第四章 旅 一
第四章 旅 宝玉への手がかり 一
「そろそろ、次の町に行かない?」
月がそんな事を言い出したのは、ゆえが夢想界に初めて(もどって)来てから一回目の満月が訪れ様としている頃だった。
「此処に来てから二月以上経つし、ゆえにも又会えたし最近天気も良いし。ちょうど旅立ちの頃合いじゃない?」
数日後、すっかり旅支度を整えた四人組が分厚い石造りの城門をくぐっていた。
「やっぱいいねー。旅立ちの日が晴れっていうのは」
月は、大荷物を持っているとは思えないほど軽々と動き、笑いながら言う。
「この前は晴れだと思ったら次の日で土砂降りになったけどね」
柚は、誰よりも衣服の多い自分の鞄を肩に掛けながら、さらりと言う。
「不吉な事言うなよ・・・・・・」
ゆえは、記憶的には初めての旅で少々不安な暗い表情みせながら、ぼそりと言う。
「まあ、俺の占いがはずれる事はよっぽどの事じゃない限り無いけどな」
翔は太陽に向けた目を眩しそうに細めながら自信ありげに言いきった。
次の国は翔の占いによって決められた。
翔は占いという少年にしては一風変わった趣味の持ち主だ。一部では有名な占い師であった祖父の影響らしい。昔はこの事をよくからかわれていた時もあったらしいが、めげずに学校で占い研究部にも所属している。
代々受け継がれているらしい札を用いて行う占いは、これが結構当たる。今回の占いで引いた札には、方角は『東』。鍵となる言葉は『大』『都』『書』と出た。
「東っていうと、今まで進んできた所と逆よね。地図が途中までしかないからわかんないよ?」
柚がばさばさと音をたてて羊皮紙の地図をと広げる。
「此処の前にいたのが、宝石と細工の国スリジットだったから・・・・・・うん。やっぱりこの地図にはオリィコフより東の街は描いてないわ。月、どうする?」
「そうね。翔、今の所持金いくらだっけ?」
「現金は金貨六枚に銀貨三十とちょっと、だけどスリジットで買った装飾品売れば当面の旅費ぐらいにはなると思うぞ」
「今すぐ稼ぐ必要はないって訳ね。じゃあ、これから準備しだして五日後に出発目標。役割分担決めようか。買い出し組みと売り出し組みでいいかしら、二と二で別れられるし」
「どうやってわかれるの、また翔の札引いて決める?」
「それでも良いけど・・・・・・あ、そう言えば、ゆえって夢想界来た時丸腰だったよね」
「そうだけど?」
そう言った途端、柚と翔が目を見はって叫んだ。
「嘘でしょ!?」
「本当か!!」
「どうした?なんか不都合でもあるのか?」
「いや、全然なんだけど・・・・・・よく無事だったね」
「は?」
「此処までの道のりって結構危険で治安が悪くてさ、それに前のゆえだったら武器手放すなんて考えられなかったから驚いただけよ」
「だな。俺らの中で月と一緒に攻撃専門だった奴だからな」
「悪かったわね、攻撃専門で」
月は冷やかな眼を翔と柚に向けながらわざとらしく微笑んだ。
「酔っ払い相手に三対一であっさり勝つ奴と、非戦闘員に見せかけて奇襲する奴のほうがよっぽど危険だと私は思いま・す・が・ねぇ、お二人さん」
「・・・・・・さあ、早くしないと日が暮れちゃう。すぐに混んでくるだろうから早く行こっか、翔」
「そ、そうだな。じゃあ俺達で換金は行って来るから、お前らは武器と地図だけは買ってこいよ、じゃあ」
故意に聞かなかった事にしたらしい。慌しく出て行った。
「まあ、武器無いと困るのも事実だし。私らも行こうか」
「武器ってさ、もちろん俺が持つんだよな」
「護身用だとでも思っとけば良いのよ、重たいお守りぐらいの気持ちで。東の方なら治安も良いって噂だけど、国の外に出たらそれなりに危険だからね」
「持っていても、使いこなせるかどうか自身なんて無いけど」
「まだ五日あるのよ?それまでに憶えれば良いのよ。それにたぶん」
「たぶん?」
「体が覚えていると思うよ?戦い方なんて」
にっこりと笑いながら言った。
