第35話 ライバルの登場
発表会が終わっても、空気はすぐには元に戻らなかった。
廊下に出ても、ざわめきが薄く残っている。あちこちで同じ話題が繰り返されているのが分かる。空気魔法。理論。再現性。曖昧な評価。
「なんかさ、すっきりしない感じだよね」
リナが歩きながら言う。
「褒められてるのか、否定されてるのか、よく分かんないっていうか」
「どちらでもない」
「いや、それが一番モヤモヤするやつでしょ」
軽く笑うが、確かにその通りだ。
理解されていない。だが、無視もされていない。
中途半端な距離。それが、今の評価だった。
「まあいいや」
リナが肩を回す。
「とりあえずさ、ちゃんと通じてる人もいたじゃん。あの風の人とか」
その名前を出された瞬間、思考が一瞬だけ止まる。
ちょうど、そのときだった。
「お前」背後から声。振り向く。
そこに立っていたのは、あの男だった。風魔法の生徒。
無駄のない立ち方。視線のブレがない。まるで常に戦闘中であるかのような静けさを持っている。
「少し時間いいか」
命令ではない。だが拒否を前提としていない言い方。
「構わない」
短く答える。
「え、ちょっと」
リナが小声で言うが、そのまま二人で廊下の端へ移動する。
周囲の視線が自然と遠ざかる。数秒の沈黙。先に口を開いたのは、相手だった。
「お前の魔法、無駄が多いな」
直線的な言葉。挑発ではない。観察結果だ。
「具体的には」
「全部だ」
間を置かずに返ってくる。
「動作が遅い。組み立てが長い。出力も安定していない」
淡々と並べられる。どれも、否定しきれない。
「考えすぎだ」
続ける。
「魔法は感じるものだ。流れを掴めば、もっと速くなる」
「再現できなければ意味がない」
即答する。
「感覚に依存すれば、同じ結果は出せない」
「必要ない」
あっさりと言い切る。
「その場で最適な形を出せればいい」
思考が交差する。だが、結論は交わらない。根本が違う。
「……見せてやる」
男が一歩前に出る。空気が変わる。
次の瞬間。風が走った。音が遅れてついてくる。目で追えない速度で、空間が“裂ける”。目に見えない刃が通過した場所の床が、遅れて削れる。
「……」
無詠唱。動作なし。ただ、そこにあった。
「今のが魔法だ」
振り返る。呼吸も乱れていない。無駄がない。完成されている。
分析する。魔力の流れが極端に短い。発動までの工程がほぼ存在しない。意識と同時に現象が発生している。速度が違う。
「どうだ」
「速いな」
素直に認める。そして、
「だが不安定だ」
男の目がわずかに細くなる。
「環境依存が大きい。再現条件が曖昧だ」
「……」
一瞬の沈黙。
「やってみるか」
その一言で、空気が張り詰める。
リナが少し離れた位置で身構えるのが視界に入る。
拒否する理由はない。「いい」
一歩前に出る。距離は数メートル。互いに動かない。だがすでに始まっている。
先に動いたのは俺だった。
空気を掴む。圧縮。放出。エアショット。
だが。風が流れる。衝撃が逸れる。当たらない。
「遅い」
男の声が、すぐ近くで聞こえる。位置が変わっている。視界の外にいた。
次の瞬間、背後に気配。振り向く。風が来る。
反射的に空気を集める。防ぐ。だが押される。距離が詰まる。
「……!」
踏みとどまる。速い。予測より速い。だが、読めないわけではない。
流れがある。空気の動きがヒントになる。
なら、絞る。一点に。振動を揃える。時間は一瞬。だが、そこに合わせる。
「今だ」ソニックブーム。
最小出力。だが一点集中。風と衝突する。空間が歪む。
初めて、男の動きが止まる。ほんの一瞬。だが確かに止まった。
「……」
男の目が、わずかに変わる。興味。そして、理解。
「そこか」短く呟く。
次の瞬間、風が強まる。押し切られる。
距離が離れる。そこで、止まった。
「そこまでだ」
教師の声が割って入る。いつの間にか周囲に人が集まっていた。
「実戦は禁止されているはずだ」
男は何も言わず、視線をこちらに戻す。
「理屈にしては悪くない」
淡々とした評価。
「だが遅い」
それだけ言って、背を向ける。歩き去る。止める理由はない。
残された空気が、ゆっくりと戻っていく。
「……今の、結構やばかったよね」
リナが近づいてくる。
「強い」
短く答える。
「でしょ?あれ絶対上位クラスでしょ」
「完成度が高い」
それが正確な評価だ。無駄がない。速い。
だが、「……」
自分の手を見る。遅い。それは事実だ。思考に時間がかかる。組み立てに時間がかかる。だから、遅れる。
だが「速くできる」
小さく呟く。
「え?」
「改善できる」
方向は見えている。工程を削る。精度を上げる。
もっと直接的に。もっと本質に近づける。
「……ほんと止まらないね」
リナが苦笑する。だがその表情は、どこか楽しそうだった。
視線を前に向ける。あの男の背中はもう見えない。だが、確実に距離は測れた。
「次は追いつく」
その言葉は、宣言ではない。ただの事実として、そこにあった。




