8話 追悼の迷路(4)
「しりとりになってるとか?」
「しりとり…?いや、最初のラーメンで終わってるだろ。」
食事を終えて、俺は今日確認したアウスタの話を和織にした。
教科書の入っていないスクールバッグからスナック菓子を取り出して、
和織はアウスタを開いたままのスマホを机に放った。
「ふーん。あ、そういえばさ、実乃里ちゃんお父さんと謎解きよくしてるって言ってたなぁ。なんだっけ…。」
「あー、俺の子供の時もひっかけ問題とか、意地悪ななぞなぞとか流行ってたな…。」
小学生の頃、親にねだってなぞなぞの本を買ってもらったのを覚えている。
人見知りだったから、ひたすら1人で本を解いていた。
この画像も何かの暗号なのか?
「ラーメン、ゴリラ、手…ハンド?貝殻…、貝殻?」
スマホの翻訳を使って、ノートに英語を書き出していく。
…いや、文章にはならなそうだ。
眉間にしわを寄せていれば、横からスナック菓子のコンソメの匂いがした。
「それ、やたら麺がアップな写真だよね。」
「…え?」
「普通ラーメンって器も切らずに撮らない?」
「……たしかに。」
ってことはラーメンじゃなくて麺か?
そうか、人によって写真の見方も違うかもしれない。
俺は早速、和織に写真を読み上げてもらう。
「メロン、犬、ワニ、焼き鳥、貝殻、ケータイ、手、ゴリラ、麺。
あ、思い出した。写真並べて、頭文字が文章になるんだって。」
「なんだって?」
「あと、ついでに焼き鳥の写真、ちょっとぼやけすぎじゃない?」
そういわれて、焼き鳥の写真をタップする。
画像を拡大すれば、確かにものすごくボケている。
けど、何故か串は綺麗に見える。
…まさか、焼き鳥じゃなくて串か?
俺と和織で読むものが違うのが2つ。
ケータイ、麺。
そして、読む順番。
俺は投稿順に読んだけれど、最新から表示されるアウスタを上から見ていけば、和織の順に読むだろう。
「め、い、わ、や、か、け、て、ご、め。違う。」
「め、ご、て、す、か、や、わ、い、め。違う。」
「め、い、わ、く、か、け、て…ご、め……ん…。」
ー介護する側の苦労話はよく聞くけど、介護される側はどうなのだろう?
ー自分だけじゃままならないことは不便だし、こちらも相当ストレスなんじゃないだろうか?
手紙を書こうとした時、俺はそう考えていた。
前向きな投稿が多いからって、つらいことがない訳じゃない。
見せなかっただけだ。
堅一さんは、美也子さんに対して、申し訳ない気持ちでいた。
ということは、美也子さんの感じる解放は、間違いではないのだ。
それを伝える、手紙が必要だ。
使い古して、折れ目のあるボロボロな表紙のノートを開く。
堅一さんが伝えたいこと。
美也子さんが聞きたいこと。
この夫婦、そして家族に必要な言葉。
これからを生きる人への、手紙を綴る。
ガリガリと書き殴る音が止む。
ハッとノートから顔を上げれば、窓から見える外はもう真っ暗で。
後ろを振り返れば、畳まれた布団にもたれるようにして眠る和織がいた。
未成年、外泊、警察。
そんな3つの単語が脳内をめぐる。
いや、こいつの事だから連絡の1つくらいは入れているだろう。
そう思いたい。
…そうであってくれ。
「っていうか、よく人の布団使えるな…。」
敷かなかったのが、せめてもの配慮なのかどうかはわからないが、
流石に今の体制は体が痛くなりそうだ。
畳んだ布団にもたれていた和織を、一度床に寝かせる。
横に布団を敷き直し、その上へ少し雑に移した。
睡眠が深いのか、長いまつ毛が動くことはなかった。
俺はさっきまで書いていたノートをもう一度確認して、ペンをとる。
『迷惑かけてごめん』という文字を見つめて、美也子さんの顔を思い浮かべた。