「こっちの店にも大体は入ったけど、武器屋は初めてだな」
ゆえは看板を見上げながら呟いた。相変らず幾何学模様にしか見えない文字――――――こちらの共通用語でルーク文字と言う――――――は三人に教えてもらったおかげで簡単な単語なら読み書き出来るようになっていた。
「私も此処は初めてよ」
月が店を見上げるように目を細める。
「露天で買うとほとんど博打みたいだからね。良い物もあるけど、悪いものはとことん悪いから。一見しただけじゃ見分けも付けづらいし。多少値は張ってもこういう店のほうが良い物が置いてある事が多いのよ。とりあえず、中に入ろう」
そう言われても何と無く妖しげなこの店に入るのは気が退けた。窓はすべて鎧戸が閉められており、わずかに開いた扉から覗く店内は薄暗く不気味だ。周りの露店が活気にあふれているのでよけいに異質さが際だっていた。
躊躇せずに入って行く少女に続いて、緊張ぎみに足を踏み入れる。
「――――――――――――いらっしゃい」
店の奥から声が響く。現れたのは灰色がかった髪をし、落ち窪んだ眼をした男だった。頬には引き攣れたような傷跡がある。
「店主、研ぎと武器を頼みたいの。武器の方はまだ決めてないから、自由に見ても良いかしら?」
寸分のためらいもなく月は言い放つ。店主と呼びかけられた男は軽く目を見開いた。
「お嬢ちゃんが持つのかね、得物を?」
「私はもう持っているわ、連れの剣が折れたからあつらえに来たのよ」
鞄から小振りの刀を出し台に置く。見るとそれはいつも月が腰に帯びている刀と同じ拵えの物だった。銀の地に蔦を絡めた模様が薄暗い室内でほのかに光を反射する。
「これを先に研いでもらえる?」
店主は黙って鞘から刃を抜いた。現われた白刃の煌めきを放つ刀身を眺め、ちらっと感心したように笑った。
「東極刀かね、これは」
「そうよ、研げる?」
「さあなぁ、なにせ船を下りてから見た事すらなかったもんだからな。お嬢ちゃんは東の民かい」
「生まれはね。他は転々としていたから」
「ほう、旅人かい。若いのに。つっても俺もそのくらいにはもう船に乗っていたがな。半刻ほど待ちな。一応研いでは見るが、使い物にならなくなったら勘弁してくれよ」
「さあ、どうしようかしら」
薄く笑う月に店主は眼を見張る。瞳におもしろがるような光が走った。
「おお、怖い怖い。最近の若いのはどうも血の気が多くて仕方ねえ。でもあんたはいいな。度胸が据わってる女ってのは見てるだけで楽しいもんだからな」
そう言い残し店の奥に引っ込んで行く。
「勝手に見せてもらうわよ!」
好きにしなと、奥から太い声が響いた。
「じゃあ、ゆえの剣も選びますか」
「なあ、トウキョクトウって何の事だ?」
「日本刀の事よ、ああいう刃の剣の事をこっちでは東極刀と呼ぶの。極東刀って呼ぶ人もいる」
「・・・・・・・珍しいのか」
「此処でなら珍しいわね。生産地の東極諸島は文字通り東の端だから、かなりの距離が離れているし。小さな島でしか作れないから稀少品だし、その分値もはるわ」
「島?って言う事は・・・・・・」
驚き問い掛けるゆえの言葉に月は頷く事で答えた。
「そう、日本と似ているでしょ。どうやら現実と夢想では所々偶然とは思えないほど似かよっているところがあってね。まるで、つながっているみたいに。たまにこうした共通点が見つかるの、おもしろいでしょ」
まあ、おいおい話していくからまずは目的を果たさないと、そう言って辺りに陳列されてある武器をぐるりと見渡した少女は小首を傾げた。
「これだけあると、逆に探しにくいかしら」
月がそう口にするのも無理はなかった。
店内には床にも壁にも、古今東西あらゆる武器が所狭しと並べられていたのだ。盾、斧、鉞、大刀、鎖鎌、曲刀、槍、など名前のわかるもの他に、中にはこれが本当に武器なのかと疑いたくなるような奇天烈なものまであった。
「特殊な武器はやめるとしても・・・・・・何がいい?」
