第五章 夜 二
二
「私はね、こっちの世界の両親の顔知らないの。覚えてないのよ。気づいたら、ひとりだったわ。
私の一番古い記憶は島の記憶。二十人くらいの子どもと何人かの大人で村を作ってた。時々気づくと両方とも減ったり増えたりして入れ替わっていたけど。見知った顔がいなくなるのは、島の外に行っているからだと大人達には教えられていたから、不思議にも思わなかった。
私がこっちの柚と翔に会ったのはちょうど五歳の頃。
いつもみたいに何人か子どもがいなくなったあと、新しく来た子が柚と翔だったの。二人とも同じ所から来たって聞いて、羨ましいって思ったことよく覚えている。あの頃からあの二人、仲良かったしね。
それからは三人でいる事が多くなったわ。一緒にご飯作ったり、訓練したり技覚えたり。
そう、訓練。芸のね。私達、旅芸人の卵だったの。
ほら、オリィコフにもいたでしょ路上で芸を披露して稼いでいた旅芸人の一座。あんな感じよ。剣舞や軽業や的当なんか、やっていたでしょ。現実の方で言えば、巡業のサーカス、と言ったところかしら。
大人はお世辞にも優しいとはとても言えなかったし、子どもの中には根性曲がっているのやら、やたらと威張り散らす馬鹿もいたけれど、他なんて知らないから毎日結構楽しかった。
結局あそこにいた子供達はみんな親に売られたり、拾われたりした子だったのよ。私は親の顔も覚えてないからまだ良かった。二人とも来たばかりの頃はつらそうだったわ。
島を出たのは十歳になった歳だった。その頃にはもう一人前に芸もこなせるようになっていたからでしょうね。
はじめて島を出たときの、自分の心臓の音がまだ耳に残っている気がするわ。
見渡す限りの深い紺碧の海に高い蒼天の空は、私には新しい世界の始まりのように思えたの。
どうしたの、ゆえ。不思議そうな顔して。
え?ああ、その時はまだゆえには会ってなかったの。『ゆえ』に会ったのは、島を出たあと。
・・・・・・どうしたのよ、いきなり暗い顔して。何でも無いって顔じゃないわよ。
そう、なら話続けるわ。
島を出てからの生活は、正直楽じゃなかったわ。酷いと物乞いまでやらされたし、三日間寝ないで舞台に立たされたこともあった。けど、三人一緒だったから、何とかこなしていけた。
誰か一人でも欠ければその分の負担を誰かが背負う事になる。そう考えれば、おちおち倒れることも出来ないしね。
ゆえに会ったのは、そんな日常に慣れてきた頃よ。島を出てから、一年ぐらいたった頃だったかしら?
や、訊いてるんじゃなくて記憶を探ってるのよ。思い出しているの。何せ五年近く前の記憶なんだから。
あ、思い出した。うん、一年であってたわ。ちょうどその頃私の剣の先輩に当たる人がいなくなって、座長がぶつくさ言っていたから。
大きな町でね、確かどこかの王都だったわ。私たち以外にも何組もの旅芸人がいてね。歓楽街では毎日がお祭しているみたいに活気があった。その分こっちの負担は大きかったけどねー、立ったまま寝ているのなんてざらだし、時間さえあれば気を失うように寝てた。成長期だったし。
それで、もうそろそろ移動の話が出始めた頃。公演が終わったあと、一人の男の子が楽屋に現れたの。
腰には短剣を佩いて、上等の生地の衣服に身を包んだ貴族の子ども。
それがゆえ、あんただったの。
たまぁにあったんだけどね。一般の人間が尋ねてくるの。けどそれは芸に見ほれて、召抱えるために来るためであって、一緒に行きたい何てのは初めてだったけど。
あっけにとられたよ、あの時は。何考えているのかと、思った。
そんな顔しないでよ。私だって知らないんだから。あの時のゆえ理由言わなかったし――――――言いたく無さそうだったし。
慌てて追い返そうとしているうちに、団長に見つかって。それからゆえは団長と交渉して、結局一緒に行くことになったの。
ゆえはあんまり喋らなかったけど、それから私達は『四人』でいるのが、当たり前になっていった。
そのころから私達は不思議な『授業』を受けるようになっていったけど、その意味に気がついたのは、もっとずっと後のことだった。
最初にそれに気がついたのは、あんただったのよ?
