第一章 初 二
二
「あれはゆえよ。わかるでしょ?」
「まあ顔は似てると思うけど・・・・・・雰囲気が大違いだろ」
「そうかしら。どんな時でもなぜか目を引くって所は同じじゃない?」
「お前だけにはあいつも言われたくは無いと思うぞ」
謎めいた転校生としてもはや校内で知らぬ者はいない存在だというのに、少女はその言葉に訝しげに眉をひそめた。
「どーゆー意味よ」
「お前の方が目立つって言ってんだよ」
それともうちょっと普通に笑えよ、と続ける少年の言葉に少女は肩をすくめて苦笑した。
「どうにかしなきゃね」
言っている事とは裏腹に全く別の事を考えている少女の額を、少年は軽く突付く。
「暴走、するなよ」
「うわ、何で決定事項なの?疑問系ですらなかったでしょ」
「だから、あれからお前目が笑ってないんだよ」
いたずらっぽく笑う少女を本気で嫌そうに見つめながら、面倒そうに口を開く。
「俺も最初は色々聞いてみたさ、名前が同じだったからな。だけどあいつは何にも答えないんだよ、どれだけあっちの話をしても単なる夢の話としかとらえない。そんな奴が『ゆえ』な訳無いだろ」
「理屈で言えばそれが正論」
けどね、と続ける少女の瞳に銀の光が灯る。
「あれは『ゆえ』よ。私はそう感じる、ただの直感でしかないけど、これを無視する事なんて私には出来ないわ」
口だけで微笑み、少女――――――月は答えた。
階段を降りながらゆえは深く溜め息をついた。窓の外では既に部活にいそしむ生徒の伸びやかな声が響くのに対し、校舎内は薄暗く人気が無い。
あの後、いくら問いつめても翔は『いつか話す』としか答えずそのまま黙り込んでしまったのだ。
文句を言おうにも相手はホームルームが終ると同時に転校生と共に姿を消してしまい、言えなかった愚痴めいた言葉だけがゆえの頭に渦巻いている。何と無く面白くない事ばかりが続いている気がしてゆえは再び溜め息を吐いた。
その上ゆえは一人で帰宅している。
一人が嫌だという訳ではないが、こんな時に一人だとろくな事にならない。いつもなら翔が真っ先に気づき、何やかんやと話題を振って気をまぎらわせてくれる。だが自分だけでは意識転換が大の苦手なため、ずるずると思考の泥沼にはまっていくのだ。
眉間に皺を寄せ、乱雑に頭をかく。
本当の原因は他にある事はわかっている。真実心にひっかかっているのはあの、転校生。
心中で渦巻く感情は、焦燥か、不安か、戸惑い、困惑か――――――夢から目覚めた時にも似た感情があの転校生を見てからずっと心の底にこびりついているのだ。確かめようとするとするりと手から滑り落ちるごとく消え失せのに、靄のごとくつきまとうこの感じ。
はっきりと自覚が無いまま、むしろ自覚が無いからこそ、もどかしい不安といらだちを抱えこむ事となり、自然とゆえの顔は険しくなる。
むすっとしたまま下駄箱の蓋を開けたゆえはそのまま硬直した。
(・・・・・・?)
視線の先には白い手紙があった。そっと取り出し封を切る。
中にはこんな文字が記されていた。
若狭 ゆえ様へ もしあなたが夢想界のゆえなら図書館まで来て下さい。 淡路 月より
数秒間の思考停止の後、ゆえは頭の中で紐状の物が千切れる幻聴を聞いた。
そうすると同時にまるで湧き上がるように怒りが湧いてきた。冷静に考えてみればこの手紙だけでそこまで怒りを覚えるのはおかしい。けれど自覚の無いまま疑問と不審を溜め込んでいたゆえは、自分でも不審に思うほど腹が立って、腹が立った理由がよくわからないのでまた腹が立つ。
ゆえは雪達磨式に増えた怒りをいだき、そのままの勢いで図書館がある階まで上がって行ったのだ。
流石に四階分の階段を一気に駆け上ったので息がきれた。息を整えながら図書館の薄茶色をした木製の引き戸睨みつける。通常は人が溢れ、活気のある憩いの場なのだが、そのせいか人気の無い今は廃墟のような雰囲気をかもしだしている。
磨り硝子越しに見える影から、手紙の差出人は窓際の本棚にもたれかかっているようだ。
手をかけ一気に戸を開ける。軋んだ音が静かな空間に響いた。
ゆえが室内に足を踏み入れるのと、少女が顔をあげたのは同時だった。
薄茶と薄墨の視線が重なる。
引き込まれるような虹彩の色に、ゆえは一時怒りを忘れた。
驚く程澄み切っていて真剣な光を称えている瞳は、銀の光を宿している。名前や声だけに気を取られていて気がつかなかった綺麗な顔立ちにも、密かに眼を見張った。
不思議な気分だった。目が離せなくなるのに、なぜかこれ以上近づいてはいけないと感じる。
少女はふっと表情をやわらげた。
「よかった。やっぱりゆえだったのね」
