余命一ヶ月の妻が死んでから後悔した夫は、彼女を溺愛する。けど、私に未練はない。
「奥様は『緑熱病』で持ってあと一ヶ月の命です」
「まさか、貴族の令嬢だったんだ。『緑熱病』など庶民のかかる病気だろう!」
夫は医者の診断を信じなかった。
『緑熱病』は確かに貴族のかかる病気ではないのだ。
庶民の劣悪な環境から移り、人から人には移らない。
十年から二十年の潜伏期間の後に発症する。
何日も熱にうなされて、ほとんどは回復するが、稀に肌が緑色になって死んでいく。
庶民の間で流行る別の病気によって耐性がつくようで、庶民の間では死の病気ではない。
しかし、稀に貴族が罹った場合は耐性がない為にほぼ100%に近い死亡率になるのだ。
その肌が緑色になる異様な姿から、貴族で罹る数は少ないが、知名度の高い病気だった。
「アルベリク、でも、私の身体を見て」
私は緑色に変色して来たお腹を、夫に見てもらおうと思った。
「いや、忙しいんだ。こんな茶番に付き合ってはいられない……まさか、庶民の家に行ったことがあるなんて言わないだろう? リュシア」
ドキッとした。
庶民の家に行ったことがあるなんて知られたら、私はますますアルベリクに嫌われてしまう。
……アルベリクはそのまま家を出て仕事に行ってしまった。
私は涙を流した。
——あと一ヶ月しか時間がないのに……ずっとすれ違ったままなの——?
◇
アルベリクとは夜会で知り合った。
私は、前の親同士が決めた婚約者に婚約破棄されて、自力で結婚相手を探さなければいけなくなっていた。
でも、結婚なんてしない方が夢を叶えられるかもしれないと思ってもいた。
——そんな考えを一瞬で吹き飛ばしたのがあなたとの出会いだった。
アルベリク・ヴァレイン侯爵の絵に描かれたような美しさと、絵には描けない不思議な色の瞳と動くたびに色を変える金髪から私は目が離せなくなった。
その瞳と髪をどんな風に描こうか考えて見つめていた。
あなたも私に目を止めて、選んでくれていたことに気づかなかった。
私は喜んで結婚すると返事して、すぐに結婚式が行われた。
舞い上がった私は、あなたが必要としていたのが、それなりに身分が釣り合う伯爵令嬢の妻だったことに気づかなかった。
愛のない結婚だったと気づいたのは、十年経っても子供ができないからと夫が言った言葉だった。
「愛人にでも子供を産ませて連れて来よう、君は何も気にしなくていい」
————!
頭の中が真っ白になる。
アルベリクに愛人がいるの……?
それとも、これから愛人を作るの……?
考えただけで身体が震える。
考えないようにしていただけで、十年も子供が出来ないんだもの、愛人がいても離縁されても文句なんて言えない——!
最初からあなたはあまり話さないから気にしすぎだと思っていたけど、最近はもっと話す時間が減っていた。
こっそり描いていたあなたのスケッチも最近は増えていない。
あなたが時より見せる笑顔が多かった昔のスケッチ。
今のあなたの表情は苦痛……私といることはあなたを苦しめることなの……。
泣き続けて、それで弱ってしまったのでしょう。
私は、『緑熱病』を発症していました——。
◇
私の夢は画家になることでした。
小さな頃から毎日たくさんの絵を描いていた。
でも、貴族の令嬢は画家にはなれないと、両親から婚約者を紹介される。
婚約者は私が絵を描くことをよく思っていなかった。
「誰でも描けそうな絵だな」
言われて私もカッとなりました。
もっと絵が上手くなりたいと、庶民の画家の家に行きます。
「弟子にして下さい!」
急に貴族の女の子に来られても画家の方も困ったと思うけど、身重の奥さんがいたのです。
なんだか苦しそうで……私は持っていたペンダントを、画家に渡しました。
「これを売って授業料にして下さい」
画家は奥さんを見て迷った仕草をした後にペンダントを受け取ってくれました。
そして、私は画家の弟子になりました。
——けれど。
数回、屋敷を抜け出して通っただけで両親に叱られて、二度と画家のところには行けなくなりました。
画家の方に迷惑を掛けたのではと心配だったけど、伯爵家の令嬢が来ていたことを口止めするために、お金を払って仕事の紹介もしているらしい。
奥さんも赤ちゃんを無事に産んだらしくホッとする。
ただ、このことは婚約者には隠しておけずに婚約破棄になりました。
画家になりたい妻なんて誰もいらないの。
そして、夜会でアルベリクに出会って結婚した。
結婚して、私は画家になる夢は諦めたけど。
アルベリクに出会うためだと思ったら、画家のところに行ったのも悪い事じゃない。
元の婚約者に婚約破棄される為の、必然だった——。
でも……。
私は、『緑熱病』を移されていた。
だったら、私が死ぬことも運命なの?
