第8話 次は、空気を刃にする
演習が終わった日の夕方、俺はいつものように訓練場へ向かっていた。
空はすでに赤く染まり始めている。石畳の道を歩く学生の姿もまばらで、ほとんどの新入生は寮や食堂へ向かっている時間だった。だが俺の足は自然と訓練場へ向いていた。
理由は単純だ。試したいことがある。
頭の中では、もう何度も繰り返していた。エアショットの構造。
圧縮、維持、放出。
この三つの流れはすでに理解できている。問題は、その形だった。
訓練場の端に着くと、俺は木箱からいつもの板切れを取り出した。簡易的な標的だ。距離を四歩ほど離して地面に立てる。
風はほとんどない。実験には都合がいい。俺は手を前にかざし、ゆっくり魔力を引き上げた。
圧縮。空気を寄せる。
手のひらの前、拳ほどの空間に空気が集まる。目には見えないが、圧力が変わる感覚はもうわかる。
維持。魔力の流れを一定に保つ。ここで焦ると崩れる。昨日までの実験でそれは嫌というほど理解した。
放出。パン、と乾いた音。空気の塊が板に当たる。板が揺れる。へこみもできている。
「……うん」成功。
エアショットは完全に安定していた。
少なくとも、この距離ならほぼ失敗しない。発動も少し早くなってきた。最初は五秒近くかかっていた圧縮が、今は三秒ほどでできる。
ただ、それでもまだ足りない。威力は弱い。
スライムなら倒せるが、それ以上の魔物には通用するか怪しい。距離も短い。戦闘中に余裕を持って撃てるとは限らない。
つまり、エアショットはまだ途中の魔法だ。
俺は板を拾い上げ、表面のへこみを指でなぞった。衝撃は伝わっている。
だが、打撃としては広がりすぎている。空気の塊が球状だからだ。球は衝撃が分散する。もっと一点に集中できれば、威力は上がる。
俺は板を元の位置に戻し、もう一度手をかざした。
圧縮。維持。ここまでは同じ。だが今日は、ここから先を変える。
空気の塊を作るのではなく、形を細くする。
球ではなく、線。頭の中でイメージを作る。細い刃。紙の縁のような薄さ。
そこに圧力を集中させる。だが次の瞬間、空気の塊はすぐに崩れた。
ふっと圧力が抜け、ただの弱い風になる。
「……やっぱり無理か」俺は小さく息を吐いた。
予想はしていた。空気は形を保たない。
圧縮するだけならまだいい。だが細い形を維持するとなると難易度が一気に上がる。
もう一度試す。
圧縮。維持。今度は少しだけ圧力を強める。細く。細く。
だが空気はすぐに拡散する。パン、と弱い音が鳴り、ただのエアショットになった。
俺は苦笑した。
「そう簡単にはいかないか」石床にしゃがみ込み、木炭を取り出す。
研究を続けるなら、整理が必要だ。俺は地面に図を書いた。
エアショット。圧縮→球→放出
その横に、新しい図を書く。
刃。圧縮→線→放出
だがその線の部分に、すぐ×印を書き足した。空気は形を保てない。これが問題だ。
水ならまだいい。粘性がある。土ならなおさらだ。形を作れる。
だが空気はすぐ拡散する。だから刃の形を維持できない。
「……つまり」俺は顎に手を当てた。
問題は圧縮ではない。形状維持だ。
空気を細い形で保つ方法があればいい。
魔力の流れをもっと精密に制御する必要があるのかもしれない。今はただ押し込んでいるだけだ。だがもし外側から包み込むように魔力を流せば、形を保てる可能性がある。
あるいは、圧力を一瞬で解放する方法か。維持を長くする必要はない。
刃の形を一瞬だけ作り、そのまま放出する。それなら拡散する前に攻撃として成立するかもしれない。
「……面白い」思わず笑った。難しいが、その分だけ可能性がある。
エアショットが完成したときも、最初は同じだった。できないと思われていたことが、手順を整理しただけで形になった。なら今回も同じだ。
問題を分解すれば、必ず突破口が見つかる。
俺は立ち上がり、空を見上げた。夕陽が沈みかけている。訓練場には誰もいない。静かな風が流れている。空気はどこにでもある。圧縮できる。衝撃も作れる。
そして次は、もっと鋭い攻撃。
俺は地面に書いた文字を見下ろした。エアショットの横に、新しい言葉を書く。
エアブレード
まだ完成していない魔法。ただの仮説。
だがそれでも、はっきりしていることが一つある。
空気魔法は弱くない。研究すれば、必ず強くなる。俺は木炭を置き、拳を握った。
「次は、これだ」空気を圧縮し、刃の形にする。そして斬撃として放つ。
最弱魔法と呼ばれた空気属性は、まだほんの入り口に立ったばかりだった。




