第23話 ダンジョン演習
ダンジョンの入口をくぐった瞬間、空気の質が変わった。
ひんやりとした温度。わずかに湿った感触。外とは違う、閉じた空間特有の重さが肌にまとわりつく。
だがそれ以上に「……濃いな」思わず呟いた。
「え、何が?」横を歩くリナが首を傾げる。
「空気だ」
「空気?」
「ああ。外より密度が高い」
「そんなのわかるの?」
「なんとなくな」
正確には、“なんとなく”ではない。
空気魔法を使うようになってから、わかるようになった。流れ、密度、わずかな揺らぎ。目には見えないが、確かにそこにあるものが、感覚として掴める。
そしてこの場所は「……条件がいい」
「条件?」
「実験に向いてる」
リナがにやりと笑う。
「いいね、ダンジョンで研究とか」
「危険だがな」
「それも込みでしょ?」
「否定はしない」
軽く言葉を交わしながら、俺たちは隊列の中を進む。
今回の演習は複数のペアでの合同行動だ。先頭には教師、その後ろに学生たちが続く。俺たちは中ほどの位置にいた。
周囲からは、時折視線を感じる。
「あいつ、空気魔法だろ?」
「昨日の変なやつじゃないか?」
「なんか新しいことやってるって聞いたけど……」
小さな囁き。完全な無視ではない。だが、評価されたわけでもない。“よくわからない存在”。それが今の立ち位置だ。
「……見られてるね」
リナが小声で言う。
「気にするな」
「私は気にしないけどね」
あっさりとした返答。そのまま前を見て歩き続ける。この辺りの強さは見習うべきかもしれない。
やがて、通路の奥からぬるりとした音が聞こえた。教師が手を上げる。
「前方、魔物だ。準備しろ」
空気が一瞬で引き締まる。学生たちがそれぞれ構える。
現れたのは、スライム型の魔物だった。半透明の体がゆっくりと揺れながら、こちらに近づいてくる。
「まずは軽いやつね」リナが小さく呟く。
「様子を見る」俺はそう答えた。
前列のペアが前に出る。
火と水の連携。蒸気が上がり、スライムの体が崩れる。
別のペアが土で足止めし、剣でとどめを刺す。問題なく処理されていく。
「出る?」リナがこちらを見る。
「いや」俺は首を振った。
「まだいい」
エアバーストは使わない。ここで見せる必要はない。まずは環境を把握する。
空気の流れ。魔力の濃度。戦闘の距離感。それらを確認するのが先だ。
「了解」リナも無理に前には出ない。
こういう判断の速さは助かる。
そのままスライムの群れは処理され、隊列は再び前進を始めた。
だが、少し進んだところで、空気が変わった。
重い。さっきとは違う緊張が混ざる。
「……来るな」小さく呟く。
「え?」リナが反応した瞬間。
通路の奥から、複数の影が飛び出してきた。小柄な体。緑色の皮膚。粗末な武器。
ゴブリン。「数が多い!注意しろ!」
教師の声が響く。五体、いや六体。
先ほどのスライムとは違う。動きが速い。個体ごとに動きがバラバラで、連携も取れていないが、その分予測しづらい。
前列のペアが迎撃に入る。火球が飛ぶ。だが一体はそれを避け、別の方向から回り込む。
「くっ……!」連携が崩れる。
ゴブリンが一体、こちらの列へと向かってきた。
「来るよ!」リナが前に出ようとする。
だがその瞬間、俺は一歩前に出た。
「……ここで試す」
「いいの?」
「ああ」
判断は早かった。距離、角度、周囲の位置。すべて把握できている。
「リナ」
「うん」
「火を準備しろ」
短く指示を出す。リナは即座に頷き、手のひらに炎を集める。
俺は同時に空気へ意識を向けた。圧縮。核形成。外側の固定。
ダンジョンの空気は濃い。圧縮がしやすい。いつもよりも、手応えが強い。
「……いける」形が整う。見えない球体が、確かにそこにある。
ゴブリンが距離を詰めてくる。あと数歩。タイミング。
「今だ」リナが炎を放つ。それが空気の核に触れる。
一瞬の静寂。次の瞬間。
ドンッ!!衝撃が一直線に走った。空気が押し出され、目に見えない波となって前方を薙ぎ払う。
直撃。ゴブリンの体が弾き飛ばされる。壁に叩きつけられ、そのまま動かなくなる。
静寂。一瞬だけ、全員の動きが止まった。
「……今の、何だ?」誰かが呟く。
「空気……魔法?」
「嘘だろ……」
周囲の視線が一斉にこちらに向く。だがそれに構う暇はない。
残りのゴブリンがまだいる。
「もう一発いける?」リナが小声で言う。
「いける」即答する。
再び圧縮。同じ構造。同じ制御。
「右のやつ」
「了解」
リナが動く。炎を溜める。
ゴブリンがこちらに気づき、飛びかかってくる。
距離、完璧。「撃て」炎が投入される。
ドンッ!!再び衝撃。ゴブリンが吹き飛ぶ。
今度は地面を滑り、そのまま崩れ落ちた。
「……終わりだな」
残った個体も、他のペアが処理する。
戦闘が収束する。静けさが戻る。
「やったね」
リナが軽く笑う。
「ああ」
短く答える。だが内心では、はっきりとした確信があった。通用した。理論ではない。実戦で。敵に対して。確実に効果を発揮した。
「……戦えるな」小さく呟く。
「でしょ?」リナが得意げに言う。
周囲ではまだざわつきが残っている。
「あれ、本当に空気魔法か?」
「威力おかしくないか?」
「さっきの、見えなかったぞ……」
評価はまだ変わりきっていない。だが、確実に揺れている。“最弱”という前提が、崩れ始めている。
俺は前方の通路を見た。ダンジョンはまだ続いている。
そして、この魔法もまだ完成ではない。
「……まだ改良できるな」
「え、まだやるの?」
「当然だ」
「ほんと好きだね、研究」
「お前もだろ」
「まあね」
リナが笑う。その横で、俺は静かに確信していた。
エアバースト。これはもう、仮説ではない。使える魔法だ。
そして、ここからさらに強くなる