「そんな事言われてもな・・・・・・」
「そうよね、困るわよね。じゃあこうしない?剣か槍なら私達で教えれるからその辺絞ってみていきましょ」
近くに在った空樽から適当に一本剣を引き抜いて、鞘から抜き出す。細い銀の光が暗い店内にきらりと光る。
「これはレイピアみたいね。現実世界で言えば西洋で十六世紀頃に流行ったものよ。刺突を得意とする剣でフェンシングのもとになったといわれているわ。持ってみる?」
手渡された剣と手にとって眺める。手にかぶさるような装飾があり、持つのに邪魔だった。軽く振るだけで剣先が大きくしなう。
「ちょっとこれは・・・・・・」
「そう、じゃあ次ね」
月はさしてこだわらず、次の剣を手にとった。二本目に引き抜いたのは刀身が波型をしている剣だった。月は一見するなり眉をひそめた。
「これフランベルジェよ。物騒な剣ね」
「物騒?どこが」
地を這う蛇を真似たような刀身は、物騒どころか実用性さえあると思えないのだが、月は突きの動作をしながらさらりと述べた。
「これで傷をつけると傷口が広がり悲惨になるのよ。しかも切口がめちゃくちゃになるから縫合もしにくくて、急所を外し刺しても、例えば腕なんかを狙っても確実に使い物にならなくなる。あんまりお勧め出来ないシロモノ」
ゆえが選ばなかったのは言うまでも無い。
(・・・・・・・・誰がそんな物騒なのもの持つか)
月も頷き次の物を選び始める。
「たぶんこれはチンクエディア。あんまり詳しくないけど、確か背に背負う短剣だったと思う」
渡された剣はひどく重かった。
「なあ、もうちょっと応用が利いていて軽い物無いかな」
「大体わかってきたなら自分で選んでみる?その方が確実な気がするわ」
そこで二人で手分けし探し始めることにした。月が見つけた時にはゆえのもとに行き、形状や使い方を説明する。ゆえが見つけた時には月のもとへ行き名前から教えてもらう。
中には月も名前を知らない物もあり、月は柚に来て貰うんだったわね、あの子こういうのも詳しいからと肩をすくめた。
ゆえがそれを見つけたのはちょうど十一本目の剣を樽に戻した所だった。さんざん鉄製の剣を持ち上げたので、右腕が悲鳴を上げそうな有様だ。ふと思った。
(だいたいいつも持ち歩くものなんだから、軽くなきゃいけないじゃないか・・・・・・)
今更それに気がついた自分に舌打ちし、出来るだけ細身の物を探し樽を覘き込んだ。
「ん・・・・・・?」
鮮やかな蒼の房飾りが目を惹く。先には小さな碧の珠玉までついているが、革張りの束に手ずれの跡がある事から実用の品だと知れた。何となく心引かれ、引き抜いて手にとる。
今まで持ったどの剣より軽い。刀身も薄いが軽く振っても最初の剣のようにしなる事も無かった。
「良いのがあった?」
「ああ、これ。何て名前だろう。持ちやすいんだけど」
近づくにつれ月の眼が点になった。剣とゆえも何度か比べ、笑いを含んだ声で呟く。
「それ、選んだの?」
「・・・・・・なんか問題でもあるのか」
「いいえ、無いわよ何にも――――――それはね。青竜刀っていうの。いえ、細身だから柳葉刀かしら。普通の中国刀は青竜刀と言うんだけど、細身のものを柳葉刀といのよ。それにする?値段によっては無理な時もあるけどね」
「気に入ったものがあったかね」
振り返ると置くから店主が笑いながら出てきた。
「武器全般に強いようだねお嬢ちゃん。ほら、やってみたよ」
手渡された小さな刀じっと眺め、軽く頷く。
「良い出来だわ、これで安心して愛刀を頼める。最近砥ぎに出せなかったから嬉しい」
「やっぱりな、その腰の物も東極刀かね」
「そう、なかなか上手い砥師に巡り会わなくて・・・・・・気を悪くしたかしら。前に最初からこれを頼んで無茶苦茶にした奴がいたから用心しているのよ」
「いんや、用心は良いことだ。それだけの大物はさすがに一日がかりになるな。明日の昼頃取りに来てくれるかい」
