ったクラスメイトに、翔はにやりと笑った。
「じゃあお前一発芸な」
「は?いやちょっと待て武蔵!どうしたらそう言う話になるんッ」
「うっさい言わないお前が悪い。ほらとっとと言えよ。六十、五十九、五十八・・・・・・」
「カウント制かよっ」
二人のやりとりに教室中から忍び笑いが聞えてきた。そんな周囲を睨みつけつつ少年は悩んだ末叫んだ。
「モザイクアート!ほらあれ、色紙切って張っていくやつ!!」
「それ去年の三年がやってただろ」
「いいだろうが一年経ったんだし。ともかく言ったからな」
肩をすくめて翔は黒板にモザイクアート、と追加した。
「次は、と。ゆえか」
「え?」
ゆえは、固まった。
そもそもこれまでのやりとりもぼんやり聞き流していたのだ。早く言わないと一発芸だぞー、と告げる翔の声さえ恨めしく思いながら必死に考える。
もともと学校祭なんて興味も関心も皆無で、いっそのことさぼろうかと考えていたくらいだ。一般的にどんな物があるかなど知るはずも無い。
(かといって一発芸の方がもっと厳しい・・・・・・)
恥しい云々の前に、ネタとなるような事柄すら見当もつかない。
顔は無表情だが内心だらだらと冷や汗をかいているだろうゆえを見て、月と翔は顔を見合わせた。
「ゆえ」
翔に名前を呼ばれて顔を上げれば、なぜか薄墨色の視線とぶつかった。黒板脇の掲示板を指差して月はにっこりと微笑む。
つられるようにそこを見れば、そこには『暁商店街、秋の陣』という黄色い文字が踊るイベントのチラシが張られている。つらつらと目で追い、ゆえは二人の意図を理解した。
「募金」
チラシの中にはイベント会場には募金箱が置かれているため協力してほしい、という旨が書かれていたのだ。感謝の気持を込めて目礼すれば、二人から同時に気にするな、いう意味合いの仕草が返ってくる。
「じゃあ次は健二、何かあるか?」
「無いから一発芸!!今日の校長の真似!!」
階段を踏み外して、二、三段ずり落ち必死になって手摺につかまる、という様子をパントマイムさながらにやってのけると、周りから爆笑とアンコールがかかった。
受けたり受けなかったりする一発芸がいくつか入った結果、出された案は十数個だった。それをすべてノートに書き写し終え、翔はぐるりとクラスを見回した。
「この案の中から籤で決めるから、明日朝決定な。今日は解散、お疲れ!」
語尾が途切れるのと同時に机や椅子を動かす騒々しい音が響きだす。我先に後ろのロッカーへと鞄を取りに行く流れに逆行しながら、ゆえは壇上で黒板を消す翔の元へと向かった。
「さっきは助かった、ありがとう」
「それは月に言ってやってくれ。実はあれ、俺が考えたんじゃないんだ」
「・・・・・・そうなのか?」
「そーだよ。“ゆえに一発芸はきついだろう”ってな」
なにやら無表情のまま考え込んだゆえの様子を横目に見て翔は軽く笑った。
「ほら、さっさと行かないと月に追いつけないぞ?あいつ歩くのも速いからな」
慌てて首をめぐらせるがすでに教室内は閑散としており、少女の姿は消えていた。
急いで教室を後にする友人を見送り、翔はそっと呟いた。
「わかりやすくなったよな、あいつ」
昇降口は、下校しようとする生徒で溢れていた。苦労して進みながら目を凝らせていると、程なくして長い三つ編みの少女の姿を捉えた。ゆえが声をかけようとするより早く、かかとをそろえ靴を履き終えた月が顔を上げる。
「どうしたの、ゆえ」
鞄も持たずに、と首を傾げられ初めて手ぶらで昇降口まで来たことに気づく。再び四階分の階段を上るかとうんざりしつつ、まあいいかと思い直す。
「さっきのあれ・・・・・・あんたが考えてくれたって翔に聞いたんだ。ありがとう」
月の顔が奇妙にかたまった。途惑ったようでもあり、苦笑したようでもある、何ともさまざまな要素が入り混じった表情だった。
「・・・・・・どうかしたのか?」
「ううん。何でも無いの。それからどういたしまして」
表情を素早く笑顔に切り替え、月は言った。
「じゃあ、また後でね」
「ああ」
歩く動作につられて、生き物のように三つ編みが跳ねる後姿を、ゆえは長い間見送っていた。
(“後で”、か)
※※※
最初は一章『初』→二章『祭』だったのだが、その後の展開で夢想界があまりに出てこず後からねじ込んだ新二章の『想』。
ちょっと地味めな話です。