とある進化の話
2ch創作文芸板(http://kamome.2ch.net/bun/)のSF新人賞スレ(当時のスレ名「日本SF新人賞■創元SF短編賞 Part.6」)にて開催されていた「第2回コマツ(`・ω・´)シャキョーン杯 SF新人賞スレ住人ショートストーリー競作祭り」の応募作品(遅刻)です。原題は「シソーラス万歳」と言いました。
天才棋士としてその名を馳せながらも先日夭逝した大村正人は、私の友人であった。
大村をここで改めて紹介する必要はないと思われる。アマチュアからある日突然のフリークラス入りを経て悠々とプロ編入してからの活躍は、普段から将棋に興味を持たない者でも一度ならず耳にしていることだろう。
大村はセンセーショナルな棋士であった。知られる限りでほぼ無敗、大胆にして精妙な打ち筋であらゆる識者を驚嘆させる一方、名が売れると同時にマスコミの各方面へ頻繁に顔を出すようになり、試合中とは打って変わった軽い人柄と言動で視聴者の人気を博すると同時に、真面目な将棋愛好者の反感を買った。
賞金を惜しげもなくつぎ込んで派手に遊ぶ様もワイドショーなどで取り上げられ、話題となった。まさに現代の天才棋士、浮世離れしたスターといったところだ。
しかしながら、私の知っていた大村は、そんなイメージとはかけ離れた平凡な男だった。大人しく、さしたる交友関係もないように思われた。何でも話せるのはお前だけだ、というように言われたこともある。
そんな彼が、華々しいデビューを飾り著名人の仲間入りを果たした後で、私に連絡をしてきた。一度会って話したいと言う。
久しぶりで会った彼は、テレビや週刊誌で見た派手な立ち居ぶるまいとは無縁で、以前の私が知っていた通りの大人しい様子だった。沈んでいた、と言ったほうがいいかもしれない。
あまりにも印象が違うため、周囲の人々にも気づかれないようだった。
「活躍のほどはテレビで見させてもらっているよ。今や、雲の上の存在だな」
「大したことじゃない」大村は言い捨てた。
「どこへ行っても聞かれる。どうしたらあんなに強くなるのかってな」
それは私としても気になるところだった。大村は以前から好きで将棋を打っていたが、凡庸なアマチュアレベルにいつまでも留まっていた。いきなりこんなにも腕が上がるのは、何かあったとしか考えられない。
大村に関してよく取り上げられる話題もそのことだった。そして誰に聞かれても、答えははぐらかされていた。いわく『命懸け』で勉強しました、とかなんとか。
「お前には教えてやってもいい。俺がどうして強くなったか」
「それは光栄だな。しかし、何だってそんなつもりになったんだ」
「誰にも言わないでおこうと思っていた。だが、誰かに知っておいてもらいたい気持ちが最近抑えられなくなってきたんだ。聞かせてやってもいいが、ただし、俺が生きている間は誰にも話さないでくれ。約束できるか」
「なんだか物騒だな」
私にとっては身に余る秘密だろうが、好奇心が抑えられず、私は彼と約束した。
大村は、言った。
「実は、俺はドッペルゲンガーだ」
「何だって」
突拍子もない話の出だしに私は面食らった。大村は笑って続けた。
「まあ、聞いてくれ。すべては、ある飲み会のあった晩に起こった」
大村の参加していたクラブのある日の会合で、彼はその男と出合ったと言う。その男は当然のようにその場にいたが、後で確認したところでは会員の誰一人として彼のことを知らなかった。
かなり酔いの回っていた大村にその男は近づき、こう話したと言う。
「大村さん、あなたもっと強くなりたくはありませんか」
「そりゃあなりたいさ。でも、これでもかなりの努力はしたんだ。それでも、筋のある奴には敵わない。やはり、才能が大事ってことさ」
「そうでしょうかね。私の見立てなら、あなたはもっと強くなりますよ。興味がありますか」
酒の勢いもあって、大村は男の話に乗り、車に乗って付いていった。そしてどことも知れぬ建物へ入り、証明写真の自動撮影機のような物を見せられた。
「何だ、これは」
「これに入るだけで、あなたは本当の力を発揮することができます。なに、費用はいただきません。本当に強くなりたいなら、そのための機会を提供したい、それだけです」
「そんな馬鹿な話があるか。機械にかかるだけで将棋が強くなるなんて」
「正確には機械にかかるだけ、とはいきませんね。技能を得るには、それだけの対価は必要でしょうから」
「対価?」
「詳しくは話せません。興味がおありなら、機械を使っていただいて結構。本当に強くなりたいなら、と言ったほうがいいでしょうか」
そこで大村は、面倒くさくなったこともあり、黙って機械に入ったと言う。すると何かスイッチの入るような音がして、しばらく唸るような音が続き、すぐに扉が開かれた。
「よく決意されました、大村さん。これからは見違えるような人生が待っていますよ」
そんなことを言われた後、いつの間にか家に戻っていて、途中のことはよく覚えていないらしい。翌朝目覚めた時も、夢でも見ていたような気分だったと言う。
しばらくの間は何も起こらなかった。将棋を打ってみたが、普段と変わらず中の下程度の実力だった。
そして数日経ち、謎の男とのことも忘れかけたころ、それが起こったと言う。
平日の夜、部屋でくつろいでいた時のことだった。
「いつの間にか、いたんだよ」
「いたって、誰が」
「もう一人の俺がさ」
