第三章 祭 十四
十四
「で、結局それにしたんだな」
「間違っても着たかったわけじゃないから」
真っ白なアオザイ姿の月は溜め息を吐いた。
「柚に押しきられたのよ。おまけに明日華さんまで喜んじゃうし」
可愛らしく朱の金魚が泳ぐ裾を持ち上げて眺める。決して趣味の悪い物ではない、むしろ自分好みを熟知している明日華が選んだだけあり好きな柄だ。
しかし生徒の視線を感じるのには閉口した。昨日もそれなりに注目されたが、より多い気がするのだ。まだ部室にいるというのに。
試合の時のようにうなじでまとめ、今日はこめかみから少し髪を垂らした頭をいらだちまぎれにがしがしと掻く。
「そんな風にしたら、髪形崩れるじゃない!!」
直に横から文句が飛んできた。
柚は昨日贈られたチャイナドレスに身を包み、髪を高く二つに結ってまとめて小花の飾りがついたピンといくつも留めている。ふわふわと揺れる花が可愛らしいその姿に、月は殺気の一歩手前ぐらいの視線を投げかけてみた。
「そんな血走った目しいてたらお客さんが逃げるでしょうが」
「誰のせいよ誰の」
「誰でしょう?」
「わざと言ってる?」
「もちろん♪さあ、動かないでよ」
ずれるから、と言いつつパレットのような道具から筆で口紅を掬い取る。月の口元に色をのせ、別の道具を取り出し眼元にも色を挿していく。
「髪は後にすればよかったかもね、やりにくいわ」
「だったらやらなくても良いから」
げんなりとした風情を隠さず呟くがその間にもどんどん顔は整えられていく。仕事で来られなくなった姉の変わりに今日は柚が化粧係だった。
「さあ、できあがり」
鏡を手渡し柚は月の顔を覗き込む。
「どう?」
「ちょっと、濃くない?眼元とか」
鏡に映された姿はくっきりと眼元が強調され、いつもより二、三は年上に見える気がする。
「大丈夫大丈夫。お祭なんだし、綺麗よ月」
「どーも」
「ところで明日華さんは、後から来るの?姿が見えないけど」
「帰ったよ」
さらりと言った。驚きの顔をする少女に苦笑気味の顔を向ける。
「どうやらあの人、同僚の日本への出張奪い取ってきたらしいの。だから日本でも仕事があるから戻らなくちゃいけないんだって。昨日の内に此処を発っていったわよ」
迷惑かけたくないから知らせなかったのに、と続ける少女を柚は白い目で見ていた。
(なんでそこで『無理しても良いぐらい来たかった』って事に気づかないのかしらね)
普段は無駄に鋭いのにとも思いつつ、口には出さないでいた。
「言っても無駄だろうしね。さあ、次の人来て」
化粧の順番待ちをしていた部員のために椅子を立ち、月はゆえと同じように壁に背中を預けた。
「そう言えば昨日聞き忘れていたけど・・・・・・何で文通してた事になっているんだ?」
一瞬記憶を巡るような目つきになってから、月は答えた。
「ああ、それね。だって『いつも不思議な夢の中で会ってる仲間』何て紹介できないでしょ。柚と翔は幼馴染だったけど“ゆえ”とは現実では何の接点も無かったし。それに完全に嘘というわけでもないわ。たまにだったけれど手紙をやりとりしてたの。私が送った手紙あったでしょ」
「あんま手紙なんか見てなかったから・・・・・・」
「どうして」
きょとんとした様子の月。ただ疑問に思っているだけだとわかったので、別に大した理由じゃないけど、と言いながら答えた。
「何となく自分が書いたんじゃ無いのに返事が着ているのが妙な気分がして。あんまり見てて気持ちのいいものじゃなかった」
「そっか」
「興味も無かったしな。叔母さん達は見てほしそうだったけれど」
「悪かったね、変な事訊いて」
「別に・・・・・・」
いいけど、と続けたゆえの声は手を打ち鳴らす音でかき消された。
「みんなこっち注目ー、一時作業中断して集まって。日程の確認するからー」
今日は何故かサリーを身にまとっている霜割先輩だった。心なしか疲れてぐったりとしているように見える。
「昨日と同じ十時開始。今日は一般日だから『WANTED』は無しね。中庭で作っておいた小物売りをやるわ。完売しだい自由に行動して良いから、始めは全員であたる事!」
部員達から歓声があがる。作業能率と売上もこれで上がるんだろうなと、ゆえは頭の端で考えた。
「但しこれから名前を呼ぶ人は別行動。劇部の着付け依頼がきているのでそっちにまわって。柚、菊代、月さんと私ね。あ、ゆえ君も荷物運びとしてこの班と一緒に行って。この班も着付けが終り次第解散予定よ。昨日遊べなかった分、終わりまで自由行動。今までご苦労様、後少しだからがんばっていきましょう!