ずっと幸せなんてない。
けれど、ずっと不幸でもない。
そう願って、清書を始める。
想いは書き出した。
後はまとめるだけだ。
長すぎず、短すぎず。
誤解されないよう、けれど、堅一さんの言葉で。
美也子さんが、どうか自責の迷路から出られることを願って。
次に目が覚めた時には、目の前に焼きそばパンが置いてあった。
「…和織?」
「あ、おはよー、おじさん。それ、昨日のお弁当と合わせて宿代ってことで。」
「…親に連絡したのか?」
「ちゃんとしたよ!"わかりました"しか返ってこないけどね。」
拗ねるような姿に、なぜか、子を持つ親の気持ちが少しわかった気がした。
昔、母親が言っていた。
「どんなにベソかいて顔をぐちゃぐちゃにしても、我が子は可愛いのよ。」
和織は俺の子供ではない。けれど、保護対象であることは間違いない。
それは命の危険からくる危うさもあるし、単純に未成年だからということもある。
返事代わりに1つ頷いて、俺はゆっくり立ち上がった。
「…顔、洗ってくる。」
「はーい、手紙読んでるねー。」
自分は既に朝ごはんを食べたのか、ひらひらと片手を振って、机に置いたままの手紙へ近づいた。
今回の手紙は2通。
奥さんの美也子さんへの手紙と、娘の実乃里ちゃんへの手紙。
どちらにも愛情はある。
けれど、向ける想いの形は違う。
きっと、堅一さんはそう思って、今まで接してきただろうから。
顔を洗って歯磨きを済ませ、居間に戻れば、和織がどこかワクワクとした目で待っていた。
顔を洗い、歯を磨いて居間に戻ると、和織がどこか落ち着かない様子で待っていた。
「おかえり! 今日、便箋買いに行こうよ。」
「……便箋?」
机の端に置いた書類ケースへ視線をやる。
中にあるのは、先日使った昔ながらの和紙の便箋だけだ。
子どもに渡す手紙としては、少し味気ない。
これに書いて渡す親は、そう多くはないだろう。
ここは和織の言う通り、便箋を買おう。
せめて色味のある、可愛らしいものの方がいい。
徒歩圏内に小学校があるし、その近くになら文房具屋があるはずだ。
洒落たものはないかもしれないが、見に行ってみよう。
俺は支度を済ませ、和織の後について家を出た。
和織は、この辺の文房具屋を知っているようで、迷いのない足取りで進む。
歩き始めて数分経ったころ、前方から呟くような声が聞こえた。
「…昔さ、親からブランドの筆箱を買ってもらったんだ。」
「お、おお…、凄いな。注目されただろ?」
「みんなのと違いすぎてさ。…これじゃ嫌だー!って、泣いちゃって。」
その返事を聞いて、自分もそう感じた時期があったことを思い出す。
小さい頃は、集団心理とでも言うのだろうか、周りと同じものを欲しがった気がする。
流行っていたキャラクターものの鉛筆や、匂いのついた消しゴム。
中学生にもなれば、みんなと違う方がカッコイイとか思い始めたけど、
小学生の頃は、ただ同じ輪に入りたかった。
「そしたら、…お母さんが、ここに連れて来てくれたんだ。」
立ち止まった和織の視線の先には、昔ながらの文房具屋があった。
"花丸文具堂"と書かれた看板は色あせていて、閉店しているかと思うほど古い店構えだ。
自動ドアを抜けると、タイムスリップでもしたかのような、赤茶の古い床。
所狭しと置かれている様々な文房具。
ノートや画材など、日焼けした商品も置いてある。
かなりの年月をここで過ごしてきたことが伺えた。
正面奥には、レジの椅子に座る、老齢の男性。
「…いらっしゃい。」
開いているのか閉じているのかもわからない目。
男性はゆっくりと立ち上がると、おぼつかない足取りでこちらへ歩いてくる。
「あ、すみません。便箋だけ欲しくて…。」