ある日突然ね、ゆえが言い出したの、最近おれたちの話がよくされているって。他の子や、私やあの二人でも笑って言ったわ。考えすぎだって。でも本当だった、私達をそろそろ使おうって話が出ていたのよ。
・・・・・・それは、あとから言うわ。
一度は否定してみたものの、ゆえは軽はずみに物を言う性格じゃなくて、今以上に無口で慎重で神経質な性格だったから気になってね。
ためしに、大人たちの会話を盗み聞きして見ようって事になったの。本当は、そんなことすれば、食事抜きぐらいされることわかりきっていたけど、あまりに真剣なゆえの様子見ていたら、こっちまで不安になってきて・・・・・・ね。
分厚い天幕の布地越しに聞きとれた言葉はそう多くなかった。
切れ切れに、聞きとれたのは「駒」だの「標的」だのわからない言葉だけ。痺れを切らしてゆえが天幕に切れ目をいれて、やっと聞こえたと思ったら見つかって逃げ出す羽目になったわ。
でも一言だけはっきり聞こえた。嘲りの込められた、笑い声と一緒に聞こえたその言葉だけは。
新たな『花』が咲きそうだ、そう私の耳には聞こえたわ。
次の日には新しい国に着いたんだけど、前日の事もあって私達はなんとなく落ち着かなかった。大人たちの様子も何だか変で、余計にね。
いつものように公演を終えた後、私達は団長に呼び出されたの。昨日のことがばれたのかと及び腰になっている私とは違い、ゆえは何だか怒っているようにみえた。
天幕から出ると、日はもう暮れていたわ。空は綺麗に晴れていて、行く筋もの流れ星の光が、予言のように流れていた。
呼び出しは、結局昨日のことじゃなかったわ。妙に愛想のいい団長は、その町の名士だとかいう男の元へ行くよう、私たちに指示を出した。白い粉が入った小袋と一緒に『これを主の飲む杯に入れろ』言葉という言葉とともに、手渡してね。
ゆえが白い粉を水鉢に放り込んで、中の魚が白い腹を浮かべて死ぬのを見て、はじめてそれの正体が毒だと知れた時の衝撃は、中々のものだったわ。
そう、旅芸人じゃなかったのよ。
いえそうじゃないはね。旅芸人だったことは確かだわ。
他にも後ろ暗殺なんかの闇行を兼任していただけで。
その時『闇花』という芸団の名前の由来が理解できた。
『闇』に咲く『花』だったのよ。まさしく私達は。
暗殺や諜報などの『闇』行に携わり『花』片のように活躍する者。
恐慌状態の私達を正気に返したのは『ここからにげだそう』という、ゆえの言葉だった。
本当に、本当にあの状態でよく言えたと今でも感心するわ。
相手は本業暗殺者、しかもこっちは多少剣使えるのがいるとしても実践なんてやった事の無い子ども。おまけに仕事をやりそこなったうえに、逃げたと知られれば必ず口封じにやってくるような連中だろうってくらい簡単に見当がついたし。
実際にはどうやら私達は非常に優秀だと評価されていたらしくって、すぐには殺そうとはしなかったけどね。
あいつらの言い分はこうよ。『狐が兎を狩るように、狼が狐を狩るように私達は人を狩って生きている。これは悪い事でもなくただ、そう言うものだという事だ』って。
・・・・・・そいつら頭どうかしてんじゃないのかって?
それが真実と信じているものにとっては、その言葉も真実になってしまうのよ。
彼らもそういわれて育ってきたと、今なら理解できる。
その時ゆえの言った言葉がまたすごいのよ。ええそうよ、またゆえよ。
その時ゆえはね、ふざけるな、て怒鳴ってからこう言ったの
『人が人をあやめておいて、しかたがない事なんて、あるわけがない。おれたちは他の事をしてでも生きていける』ってね。それを聞いて何か感動しちゃってね。
心細くて、納得しそうになった私の心にその言葉は、強い閃光みたいに焼きついた。
それから私は自分で誓った“自分の全能力を出し切って、可能な限り人を殺めるのは避けよう”、てね。
・・・・・・うん、無いよ。
私は、まだ人殺しをした事が無い。
自分の能力が及ぶ限り、これからも避けてみせる。同じ剣を握る者として、それだけが私とあいつらの違いだろうから。
けどね、それからは本当の生き地獄の始まりだった。
始めの追っ手から命からがら逃れて、私達は逃げ惑った。
泥沼を、這いずり回るような逃亡だった。五体満足なのは、なにかの奇跡か幻みたいな幸運よ。
戦って戦って逃げて、逃げて。その、繰り返し。眠るのが、酷く怖かった。起きたらひとりになっているんじゃないかって。疲労とひもじさに、先に殺されるんじゃないかとも思った。
確か、その時も暗闇に星が、いくつも流れていたわ。
ぼろぼろになった三人を見ていたくなくて、追い詰められたという現実を認めたくなくて、空をずっと見上げていたの。
三人が目の前で死ぬのを見ないためには、どう行動すればいいか考えて。
一番最初に死ぬのが私なら、それは不幸なことではない。
そう、思って立ち上がったの。
革紐で括りつけた刀が、手の甲を引きつらせて痛かったけど、まだ何とか立ち上がれた。
隠れていた瓦礫を抜け、呼吸を整えようと眼を伏せた時。
世界が、変わった。
血臭も、殺気も遠のいて、ただ白い静謐な世界が広がっていた。
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次回はちょっと特殊な話なので(そして短いので)連続更新します。