「ええ、わかった。ああ、それとこの柳葉刀は幾ら?」
「いいものを見せてもらったから、銀貨一枚でいいよ」
「本当に!?」
「ああ、べっぴんなお嬢さんだからな」
ありがと、と言いながら月が金を渡しつりを貰った時だった。蹴破るように扉が開き、銅鑼声が響きわたる。顔をしかめて入口を見れば赤ら顔の男が入っくいる。
「おやじ!!頼んどいた、大刀。入ったか」
「扉ぐらい、静かに開けてくれんか、痛むでな。これだろう、金貨三枚だ」
「冗談じゃないぞ!この前あれだけ武器売ってやったろうが!!得意先にそれだけふっかけるか」
「あんな血糊まみれの中古品何てはした金だ。金一枚で良いからもうこんでくれ」
「店主!!」
「なんだい」
暫くにらみ合いが続く。先に口を開いたのは店主の方だった。
「もう帰ってくれんか。他に客もおるのでな」
ここで初めてゆえ達に気づいたらしい。じろじろと二人を眺め回し、妙な笑を浮かべて言い放つ。
「これが客か、ここは武器商から違うのに商売変えたらしいな。こんな客の寄り付く店なら、オリィコフ一の武器商が聞いてあきれる」
「どう思って思っても構わんよ。こちらのお嬢さんはお前らより数段上等な客だ。ほれ、とっとと帰れ」
男達は毒つきながら引っ手くるように荷物を持っていき、投げ捨てるように金を置いて去っていった。
「すまんね、妙な客で」
「別に気にしていませんよ、都だからこんなものでしょ。それより剣ありがとうございます」
「いいや、じゃあ。明日の昼来てくれ」
「前金は?」
「いらんよ。たぶん払って貰う金よりこれのほうが高いだろう」
「良い人だったわねー、ご店主」
「なあ、これって。本当は幾らぐらいするんだ?」
「私の見立ててでいくと、金貨一枚以上」
この世界存在している貨幣は硬貨のみ。国ごとでそれぞれ鋳造されているが、大国の物であれば近隣国で使用が可能だ。
主な硬貨は金貨、銀貨、銅貨。多少上下はあるものの金貨が一万、銀貨が一千、銅貨が小銭に換算できるらしい。多額の金額を使う時は為替を使用するけど、まず私達みたいな旅人なら使わないと金髪の少女が教えてくれた。
「・・・・・・じゃあ、半額で譲ってくれたのか・・・・・・」
「だから言ったでしょ、親切だって。手入れが綺麗にされているから、本当はもっとしたかもしれない」
「・・・・・・明日よーくお礼言っとこう」
「そうね、じゃあ次は地図だから――――――本屋ね」
「本屋に売っているのか」
「屋台みたいなところも見てみるつもりだけど、何処にあるかわからないし、正確じゃないから本屋で買ったほうが手っ取り早いのよ。まあ、道の屋台も見ていく予定だけどね。他にたりないものあったっけ?衣服と食料と石鹸と・・・・・・こうなったら表でも作ってもって来るべきだったわ」
月が残念そうに呟いたその時、声をかけてきた者がいた。いぶかしみながら振り返ると、先程店にいた男達が並んでいる。
「どっかで見た顔だと思ったら、さっきのお嬢ちゃんじゃないか」
気味の悪い笑みを浮かべて男達は近付いてきた。
「さっき剣を売ってただろう」
「ゆえ、行こう」
男達の勘違いを訂正しようと口を開きかけたゆえだったが、腕をつかまれつんのめるように歩き始める。無視して歩みを速め人込みに紛れてしまおうというつもりらしいが、周り込まれいつしか男達は囲うように立ちふさがっていた。赤ら顔を更にだらしなく緩めた男は一歩踏み出しにたにた笑う。
なまりの混じった声で聞き取りづらいが、“ちょっと付き合ってくれたら綺麗な服を買ってやる”だの“船に乗せてやる”などと喚く男に月は不機嫌な冷たい声で答えた。
「結構です。いいかげんどいてもらえません?」
「そういうなよ、そんな細っこい男なんかよりいい男が沢山いるぞ、ん?」
含み笑いを浮かべながら少女の肩に腕をまわそうと腕を伸ばす。薄墨の眼がすっと細められた。
ゆえが加勢しようとしたが、既に勝負が着いていた。