「便箋…?ならあっちじゃよ。」
左の棚を、ゆっくりとした動作で指差した。
それに倣って歩みを進める。
棚には、児童用のメモ帳や、レターセット。
一昔前に見たようなキャラクターもいたが、売れ残りなのかリバイバルというやつなのか、判断が難しい。
ふと、犬のキャラクターのレターセットを見て、美也子さんの家にも似たような犬のぬいぐるみがあった気がした。
「和織、これどうだ?」
「あ、この子!実乃里ちゃんのお家にあったね。」
なら、これにしよう。
変に知らないキャラクターを買ってしまうより良いだろう。
世のお父さんだって、娘がぬいぐるみを持っていたら、そのキャラクターが好きだと思う…はず。
「……和織…?」
俺が便箋を手に取ると、近くで見ていた店の人が、一歩一歩と近づき、
観察するかのように、ふと首をかしげる。
それから顔を近づけて、まじまじと和織を見た。
「え、な、なに…?」
「…お前さん、もしかして……。
筆箱が気に入らなくてベソかいとった、電車好きの和織くんか…!?」
「え……っ!?な、なんでそれを…!?」
和織が慌てたように声を上げる。
だがすぐに何かを思い出したのか、男性を指差した。
「あ、あの時のおじちゃん…!?」
そのやり取りを見て、俺はここに着く前の話を思い出す。
ブランドの筆箱が嫌で買いなおした話。
…まさか、その時応対した人なのか。
俺は邪魔しないように美也子さん用の便箋を探しながら、聞き耳を立てた。
「こりゃまた…、おっきくなったのう…。」
「おじちゃんは小さくなったね。」
「お前さんが大きくなったんじゃ。泣き虫小僧め。」
憎まれ口をたたきながらも、どこか暖かい空気を感じる。
幼少期の思い出の場所か。
亡くなったと聞いた、母親との思い出もあるだろう。
「まだ電車は好きか?雑誌もあるぞ。」
「…ううん、今は普通かなー。」
「あの綺麗な母さんも元気か?」
一瞬、空気が変わった気がした。
横目で和織を見れば、返答に困って固まっている。
店の人に話しかけようとしたが、それより早く、和織が空気をもとに戻した。
「母さんね、事故で亡くなっちゃったんだ。」
なんてことないように、軽い調子で答える。
どう見ても無理した笑い。
気付いたのは俺だけではなかった。
「…そうか、……そうかぁ…。」
ゆっくりと息を吐くように呟き、皺の多い手は和織の頭を滑る。
「実は内緒にしてくれって言われとったんじゃがな…。
数日後、お前さんのお母さんが1人で来たことがあってな。」
「……え?」
「『最近の、男の子は何が好きですか?』とか、
『流行ってるものありますか?』とか色々聞きに来たんじゃよ。」
「…お母さん、が…?」
「ワシは同い年の孫がおったし、
毎日ここに来る子供を見てて知っとるから答えてな。
男の子もシールが流行っとる、電車の戦隊ものが人気とかのぅ。」
キーンコーンカーンコーン。
学校のチャイムの音が聞こえる。
和織は今まで見たこともない、今にも泣きそうな顔をしていた。
俺は、綺麗なレターセットをいくつか手に取って、会計を促した。
「こ、これ!会計お願いします!」
俺と男性が会計している間、和織はその場から動かなかった。
いや、動けなかったのかもしれない。
母親への気持ちや、思い出が溢れてしまいそうで。
会計が終わった頃、いつもの顔でこちらに寄ってきた。
いつも通りというには、目は少し赤かったが。
俺は気にせず、店の人にお礼を言って文具店を出た。
「…いいお母さんじゃな。」
別れ際、優しい声色で言った男性に、和織は笑顔で答える。
「でしょ!!」
その顔は、自分に歩み寄ってくれた母を知り、どこか誇らしげだった。