行き成り意味不明の事を言われた、ゆえはぽかんと立ち尽くした。少女は尚も続ける。
「間違ってたらどうしようかと思った。転校した初めの日に変な奴だと思われるのは、絶対嫌だったからね、良かった。それはそうとあんた一体今まで夢想界のどこに居たのよ?行き成りいなくなって一年半も姿くらませて。翔も柚もすっごく心配したのよ」
一年半――――――その言葉を聞いた瞬間、出端を挫かれ今まで忘れていた感情が一気に戻ってきた。その感情に押し流され、吐き出すかのように言い放つ。
「俺はあんたなんか知らないし、ムソウカイって何の事だ!?俺がこの場に来たのは、ただこの手紙がどういう意味なのか気になったから!ただのいたずらならやめてくれ」
驚きに月の瞳が見開かれ、淡い色の瞳を更に薄くする。それを見てゆえは我に返った。
「悪い。怒鳴るつもりじゃなかったんだけど。だけどあんたがあまりにも夢に出てきた人と似ていて・・・・・・」
口を滑らせたと気がついたのは言った後だった。慌てて口を閉じたがそれを無視するように月が言った。
「本当に、本当にゆえじゃないの?翔も全然“似てない”って言ったけど。まあ眼つきは全然似てないし、髪も普通なのは認めるけど。でも、名前全部同じだし、顔立ち似てるし」
「だから知らないって言っているだろう。だいたい一年以前の記憶は俺には無いんだ、あの事故で記憶喪失になったんだか・・・・・・」
しまった、と思ったが時はすでに遅く、今度こそ相手に言葉が届いてしまった。
「記憶喪失って------」
何、とでも聞きたかったのであろうが、不意に背後から声が響いた。
「あなた達、校時刻はとっくに過ぎていますよ!こんなところで何をしているのですか」
ゆえにとっては嬉しい事に、会話を打ち切る口実をわざわざ与えてくれたようなタイミングで図書館担当の教師が近付いてくる。
「一体何をしていたのですか?」
ゆえが言い出すより早く、少女が口を開く。
「若狭君に図書館の利用の仕方をきいていたんです。私、今日初めてこの学校に来たので」
咄嗟に堂々とこんな大嘘がよくつける物だとゆえは感心しそうになった。
教師もこの大嘘を信じてしまった様子で『それは明日にして、早く帰りなさい』とだけ言い残してさっさっと行ってしまった。
足音が完全に遠のいた後、少女が振り返った。
「これ以上ここに居るとまたさっきみたいになるとの思うから、場所を変えようか?」
形は問いかけだが実質的には決定と変わりない言葉。
「私の家でいい?それ以外思いつかないし。あ、でも此処から行くとなると場所がいまいち良く解らないんだけど。この場所わかる?」
月がゆえに手帳を渡す。簡単な地図と走り書きのような字で住所が記されていた。
「『丘陵荘A-二白詰』」って・・・・・・」
「変わっているよね、それアパートの名前よ」
尚も沈黙しているゆえにいぶかしみ月が尋ねる。
「どうしたの?」
「俺の家、『丘陵荘A-一葵・・・・・・』」
何と、隣部屋だったのだ。
(何やってんだろう)
目の前で鞄から鍵を取り出そうと、悪銭苦闘している少女を見ながらもうもう一度同じ言葉を、今度は吐きだすように小声で呟いた。
「何やっているんだろ・・・・・・」
よりによって二学期最初の始業式。隣にある自分の家にも帰らずに今日会ったばかりの第一印象最悪の転校生と五分間も部屋の前で鍵を探している--------そう考えると頭痛がした。
「管理人さんに頼んで開けてもらおうか?」
その声には、早く終わらして欲しい、という気持ちがかなり入っていたが、それに気づいているのか気づかないふりをしているのかわからないが月は答える。
「あ、ちょっと待ってもう少し。慌ててたけどちゃんと入れたのはわかってるのよ。あ・・・・・・あった!」
語尾はそのまま歓声にかわった。月はすまなさそうに手早く鍵を開ける。
「ごめんね、待たせちゃって。あんまり片付いてないけど、上がって」
言いながら自分から先に急いで中に入っていった。
のぞきこめば部屋の作りは隣室とかわらない1Kの部屋が見える。一番奥の窓側にベッドがあり、右側には机と本棚。左側にはダンボール箱が七、八箱積み上げてあった。
殺風景な部屋、というのがゆえのこの部屋へ対しての感想だった。
ゆえ以外の人が見ても同じ感想を述べただろう、また人の住んでいる気配の無い部屋、と言ってもいい。
布団が角に畳まれているベッド。からっぽの本棚。同じく何も置いてない机。何年も人が住んでいないような雰囲気が部屋中にたちこめていた。少女がダンボール箱の一つを開けて硝子のグラスを取り出す。
