第六章 藍 二
二
目を薄っすらと開けると、頭上には暗く折り重なる木々が見えた。たしか、ねえさまと森にいった時もこんなふうだったと、ぼんやり思う。
普段はいつも遊びに行く場所の森の中が真っ暗に塗り込められ、何処だかわからなくなってしまって。
そして、あの時も川に落ちてしまったのだ。
だから、だから、しられちゃだめ、お祭までは。
ふと、不思議な香りが風に乗って流れてくる気がして。香りの元を辿るように鼻をくんくんと動かした。香りのする方向には焚き火の明りが見え、知らない人が幾人もいた。
ひとりはお日様のような髪をした人。
母の持っている金の櫛にも似た髪は、火の明りをはじいて綺麗。染め上げたばかりの布のような青い瞳をしている女の人。
ひとりは逆に、夜を背負っているような人。
よく見てみると夜の闇ようだ思ったのは髪で、その先は背中と滑り落ち腰の辺りで揺れている。ねえさまも黒髪だが姉は杉の幹みたいな色なので、前の人と同じでひどく珍しい。黒髪は里に何人もいるけど、あんな艶々と光っている黒髪は始めて見た。瞳は宵の満月みたいな銀色。
ひとりも黒髪だったがあっさりと短くしてあり、それほど奇異には映らない。だが、男の人なのに長い上着に模様の入った帯をしているので、やっぱり見なれない。いつか村にきた旅芸人の占師に似ているなと思った。瞳はぬばだまみたいな真っ黒だ。
最後もひとりは自分の髪に良く似た、赤みのない茶だった。
少し長めの髪をした男の人、でも眼が怖くてどこと無く緊張するような気がする。瞳も髪と同じような栗色。
(瞳も、髪の色もばーらばら・・・・・・)
旅芸人の人かしら、と思う。ただ自分がみた外の人が旅芸人しかいないだけだが。
金の髪をした優しそうな女の人がこちらを見た。
「あ、気がついたみたいよ」
いっせいに視線が集まり緊張する。黒髪の女の人が椀を片手に近付いてきた
「大丈夫?寒くないかしら。少しでも良いから何か胃に入れないと」
椀の中身をみると暖かそうなお茶に似たものが入っている。良くみると、みんな同じ物を飲んでいた。
「あなた何処に住んでいるの、名前は?」
横に座り優しく聞いてくれる。急いで地面に文字を書く。女の人の顔が曇った。
「喋れないの?まずいなルーク文字じゃない。柚、読める?」
「待って――――――駄目、わかんない。知っている文字じゃないわ」
「じゃあ、一つずつ聞くから、はいの時は首を縦にいいえの時は首を横に振ってね」
綺麗な顔立ちの女の人の提案に、一つこくんと頷いて答えた。
「それじゃあ・・・・・・寒い?」
横に振る――――――いいえ。
「どこか痛いところは無い?」
これも“いいえ”。
「じゃあ、此処がどこかわかる?」
辺りを見回したが、わからなかった。
「此処から家の方向ぐらいわからないかな?」
たぶん、そう思いを込め川の上流を指差す。
「そう、私たちも川の上流に行く予定なの。一緒に行こうか」
大きく頷いた。感謝の気持ちを込めて笑顔でぺこりと頭を下げれば、優しい手が髪をくすぐった。
「じゃあ、行こうか。けど、名前がわからないのは不便ね」
困ったように笑う女の人の微笑みに、少し考え込む。きょろきょろと見回し、そして目当ての物を見つけた。
「ん?どうかしたの」
所々に赤い小さな実をつけた大人の背丈ほどの木。近寄ってそれと自分を交互に指さす。
「もしかしてその木の名前なの? 柚、これ何て言う木?」
「の木。のなる木よ」
「そう。じゃあ、クコ行こう。私は月、そこ金髪のは柚、黒いのは翔、茶色のはゆえよ」
人を品物みたいに言わないでよ、と柚と呼ばれた女の人が眉をしかめた。
跳ねるように目の前を歩いて行くクコに悟らせぬよう、柚はゆっくりと月に歩み寄った。その足元は、松明を持っていても気休めにしかならないほど暗い。すでにとっぷり日は暮れてしまっていた。
「さっきの続きだけどどうするつもり?」
「この子を送り届ける。それで、今夜泊めてくれるよう頼んでみる」
予想したのとそれほど違わない返答を聞き、柚はへにょりと眉を寄せた。
「しかないわよね。こんな暗くなってから、一人で森を通らせるわけには行かないじゃなし。狼や夜盗に襲われたらひとたまりも無いわ」
「そうだけど・・・・・・本当に泊めてくれるのか?」
不安顔のゆえ。月はそれに、肩をすくめてみせた。
「善意に期待というところね。こっちは一応あの子を助けたわけだし、まあ何とかなるんじゃないかと思うわ」
「そうかしら」
柚は苦く笑った。ちらりと向ける視線の先では、不恰好に体に合わない服を着た子どもが足をとれぬようゆっくりと歩いている。その足取りはまだ少しおぼつかない。
「あの子の着ていた服ってちょっと見慣れないものだったでしょ」
青い縫い取りのあるたっぷりとした布を用いた独特の白い衣装。それは模様のような意匠の帯といい刺繍といい現実で言えば民族衣装と言いたくなるような物だった。
「それが何か問題が?」
