4話 効力のない遺言書(終)
「…こ、この度は、お時間いただき、ありがとうございます。
『ヘブンズ・レター』の、河目 桜太郎…です。」
無数の視線を受け、俺は震えながら自己紹介をすべく頭を下げた。
まさか、こんなことになるなんて思ってもみなかった。
遡ること1時間前。
俺は出来上がった"篤次郎さんの手紙"を手に、亜紀さんに電話をかけた。
勿論、手紙を渡して読んでもらうためだ。
数コール後に出た亜紀さんに、今日会う約束を取り付け、和織と合流して鷹羽邸へ向かう。
そこで待っていたのは、亜紀さん…だけではなく、篤次郎さんの子供たちが集合していた。
貴族のダイニングのような横に広い部屋に通され、長机に俺と和織、
反対側に長女の篤妃さん、旦那の薪次さん、次女の篤子さん、亜紀さんが並ぶ。
どうやら亜紀さんが全員を集めたようだ。
「それで?貴方たちがお父さんの日記を見つけたって聞いたけど?」
足を組んで、高圧的な態度をとったのは篤妃さんだ。
キリっとした目と眉で、長い前髪をセンターで分けたボブカット。
派手な目元と口紅が、権力者のような威圧感を出している。
「は、はい、お返しします…。」
おずおずと日記を鞄から取り出して、机の上に置いた。
目の前の篤妃さんは、鼻を鳴らして日記を拾い上げる。
「ボケ防止にでも書いてたのかしら?」
「ちょ、…ちょっと、篤妃さん…!」
悪態をつきながらページをめくる篤妃さんに、薪次さんが口を出すが目で制される。
肩書で言えば社長である薪次さんの方が立場が上だろうけど、見る限り篤妃さんの方が権力は強いようだ。
篤子さんも日記が気になるようで、横目でチラチラと眺めている。
亜紀さんは、まるで口を開いてはいけないと命令されてるかのように、静かに座っていた。
「…何これ?私への愚痴?」
一通り読んで、篤妃さんは日記をテーブルへと乱雑に放る。
程なくして篤子さんが日記を手に取り、読み始めた。
「で?あんたは何者なの?お父さんの知り合い?」
「いえ、……平たく言えば、手紙の代筆屋です。」
「代筆ぅ?何…、そんなに弱ってたの…?」
少々バツが悪そうに、彼女は露骨に目をそらした。
お見舞いにいくどころか、容体の把握もろくにしていなかったのか…。
それほど、篤次郎さんを気にかけていなかったのがわかる。
俺はバッグから、文房具屋で買った高級そうに見えるクリアケースから手紙を取り出した。
全員が見えるように手紙を持ち上げ、わざとらしいくらいゆっくりとテーブルに置く。
「篤次郎さんが、皆さんにお伝えしたかったことです。」
向かいに座る、全員の眼差しが手紙に集まる。
誰一人、指を動かさなかった。
最初に口を開いたのは、篤妃さんだ。
「薪次、……読んで。」
「え、ぼ…、僕が…!?」
「いいから、早く。」
押し切られ、恐る恐る手紙に触れる。
触れたらどうにかなるわけではない。
ただ、触れてはいけないような、空気を纏っている。
震える手で、封筒から中身を取り出し、たたまれていた便箋を開く。
「んん、…ん。…『子供たちよ、私の遺言書は確認しただろうか?
このような書を残さなければいけなかったのが、遺憾に思う。
たしかに、私は仕事人間で、お前たちに十分な愛情を注げていなかったやも知れない。
それが、結果として現れているだろう。
だが、後悔などしていない。
もし時を遡っても、私は同じ決断をしただろう。
(中略)
日記には、嘘偽りなく記してある。
各々、自分の行動をしっかり思い返し、また、鷹羽家としてお互いのしてきたことも、十分把握しておくこと。
私が一代で築いてきた鷹羽家である。
鷹羽家の人間として、恥じぬ行動を心掛けよ。
私の亡き後、墓石に泥でも塗ろうものなら枕元に立ってやる。
ゆめゆめ、忘れることなかれ。
…鷹羽 篤次郞』…。」
読み終わると、しん…とした静けさだけが部屋に残された。
薪次さんが手紙を渡そうと、隣の篤妃さんに見せたが、視線だけで確認し、唇を嚙み締めて首を横に振った。
受け取らないのを確認すると、今度は逆隣の篤子さんへと渡す。
篤子さんは亜紀さんと一緒に手紙を確認して、視線を伏せる。
偽物だと知っているはずの亜紀さんもまた、泣きそうな表情で手紙を見ていた。
それぞれ、複雑そうな顔色を浮かべている。
それは、全員が、篤次郞の手紙だと信じて疑わなかったという証明だった。
日記から得た事実や想いは勿論、言葉の言い回しも真似て、
更にそこから感じとれる、故人の遺言書の意図という考察を織り交ぜる。
真実と嘘が上手く混ざり合うと、人は物事の境界線が曖昧になり、疑いづらくなる。
そして、信じざるを得ない決定打を、手記という形で、自身の視覚で捉えさせた。
(…本当に。流石だよ、和織。)
俺だけの文では、ここまで信じさせる事は出来なかった。
日記で見た癖のある毛筆のような、あの筆跡。
和織は、完璧なまでに真似をした。
それにより、誰もが篤次郞を思い浮かべて、亜紀さんが最初に口を開いた。
「お義父さん…、ごめんなさい。私が子供を産めていれば…、
篤志さんは後継者になってたのに…!