「今日の八時頃引越しして来てね。私は両親とも亡くしていて、明日華さん――――――叔母さんに育ててもらってたの。けど、その人仕事の関係で外国に転勤になっちゃって私だけ日本に残ったのよ」
道理で隣に人が引っ越してきた事を知らなかったわけだとゆえは思った。学校まで行くのに十五分近くかかるためはいつも八時四十五分には家を出ているのだ。
月は冷蔵庫からペットボトルをとりだし、先程のグラスに麦茶を注ぎながら続ける。
「それで、ついでに住んでたマンションも売ろうってことになったの。どうせなら知り合いの多い土地のほうが言って、わざわざこっちのアパート探してくれて。でも、そのおかげで始業式ぎりきりに引っ越してくる事になって」
はい、と麦茶の入ったグラスをゆえに手渡し、今度は備付けのクローゼットからなにやら座布団まで引っ張り出す。
変わった奴だっとゆえは思った。人が聞いたわけでもないのに自分の家の事情を話し始める者などそうはいないだろう。
「ところで図書館で記憶喪失がどうのこうのって言っていたけどどういう事?」
行き成り核心を突かれて、ゆえは飲んでいたお茶でむせた。
そして、もうこうなったら全部話そうと口を開く。半分以上自棄の感情が手伝っているきがするな、と心の隅で思ったが故意に無視した。
「二年――――――正確には一年半前、俺は交通事故にあったんだ」
月は驚いたように何か言おうとしたが、思い直して先を促した。
「家族で旅行に行くはずだったらしい。そしたら山道でスリップして・・・・・・あんまり人が来ないような場所だったから、発見されるのも遅くって。父親や母親はほとんど即死らしくて助からなかった・・・・・・俺もかなり瀬戸際までいったらしくって、そのせいで記憶喪失になったらしい。
・・・・・・と言うかこれも後から聞いた話だから実感無いんだ。とにかく気づいたら病院のベッド上で。一般常識とかはわかるんだけど、家族や、友人や、自分の名前さえ、わからなかったんだ・・・・・・」
コップの中のお茶に目を落とし続ける。焦げ茶の液体は握りしめた体温で少しづつぬるくなっていった。
「そのまま同じ土地にはいくらなんでも住めないだろう、って言う事でここに引っ越した。だから、もし昔の俺の事を知っているなら、そういう事だから覚えていないんだ」
少しの沈黙の後、月が奇妙にうわずった響きの声で問う。
「事故の後に、妙な感覚がするの事なかった?例えば誰かに呼ばれているような気がする事とか」
「は?」
ゆえの不思議そうな顔を見て月は困ったように笑う。
「心当たりが無いなら気にしないで別に変な意味は無いから。変な夢を見る事は無い?例えば繰り返し同じ夢を見るとか」
変な夢なら見たことがある、と思ってゆえは月に今朝も見た夢――――――事故があった日から見続ける夢の内容を語った。
それを聞いた月は何やら困惑しつつも納得したような笑顔を浮かべた。
「やっぱり、あなたは私達の探しているゆえだと思う。前住んでたのって京都でしょ」
「そうだけど・・・・・・俺も一つ聞いていいか?」
どことなく嬉しそうにしている少女にゆえは質問してみた。
「さっき、図書館で言っていたムソウカイって何?」
月は嬉しそうな表情を消して、僅かに困ったような表情になった。
「ごめん。今は説明できない、と言うより信じてもらえない。でも、すぐに説明出来るようになると思うよ」
月は微笑ながら答えた。
(そんな事言われたら・・・・・・・・・・・・気になるだろう)
重苦しい溜息をついて、ゆえは頭を振った。
最近、ため息が癖になったような気がして顔をしかめる。今日だけで何回溜息をついたか数えようとして、結局はやめた。とても馬鹿なことをしているような気がしたし、今日の奇妙な出来事が鮮明に脳裏に浮かんでしまったのだ。
頭に置いたタオルで適当に頭を拭きながら脱衣所を出ると、電話の再生ボタンが点滅していた。珍しいと思いながら押してみる。この電話には留守電どころか電話一本かかってくることさえ珍しく、再生ボタンを押すのも数週間ぶりになる。不愛想な自分の声の後に響いた声を聞いて、ゆえは硬直した。
『淡路 月です。言い忘れていたけれど、もし今日の夢で夢想界っていう変な世界行ったらオリィコフの港町にある時計塔にきてください』
ピー、っと電話が鳴った。
ますます訳がわからなくなった頭で考え、もう今日は寝てしまおうと言う結論にたどりついた。妙に疲れた気分で布団に潜り込む。
眠りにつく瞬間に、あるいはもう眠った後だったかもしれないが、声を聞いた。ゆえは気づかなかったけれど、確かに声はこう言った。
『出会ってしまった・・・・・・・もう、止められない。“時”が動き出してしまう・・・・・・』
声は確かにそう言った。