詳しく言えば肩に腕をのせてきた男の腕を背にひねり上げ蹴りとばし、もう一人の男の眉間にどこから出したものか幅広の懐剣を突きつけた。軽く肌に触れたのか、額から一筋の血が伝う。
「別に金に困っているわけでもないし剣を売った訳でもないわ。ついでに言うとこの顔と身体を使って商売してるわけでもないから他あたってくれない?」
すべてにっこり笑顔で言われた言葉である。しかし青筋立てて言われるより遥かに恐い。
ようやく眼の前にいる少女が自分達より遥かに腕の立つ事に気が付いたらしい。真っ青になって後退りし、逃げていく。辺りから少女に向けての歓声と、男達に向けての失笑の声があがる。
月はこうなったら顔隠した方が良いかしら、と逃げていく男を睨みつけぶつぶつと文句を吐いた。
「服だって男物着ても意味無いし。何だってこんな昼間から声かけてくるんだか」
「いつもの事なのか」
あまりにも手馴れた対応だった。懐剣を鞘に戻しながらまあね、と答える。
「あんな奴何処にでもいるのよ。さ、行こう」
颯爽と歩き出す月の姿を見ながらゆえは思う。
涼しげに整った顔立ちにほっそりとした体格。白い顔に零れる艶やかな黒髪は見るものに清冽な印象を与える。多少若すぎる気もするがああいうのに目をつけられるも無理は無いだろうな、など考えていると月が訝しげに覗きこんできた。
「どうしたの?ゆえ」
「いや、別に」
「じゃあさっさと行こうよ。下手に止まると人が寄ってくるよ」
ふと、周りを見渡すと視線が集まっている。話し掛けられそうになり慌てて逃げるように後を追う。
「置いてくなよ・・・・・・地理まだ良くわかってないのに」
「ぼやく暇があったら通りの名前の一つでも覚えた方がいいんじゃない?」
人並みをすり抜けながらいたずらっぽく笑われる。
「あぁ、ここね。柚の言ってた本屋」
立ち止り、見上げた。
「ああ、それなら三軒隣の地図屋に行きな。その方が良いもんそろってるよ」
恐ろしく本が乱雑に積み上げられた――――――何しろ軒下までも本が天井近くまで積み上げられ、看板が隠れている――――――本屋の中に入り、腰を曲げて本の埃を拭っていた恰幅の良い女性に『地図がほしい』と言った返答の言葉だった。
「あたしの妹が嫁いだ店でね、たまには客回してやらなきゃ潰れちまうぐらいの貧相な店だが、信用できる地図が多いね」
「地図って本屋に売っているんじゃなかったのか?」
ゆえは困惑気味に月の方に向き直る。
「私も今までは全部本屋か露天で見ていたの、でも流石“港と商”の国ね」
「そう、ここは“港と商の国オリィコフ”。夢想界の市場の源ってね。だから本で用事があれば今度こそうちで頼むよ!」
「親切にどうも、じゃあ」
「いいよ、あんたあのごろつき水夫どもを叩きのめしたんだろう?あいつらと来たら昼間から酒ばかりくらって、誰彼かまわず声をかける。良い薬になったろうよ」
二人は互いにきょとんした表情で顔を見合わせた。そんな様子に女主人はからからと声をたてて笑う。
「何で知っているんです?今さっきの事なのに」
「あれだけ大きな騒ぎだ。此処の通りのもんは対外知ってるさ!商人ってのはたいがい噂話が好きだからね」
あんたが行けば対外の店は融通利かせてくれるよ、と含み笑いを向けられ月は手で顔を被った。
「目立ちたくなかったのに。失敗したかしら」
「そんな顔しなさんな、せっかくの別嬪がだいなしだ。皆気のいい奴らだから赦しておやり、ちょっとばかし口は軽いがね。大丈夫さ、地図屋の主人は変わりもんだからまだ噂のうの字も知らないだろうよ」
「その方がかえってありがたいかも」
月はうめくようにそう言い苦く笑った。
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新章連載開始です。長らくご無沙汰だった夢想界編。
やたらとトラブルに巻き込まれる四人の旅立ちをお楽しみください。