私のせいで、お義父さんの夢を壊してしまった…!」
「……お父さんに、家庭の事も仕事の事も、グチグチ言われるのが嫌だったの。
病気だって聞いても、大したことないと思ってて…、帰らなかった…。
お父さんも、…卑屈な私に気づいていたのね。
それでも言い続けていたのは、父として、最後まで娘に教えたかったから、だったのね…。」
「私、自分のことでいっぱいで、姉や亜紀さんを見ていたから、波風立てたくなくて…。
ずっと傍観者だった。だって何も秀でてない次女なんて、……必要ないでしょ?
だから、お父さんに、顔を合わせづらかったのに…、お父さん、待っててくれてたんだね…。」
亡くなる前に、会えばよかった。
ちゃんと話をすれば良かった。
そんな後悔の念が、聞こえてくるようだった。
それに気づけただけでも、この手紙に、意味はあったんじゃないだろうか。
俺はもらい泣きしそうになりながら、家族に偲ばれることを、少し、羨ましく思えた。
「…長女として、この遺書に異論はないわ。
不服申立てなんてしたら、本当に枕元に立たれそうだもの。」
「私も。次女として、ありません。……亜紀さんは?」
「…私、…土地と建物なんてどうしたら…。」
「……大丈夫です。僕が教えますよ。」
「…そうね、不動産だもの。私でも、薪次でもどちらでもいいわ。
扱い方教えてあげるから…、貴女に管理をお願いします。
…長男の、嫁なのだから。」
そう亜紀さんに伝えた篤妃さんは、初めて穏やかな笑みを見せた。
笑みを受け取った亜紀さんもまた、安堵の表情で微笑む。
こうして鷹羽家の遺産相続問題は閉幕した。
報酬の話は事前にしていなかったのだが、亜紀さんから想定より多くの報酬が封筒で手渡され、
慌てて断ろうとした俺とは裏腹に、和織はちゃっかりと快く受け取ったのだった。
亜紀さんたちに見送られ、最寄り駅についてから、俺たちはようやく大きな息を吐いた。
「…お疲れさん。」
「……お疲れ様、流石だね。おじさんの文。
本当に天国で聞いてきたのかと思っちゃった。」
「まさか。……まぁ、あの考えが合ってたかはわからないけどな。」
「…答え合わせは出来ないからね。
残された側は…、信じたいことを信じるだけだよ。」
「……そう、だな。」
「じゃ、改めて打ち上げしようよ!焼肉でも行く?」
しんみりした空気はどこへやら。
和織は亜紀さんからもらった報酬の封筒を取り出して、悪戯に笑った。
切り替えの早さにも、だいぶ慣れてきたかもしれない。
「はいはい。
付き合いますよ、お坊ちゃん。」
呆れ笑いで返事をすれば、「やった!」と喜ぶ声が聞こえた。
他人のいろんな感情に揉まれて、酷く疲れているはずなのに、
どこか仕事をやり遂げたような、妙な達成感がある。
あの日、和織に会わなかったら。
話しかけようなんて思わなかったら。
選択肢が1つでも違えば、今日、この日は存在しなかった。
それが、なんとも不思議な心地だった。
今思えば、小説を書かなきゃいけないという焦燥感に駆られていないのは久々で、
それが理由かわからないが、心なしか少し身体が軽く感じる。
俺たちは、街灯に照らされた焼肉屋への道を軽い足取りで進んだ。
後日、亜紀さんから改めてお礼の電話が来た。
『その節は、本当にお世話になりました。』
「いえ、お力になれて良かったです。」
『あの手紙。お義父さんの手紙としか本当に思えないわ。
篤妃さん達にも、本当の事を伝えたのよ。
あの子たちが書いたのよって。すっごく驚いてたわ。』
「はは…、でしょうね。
………その、…怒ったりはされませんでしたか?篤妃さん達。」
『…いいえ。
"あれは父の言葉だった"と、皆言ってるの。
だからね、河目さん。
お義父さんの想いを、汲み取って頂いてありがとう。
…それでね、他にも話したいことがあるの。』
なんでも、あの日から少しずつ、篤妃さん達から不動産について教わったり、
一緒に食事に行ったりする仲になったらしい。
「四十九日には、お義父さんが腰を抜かしてしまうかもしれないわ。」なんて、
電話越しでもわかるほど、明るく笑っていた。
俺と和織の書いた手紙は、少なからず、亜紀さん達の心に届いたのだ。
その事に少し嬉しくなって、俺はついつい長電話を受け入れてしまった。
その数日後、今度は篤子さんから連絡があった。
連絡先を教えてはいなかったので、多分亜紀さんから聞いたのだろう。
『あの、先日お世話になりました。鷹羽篤子です。』
「ああ、鷹羽さんの。こんにちは、どうされました?」
『実は…、あの手紙のことなんですが…。』
先日の事があったから、少し明るめに返答してみたが、
篤子さんの声色は暗く、沈んでいる様だった。
改めてみたらやっぱり出来が悪かったとかか…?
クレームが入るのかと、内心ヒヤヒヤしながら言葉を待つ。
『これって、依頼主が子供でも受けてもらえます…?』
「…へ?」
『あ、お金は私が払います!
ただ…、その子供のお父さんが亡くなったんですけど、奥さんがツラそうで…。』
「…お話を、聞いてもいいですか?」
俺は日時と場所を決めてもらい、すぐに和織にも連絡した。
詳細はまだ聞いていないが、篤子さんの目から見て、
ヘヴンズ・レターが必要な人がいると思ってくれたんだろう。
必要とされたことが嬉しくて、無意識に気合が入る。
この時はまだ、依頼主が想像していたよりも小さい子供だったということなど知る由もなかった。