「こんなに大きな都が近いのに、あんな独自の文化を持つような格好をしているって事は、意図的に他の文化が入ってくる事を避けているのかもしれないって事よ。そんな閉鎖的な集落だったらちょっと考えなきゃいけないわね」
世の中、善意だけに頼って生きていけるわけではない。それは現実でも夢想界でも同じだ。
子どもの足取りにあわせたゆっくりと足を進め、そろそろ三十分も経とうかと思っていた頃、ふいにクコが立ち止まった。
獣の仔のように小さく首を動かす。どうやら耳を澄ましているらしい。
四人は顔を見合わせ、柚が顎を引き口を開いた。
「どうしたの、クコ。道が分からなくなった?」
音が鳴るほどぶんぶんと首を振り、クコは再び耳を澄ませる仕草をする。
なんというか、小さなしぐさが小動物めいている子どもだった。口が利けない所為か、ちょっとしたしぐさが大げさで、それがひどく愛らしい。
四人の観察する視線の先で、クコの顔がぱっと輝いた。
たっと駆け出したクコを追いかけ、四人も追う。見失うかと危ぶんだ頃、見つけた影は二人に増えていた。
よりそうような二人の影は、よく似ていた。背格好も、顔立ちも。ひどく驚いたようにこちらを見返す見知らぬ少女に、クコが必死に袖を引いた。
「なぁに?クコ。どうしたの?」
クコは口をぱくぱくと動かした。じっと口元を見つめていた少女は、しばらく繰り返しうなずいた後、わかったわ、と答えた。そして静かな目をこちらに向ける。その面差しは静かで、クコより少しばかり年長ではないかと思わせる。
「この子が助けていただいたんですね。ありがとうございます。私はこの子の姉です。あの・・・・・・あなた方は?」
「ただの旅人ですよ。たまたま通りかかったら、クコが溺れているのに遭遇して。確か時間は昼ごろ。水も飲んでないみたいだし、しばらく意識戻らなかったけれど、宵ぐらいに目覚めて。様子を見ながらだったけど、軽く飲み物も取れたからまず大丈夫かと」
「そうですか、よかった・・・・・・本当にありがとうございます。あの、こんな所でお話しするのもなんですし、村へどうぞ。きっと父も、母も、里長さまも、みなさまにお礼を申しあげると思います」
心からの笑顔に、四人は内心でほっと息を付いた。
五人から六人に人数を変更し、一行は歩みを再開した。ちらちらとこちらを伺う様子のクコの姉は、余所者を警戒するというより、未知のものに対する好奇心にうずうずしているようだった。意を決したようにこちらを振り返る。
「あの、貴方達は、旅芸人なのでしょうか?」
「そのような仕事を引き受けることもありますよ」
「では、もしやに招かれた楽師の方々ですか?」
「霜祓い、の祭り?ですか」
何の事だか分からない、と言った風情に少女は肩を落とした。
「違うのですか・・・・・・」
残念そうに肩を落とした少女の様子に、四人は顔を見合わせた。
「この村には毎年この時期に『霜祓祭』という祭りがあるのです。毎年他の旅芸人が数日前から滞在し、さまざまな芸を見せてくれるので皆楽しみにしているのですが・・・・・・今年はどう言うわけか姿を現さず、困ったことと皆で言っている所なのです」
「なるほど、ご期待にそえず申し訳ない」
「いえ!すみません。変なことを聞いて。この子を救ってくださっただけで、どれだけありがたかったか・・・・・・本当に、ありがとうございました」
「いえ、そんな言ってもらえるほどのことじゃ。でも、どうして川で溺れたりしたんです?」
「それは、クコ、どうしてだったの?あなた昼からみんなと沢の石舞台でお稽古していたんでしょ?」
クコは顔をしかめた後、小動物めいた動作で口を動かした。意味を読み取るように見つめていた少女は、困ったように眉を下げた。どうやらこの少女は、妹の唇の動きで何を言いたいか察しているらしい。
「どうやら、一人で残って石舞台で稽古をしていた時に、滝壺にあやまって落ちたみたいです」
「それは――――――よく無事でしたね」
月は顔をしかめた、それは心配半分苦笑半分のような微妙なものだった。
その石舞台とやらがどんな場所なのかは知らないが、ちょっと間抜けな失敗であろう。助けられなければ顔面蒼白になるような事態になったであろうが、こうして無事助かった今としては笑い話といってしまっては不謹慎だろうか。
そんな話をしているうちに道はどんどん平坦になっていった。土を踏みしめた素朴な道だが、しっかりと使い込まれた歩きやすい道。集落の近い証拠だった。
「あの、私。父にこの子の無事を先に伝えてきます。村中総出でこの子を探していて、みんな心配してて。この子も此処までくれば平気でしょうから」
「ああ、いいですよ。先に行ってご両親を安心させてあげてくださいな」
ぺこりと頭を下げると少女は駆け出した。その走りは身軽で、小鹿のような見の軽さだ。すぐに暗闇に飲まれた後姿を、妹が青ざめた顔で見送る。
「クコ、大丈夫よ。私たちがちゃんと送ってあげるから、ね?」
励ますような、あやすような柚の言葉に、クコは唇をうごかし小さな笑みで答えた。