また熱が上がって、起き上がれない。
お腹の緑の肌が広がっている。
もう本当に時間がない……のね……。
あなたの絵を描きたかった。
不思議な色の瞳と髪を私の手で永遠に絵の中に閉じ込めておきたかった。
私は最期に使用人に頼んで、あの画家に来てもらうように頼んだ。
——。
「奥様……リュシア。ごめんなさい、画家の父は仕事で別の貴族の家にいるの」
来たのはあの時、奥さんのお腹にいた赤ちゃんだった。
もう十七歳になったらしい。
「……あなたも画家になったの……いいわね……」
「あなたのおかげよ……」
ペンダントを渡して、それが赤ちゃんの命を救ったのね……。
でも、画家の娘は首を横に振った。
そして、一枚の布を取り出した。
そこには私が描いた絵があった。
お母さんが赤ちゃんを抱いている絵で、下手だったけど気持ちのこもった絵だった。
「……赤ちゃんとお母さんは死んでもおかしくなかったの。ううん、死ぬ運命だったのよ。でも、あなたが祈ってくれたから、私はいるの」
……そう……なの。
画家の娘は私がこっそりしまっていたスケッチを迷わず取り出した。
「私が続きを描くわ、リュシア」
画家の娘の言葉に、私はにっこり微笑んだ。
それなら、私の人生も悪くなかった。
愛されなくても、愛する人とずっと一緒だったんだもの。
最期に。私が幸せだった証を残していこう——。
私の人生はあなたのためにあった——。
◇
その肖像画が、私の画家としての最初の仕事になった。
リュシア——若い侯爵夫人が亡くなっても、彼女の肖像画は完成しなかった。
亡くなった後にも私が作業できるように、リュシアは遺言を残してくれていた。
私が侯爵家で肖像画の作業部屋にさせてもらっている場所に行くと、男性が肖像画の前で泣いていた。
アルベリク・ヴァレイン侯爵だった。
「このリュシアは幸せそうに見える」
肖像画を見てアルベリクが言う。
「幸せだったから、その通りに描いて欲しいと奥様に頼まれました……」
アルベリクが言葉に詰まってまた泣いている。
……どうして、彼はリュシアを愛してはいなかったのに……。
「……医者に病気のことを告げられた時に、信じたくなかったんだ……十年も子供が出来ないのに俺の妻のままにしてしまった……もっと早くに離縁していれば、リュシアには幸せな人生があったかもしれないのに……」
……どういうこと……?
「侯爵様は、離縁したかったんですか……」
「まさか、リュシアと離縁したいなどと思ったことはないっ!」
アルベリクが激しく否定する。
だって……愛人に子供を産ませて連れて来るって……。
——『君は何も気にしなくていい』
“君は何も心配せずに俺の妻でいて欲しい——”
あれは、そういう意味でのことだったの……。
「君は……絵を描くのが好きだったね……リュシア。でも、認めたら……『なぜ、私をここに閉じ込めるの?』と言われそうで……怖かった……」
肖像画の前で泣き続けるあなた……あなたはリュシア——私を本当に愛していた!
肖像画の中で、愛する人に愛されていたように幸せそうに笑うリュシア。
これが、真実の姿だったの?
絵が描けなくても、リュシアはあなたと一緒にいる幸せを選んだ。
「彼女は『緑熱病』だったのに、服の外から見える場所までは緑が広がらなかった。ずっと美しいままだった」
私は、リュシアが美しいままあなたの心に残っている事に微笑んだ。
——私はカーラ、画家の娘だ。
貧しい画家だった父は、私を妊娠中だった母に十分に栄養を与えてやれなかった。
そこに軽い風邪を引いた母は日に日に痩せて行く。
もうそろそろ母子ともに命が危ないという時に、現れたのが幼い頃のリュシアだった。
彼女が置いて行ったペンダントをお金に替えて、母の容態は良くなった。
そして、私が生まれた。
リュシアが父のところに絵の勉強に通っていた時に、母と生まれてくる子供のために布に絵を描いてくれた。
赤ちゃんが産まれて家族が幸せに暮らせますように——。
純粋な祈りの絵は、弱って苦しんでいた母に力を与えた。
あの絵がなければ、お金で栄養のあるものが食べられても、そこまで生きていなかったかもしれないと笑って言っていた。
命の恩人の伯爵令嬢——。
リュシアは死んでから何かに引っ張られるような気がして、一気に濁流に飲み込まれたように魂が連れ去られた。
——そして、リュシアは気づいたら、私、カーラになっていた。
リュシアの祈りで母は助かったけれど、お腹の赤ちゃんは既に亡くなっていた——。
その魂の空いた場所にリュシアの魂が引っ張られて、カーラとして生きることになったのだ。
それは、純粋な祈りが引き寄せた奇跡だったのか——。
「カーラ、この絵が終わったら、別に頼みたい絵がある」
アルベリクに言われて、私は別の肖像画を描き始める。
アルベリクとリュシア、幸せそうな二人が寄り添う肖像画だ。
私は、リュシアがずっと恋焦がれていた、アルベリクの不思議な色の瞳と動くたびに色を変える金髪を絵にとどめた。
私はリュシアの夢を叶えた。
絵の中でリュシアはアルベリクを永遠に離さない。
——そして、現実のアルベリクも、絵の中のリュシアを永遠に離すことはなく……。
書斎と広間に飾られた肖像画をずっと見つめていた。
「旦那様は肖像画が完成してから、奥様をずっと見つめて話しかけているんですよ」
……メイドが教えてくれた。
この絵は評判になった。
夫を愛し続けた侯爵夫人と、その彼女を今でも愛し続けている夫。
私の画家としてのスタートはとても順調だった。
「妻の画家になる夢を君に託したい」
アルベリクは私のパトロンになってくれた。
リュシアのおかげで伯爵家が父のパトロンになってくれて、私は裕福な子供時代を過ごして、十分に絵のことを学べた。
またリュシアがつないで、アルベリクが私のパトロンに——。
死の直前に画家の娘の私と出会って、リュシアが自分が生まれ変わることを悟ったように、
リュシアの人生は、私のためにあった——。
次の人生で、私は夢を叶えたわ。
あなたの心も永遠に私のものにして——。
私は『リュシアとアルベリク』——幸せな侯爵夫妻の絵を今もときどき描いている。