ついでに明日の予定も言っとくわ。午前だけ『WANTED』で正午に一度集合して軽くかたずけしてから解散。知ってると思うけど二時からの後夜祭は自由参加で、手芸部はGブロックが割り当てられてから、特に予定の無い人は是非来て。では行動開始!はりきっていきましょう」
返事の合唱が響き渡り、ばたばたと一斉に移動を開始する。
「じゃあ、劇部へ行く人はこの衣装ケース持っていってね。一度では運べないと思うから何度か行かなきゃいけないのは申し訳ないけど」
最後の言葉はゆえ一人に向けてだった。目の前に置かれたケースは七個。はおそらく他の者は着付けに行くため、自分一人の仕事になるのだろう。
「大丈夫よ、私も手伝うから」
見透かしたような声がする、月だった。
「柚も着付できるから、帯結ぶ前ぐらいに戻ってこれば大丈夫よ。二人でやれば二回ですむでしょ」
「そうだな」
「本当は一回ですめば言う事無いんだけどね。階段下るのに二個持ちは無理だろうし」
早くも荷物を抱え、歩き出す。慌ててゆえも続いた。だが、戸を開けて部屋をでた所で足をとめてしまう。
「どうかしたのか?」
「あれ、何だと思う」
見ると階段のあたりに人だかりが出来ている。あんなところにかたまっていたら通行の邪魔になるだろうに、とゆえは呆れた。
「ちょっと様子見てくる」
言うが早いか階段の方に足を向け、理由を尋ねに行った。人だかりの中の一人に声を掛けた月の顔は徐々に曇っていく。
「何だったって?」
「どうやら、踊り場のステンド硝子が割れたらしいわ」
「はぁ?」
「また、黒服の所為じゃないかってみんな話してる。とにかく階段は一時封鎖。どうするのかしらね。劇の衣装って早くなきゃいけないんじゃないですか?」
唸ってから、背後にひかえていた霜割先輩はきっぱりと言い放った。
「しかたないわね。非常階段使いましょ。足場悪いから気をつけないといけないけど」
人だかりは仕方なさそうな表情を浮かべじりじりと散っていった。急がなければ、非常階段の方も混んで来るだろう。部室に戻り先輩がベランダの鍵を開けた。
「念のために鍵閉めていくから先に行ってて」
「はいわかりました!」
ゆえの代わりに月が返す。一行はゆえを先頭にぞろぞろと一列に並び、進んでいく。まだベランダに人影は無かった。
角を曲がり階段を下ろうと足を踏み出す――――――
「ゆえ!」
突然後ろから襟首をつかまれ、後ろに倒れないのが不思議なほどの勢い引き戻された。
文句を言おうと後ろを振り返れば月は前方の一点を凝視している。咳をしながら痛むのどを押さえ視線を向ければ、ちょうど足を踏み出そうとした位置に、キラキラと糸状の物が光を乱反射している物体が見えた。
「・・・・・・・・・・・・ピアノ線?」
月が注意深く近付く。覘きこんだ踊り場部分には、糸が下から右の柱を伝い天井にまで伸びて、小さなブリキのバケツに繋がれている。
「なりふり構わなくなってしたわね。古典的と言うか」
ケースを踏み代替わりにして覘いたバケツの中は、油とペンキにまみれた液体が詰まっていた。
「ねぇ、そろそろ悔しくない?」
もうどうにかしてくれという表情をありありと浮かべ沈黙する霜割。
「やられっぱなしでさぁー」
笑っているのか嘆いているのか珍妙な表情の柚。
「そろそろ打って出ないと女が廃るわよ」
遂に無表情になってしまった月。
「で、反撃開始ね、四人とも」
諦めの表情を二人に向けるゆえ。
演劇部の着付けを終え――――――きわめて用心しながら――――――逃げ出すように部屋を出た所だった。
最も聞きたくない声が、予想どおりに響いた。
※※※
くるー、きっとくるー
物語りも佳境となってまいりました。『祭』もあと数話です。
よければお付き合いください。