いきなり、部屋の中には大村が二人になっていた。当然、彼(彼等?)は驚愕し、お互いに腰を抜かしたが、落ち着いて確認してみて、両方が自分を本物の大村だと認識していることがわかった。
警察を呼ぶべきか、病院へ行くべきか、迷ったあげく、大村たちは将棋を打つことにした。なぜか、そうするべきだと思ったのだと言う。
勝負は当然ながら接戦となった。同じ実力の者同士だけに熱の篭った戦いが、ごくわずかな判断の差で決したとき、大村はこれまでにない充足感を味わっていた。
それで、勝ったほうの大村、すなわち私と話している現在の大村も、負けた大村も、満足げな笑顔を交わした。そうすると、彼はまた一人になっていた。
「消えてしまったんだ、負けたほうの俺が」
「それじゃ、問題なく元通りってことか」
「問題ないって。とんでもない」
この不思議な勝負の後、大村は考えて、結論に達した。
一人しかいなかった自分が、なぜかいきなり二人になった。完全に同じ、これまでの人生の記憶を共有した二人だ。そして勝負の後、負けたほうは消えた。
消えた自分が、どこか別の世界へ行って新しい人生を送るとは考えづらく、これは、勝負の間だけ別人であった二人のうち片方が、単に消えてしまったと考えるほうが自然だ。 早い話が、死んでしまったのだ。
これは、大変なことだ。今の自分は、勝負に勝ってこうしてここにいるからいいが、あのとき分裂して同じように勝負に挑んだもう一つの自我が存在して、勝負に負けたことで消えてしまったのだ。
これは、もし、もう一度分裂が起きたら、その分裂を自覚した自分は、もう一人の自分との勝負に勝たない限り消えてしまうと言うことだ。
あの謎の男の言い方から考えて、分裂が再度起こることは、大村には確実なように思えたと言う。
そして一ヶ月後、分裂は起こった。再度二人になった大村たちの頭に、どこからか、『猶予は一週間』という言葉が聞こえた。大村たちは、専用に一つずつの部屋を割り当て、そこに篭って準備をした。あらゆる書籍、棋譜をあたり、文字通り「命懸け」で勝負に備えた。
一週間後、二人は勝負を行った。勝負をしなければ二人とも消えてしまう可能性が否めなかったし、何よりも勝負せずにはいられなかったと言う。鬼気迫る勝負が決着すると、大村は再び一人になった。
将棋で戦わず、相手を殺害することも考えたと言う。しかし、互いに同じことを考えながらの殺し合いは考えるだけでぞっとしたし、同じ勝負するなら将棋で決着したほうがましだという結論に至った。相手も、同じように考えたらしく、それで大村は、一月に一度分裂しては勝負することを繰り返した。
これが、数年前から続いている。今の大村は、自分自身との勝負に勝ち続けてきた大村である。勝敗を分けたわずかな考え方の違い、直感を掴む感覚のすべてが彼に残っている。
いわばダーウィニズムの有効性を証明する形で、彼は適者生存の法則に従い生き残ってきた。進化の効果は明瞭に現れ、彼の腕前は以前とは比べ物にならなくなった。
大村が自分をドッペルゲンガーと呼んだのは、彼が妖怪になったということではなく、分裂して同じ姿の自分が現れたために、もう一人の自分が死に至ったということの表現だった。
いま、彼は一ヶ月の大半をのんべんだらりと「つまらない些事」で過ごしている。この中に、プロとしての試合も、テレビなどへの出演も含まれている。
彼が一人のときに修練しても、「勝負」に影響する効果がないからだ。
そして分裂が起こると、それから一週間、彼等の必死の修行が行われる。
修行の内容で、勝利に与したものは、生存した彼に引き継がれて残り、蓄積する。
そうでなかったものは、ただ消え去る。
分裂していない時の彼は、理屈から言えば気楽なはずだ。どちらが負けても、分裂前の彼の経験はすべて勝者の側へ引き継がれるからだ。
しかし実際には、やがてまた分裂が起こり、命懸けの勝負が待ち構えていることが分かっている以上、気の休まることはない。
恐怖から逃れようとして彼はバカ騒ぎをし、賞金を散財し、テレビに出演しては軽薄な行動で人気を博し、顰蹙を買う。
ここまで聞いて、話を信じられたかと言うと、正直難しかった。彼が超人的な腕前を得たことの説明にはなっているが、内容が荒唐無稽に過ぎる。
そのことを言うと彼は、私に勝負を見せると言った。
「確かに、その目で見るまでは信じられないだろうからな」
それで私は、彼の家に招待された。
覚悟はしていたにせよ、実際に二人の彼に出迎えられたときはやはり驚愕を隠せなかった。これ以上説明することもない、とばかりに、二人は早速勝負を始めた。二人の大村が、私にかつて見せたことのない神妙な顔つきで盤に駒を打ち続ける。
厳粛な時間が過ぎ、勝負がついた。
勝った大村が恐ろしくこわばった顔をして、負けた側が妙に安堵したような様子だったことが印象に残っている。
気がつくと、大村は一人で盤に向かっていた。
何を言っていいかわからず、沈黙の後、私はようやく彼に話しかけた。
「どんな気分だ。自分自身と延々と、決死の戦いを続けるのは」
「正直怖い。まあ、どこから弾が飛んでくるかわからない兵隊の気分だろう。しかし同時に、高揚感もある。あれだけ憧れていた高みに、今はいるんだからな。想像したのとはずいぶん違ったけどな」
そう言って彼は笑った。その晩が、大村と話した最後になった。
大村は、ありふれた交通事故で亡くなった。彼を惜しむ声は後を絶たないが、終わりのない戦いから開放されたと考えれば、悲しむばかりのことでもないのかと思ったりする。