第七章 罠 一
第七章 罠 ~ 思う心 ~
一
部屋の中は、ぴりぴりとした嫌な空気がたちこめている。思わず出そうになったため息を寸での所で飲み込み、ゆえは睨み合う二人に目線を向けた。
「・・・・・・」
ゆえの視線に気づかないはずは無いのに、二人とも対峙する相手から目を離さない。助けを求めて窓際の少女を視線を送るが、柚は小さく金色の頭を振っただけだった。
そう。現在仲違いしている二人とは、いつもの二人(柚と翔)では無かった。
まるで目を逸らした方が負けだとでも思っているかのように、黒髪の少女と少年は睨み合ったまま微動だにしない。
事の始りは昨夜だった。
悪天候の為に足止めされた四人は宿場まで辿り着けず、しかたなく野宿をした。そこで迎えた朝、傀儡に襲われたのだ。
そこまでならいつもの事。だが、その際翔が右手を負傷し、深い傷で今も動かす事が出来ずにいる。そして、その原因と言うのが――――――
「どうして私をかばったの?」
月が薄墨色の瞳を細めた。一見無表情だが、目に宿る感情は強い。
「かばった訳じゃない。だた単に俺がどじ踏んだだけだ」
肩を竦める翔の様子に柚が頭を抱えて口の中で何かを呟いた。月の冷笑が更に深くなる。
「そんな下手な嘘が私に通用すると思っているの?」
「嘘じゃない。俺が短剣避け損ねて掌に刺さったのなんて、ただの偶然だろ」
「それが私と傀儡を直線で結んだ間でも?」
ふざけるように言葉を紡ぐ翔に、月からは鋭い一瞥が向けられる。
「どこまで人を見くびれば気がすむのよ。あんなのかばって貰うまでもなく対処できたわ」
「っ。んなわけないだろ。完全に死角だったし、首狙われ――――――」
慌てて口を噤んだがもう遅い。柚はその可憐な唇に似合わぬ舌打ちを洩らし、月は婉然とした微笑を浮かべた。
「そう、あんたはそんなに私の事が信用できなかったの」
「・・・・・・そうじゃないって」
「じゃあ、何?言っとくけど今の所まだ私の方が腕は上よ。わかっている?」
不愉快そうに翔は口を尖らせる。
「そんなこった何度も言われなくてもよくわかってる。ただ勝手に体が動いちまっただけだ」
「なおさら悪いじゃない。無意識的に私の方が弱いんだって判断した事になるんだから」
「誰がそんな事言ったよッ」
流石に翔が声を荒げて立ち上がった。その動きを無感動に見つめていた月はぽつりと呟いた。
「翔。私は“守られる存在”でなんていたくないのよ」
絶句する少年の横を通りすぎ、月は戸に視線を固定したまま言う。
「二、三日留守にする。追って、来ないでよ」
パタンと戸が閉まった音が空虚に部屋に響いた。慌てて追いかけようとする翔の前にいつの間にか移動した柚が万華槍を突き出す。
「どけよ」
「お馬鹿」
押し殺したような翔の声。それに動じる事無く柚は即答する。
「今の月の様子がわからない訳じゃないでしょ。頭冷やしなさいよ、あんたらしくもない。あのまま追って行ったら今度こそ剣むけられるわよ」
「本当か・・・・・・?」
信じられない面持ちで尋ねるゆえに柚が肩を竦める事で肯定の意を伝えた。
「それくらい頭にきてるのよ。おそらく翔に怒ってるって言うよか、あれば自分に怒ってるわね」
「何であんなに厄介な性格してんだよっ、あいつは!!」
唸りながら頭を抱え絶叫しつつ座り込む、と言うなんともいえない行動をする翔に、柚は哀れみの目線を向けた。
「月だからでしょうが。何年つき合っていると思ってるのよ。あんたときたらまぁ、相変らず言葉の運び方が下手と言うか、馬鹿正直と言うか。あそこまで月追い詰めなくてもいいでしょうに」
やれやれ、とでも言いたげな柚を翔は上目遣いで見上げた。
「何であいつは怒るんだよ。確かにかばったのは悪かったけどさ。あれが別に月だからやった訳じゃないし、ああいう時って考える前に動くだろ」
「本人が言ってたじゃない。“守られる”って事が死ぬ程嫌いなのよ」
尚も会話する二人から目線を外し、ゆえは暗闇にしずむ窓を見る。
外は激しく雨が降っていた。
宿を出た月はそのまま無造作に路地に入り、たまたま目に付いた木箱の山に向かって歩を進めた。無造作に足を繰り出し、山を崩す。
呆気なく倒れこむ空き箱を無造作にかわし、あるいは切り伏せ叩き落とし、荒い息を繰り返す。
恐れたように浮浪児達が飛びのき逃げていくのを見て、やっと我に返った少女は深くため息をつき、拳を強く握り締める。
雨が痛い。
胸は、もっと痛い。
自己嫌悪で吐き気がしそうだ。
濡れた前髪をかき上げ、その隙間からどんよりとした空を見つめ昨日の事を回想する。
今も脳裏にこびりつく光景――――――深々と掌に突き刺さった短剣、苦痛に歪む翔の顔、伝い落ちる鮮血の赤。
油断をしていた。いつもより傀儡の数も少なく、ゆえの腕も中々上達してきたので、わりと暢気に切り結んでいた。相手の剣を飛ばし、袈裟懸けに斬った所で足元の小石を踏んでしまい、体勢が崩れた。
(翔がいなきゃ、死んでたわね)
事実だった。腹立たしいが、事実だった。
正確に首を狙って投げられた短剣は、避けたとしても体のどこかに当たっていただろう。それなのに、自分ときたら感謝するどころか怒ってしまった。
「“守られたくない”だ、なんて。口だけなら誰でも言える・・・・・・」
けれど自分は誓ったのだ。幼い時、自分の前から大好きな人達が姿を消した時。これ以上失うまいと、自らの、力が及ぶ限り――――――
「それがこのざま、か」
自嘲の笑いを響かせて剣を納めると、月は裏路地を歩き出した。
雨具代わりの外套を部屋に置いてきてしまったため、容赦なく雨は服を濡らしていく。革の短甲は水気を含んで重く、動くのに邪魔だった。幸い現金は持っていたので店を探してどんどん進んでいく。
薄ぼんやりとした光を放つ店を見つける頃には、月の体は冷えて手はかじかみ動かすのが困難な程だった。
看板も見ずに入った店はどうやら酒場のようで、薄暗い店内には男しかいない。誰かが口笛を吹くのを無視し、止まり木に座る。
「酒」
店主の顔も見ずに言うと、目の前に器を置かれる。濁った乳白色の液体を無造作に空け、更に追加する。
幸い酒には強い体質だ。経験上これくらいなら全く酔わない事はわかっている。
ちらりと見た店主の顔は思いのほか若かった。淡い黄色の髪を後ろでくくり、程ほどに整った顔立ちだとわかる。二十代前半か、もしかいたら十代後半かもしれない。
声をかけようとする他の客には片っぱしからやつあたり混じりの殺気を当てて追い払い、時には鍔に手をかけることで脅す。そんな事を繰り返しながら酒を口に運ぶ。
夜が更けていった。
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久々すぎる更新。皆様大変長らくお待たせいたしました。半年もあいちゃった…
本家からやや改稿し、連載再開です。
あまり頻度は高くないでしょうが、お付き合いいただければ幸いです。