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第六章:決戦の秋
その言葉が、引き金だった。
地平線の彼方から、黒い津波が押し寄せてくる。
それは、おびただしい数の魔物の軍勢だった。
先頭を駆けるのは、巨大な斧を振り回すオークの集団。
その背後には、大地を揺るG…巨体のオーガが続き、空は翼を持つガーゴイルの群れによって黒く塗りつぶされていた。
軍団の後方には、ローブをまとった魔術師部隊が陣取り、不気味な詠唱を始めている。
その光景は、俺の記憶にある『最後の攻勢』とは、比較にならないほどの規模と威容を誇っていた。
これはもはや、魔王軍の残党などという生易しいものではない。
『影』が、この村を確実に滅ぼすためだけに編成した、絶望の軍団だった。
運命の修正力。
それは、俺が築き上げた防衛網を真正面から粉砕するだけの物量を投入するという、最も単純で、最も効果的な形で牙を剥いた。
「敵襲―ッ! 全員、配置につけーッ!」
見張り台からの絶叫が、村中に響き渡る。
鐘が乱打され、女子供が教会へと避難を始める。
自警団の男たちは、緊張に顔をこわばらせながらも、それぞれの持ち場へと散っていく。
俺は、村の入り口に設置した柵の上で、バルガスと並んで敵軍を睨みつけていた。
「…とんでもねえ数だな。
まるで、国一つを相手にするみてえだ」
バルガスが、ごくりと喉を鳴らす。
「怯むなバルガスさん。
数は多くても、所詮は烏合の衆だ。
訓練通り、一体ずつ確実に仕留めればいい」
俺は冷静に言った。
だが、内心では冷や汗が流れていた。
この戦力差は、あまりにも絶望的だ。
「ラングルド、指揮を頼む。
俺は、先陣を切って奴らの勢いを削ぐ」
「わかった。
無理はしないでください」
「へっ、誰に言ってやがる」
バルガスは豪快に笑うと、巨大な戦斧を担ぎ、自警団の精鋭と共に柵の外へと躍り出た。
「放てーッ!」
俺の号令で、見張り台から一斉に矢の雨が降り注ぐ。
先頭を走っていたオークたちが、次々と矢を受け、地面に倒れ伏す。
だが、後続の波は、仲間たちの死体を踏み越え、一切速度を落とさずに迫ってくる。
「罠、発動!」
敵軍が罠の区域に差し掛かった瞬間、地面が陥没し、数十体のオークが落とし穴へと飲み込まれていった。
張り巡らせたワイヤーが、後続の足を絡め取り、陣形を乱す。
そこへ、バルガス率いる突撃部隊が側面から襲いかかった。
「うおおおおっ! 村は、俺たちが守る!!」
バルガスの戦斧が、雷鳴のような轟音と共にオークの兜を叩き割り、カイやリオを主力とする自警団の若者たちも、恐怖を勇気に変えて魔物の群れに斬り込んでいく。
訓練の成果は確かだった。
彼らは巧みに連携し、自分たちよりも大きな魔物を着実に仕留めていった。
特に若手の主力であるカイやリオの力は凄まじかった。
……が。
それにしても、敵の数はあまりにも多すぎた。
次から次へと湧いてくる魔物の波に突撃部隊は少しずつ押し込まれ始める。
空からはガーゴイルが急降下し、柵の内側にいる弓兵たちを襲う。
後方からは、魔術師部隊の放つ炎や氷の魔法が、雨のように降り注いできた。
村は、瞬く間に地獄の戦場と化した。
悲鳴と怒号、剣戟の音、そして肉の焼ける匂い。
その全てが、俺の脳裏に二十年前の悪夢を蘇らせる。
(違う。
今度は違うんだ)
俺は奥歯を噛み締め、自らを鼓舞した。
俺はもう、無力な若者ではない。
俺は柵から飛び降り、戦線の最も激しい場所へと身を投じた。
俺の剣は、もはや悲しい音を立ててはいなかった。
エリアナを守る村を守るという、ただ一つの澄み切った意志が、刃に光を宿していた。
一振りすれば、三体のオークの首が飛ぶ。
突きを繰り出すと、オーガの心臓を正確に貫く。
俺の動きには一切の無駄がなく、それはまるで流麗な舞のようだった。
俺が通った後には、魔物たちの死体の山だけが残された。
俺の圧倒的な戦いぶりは、劣勢に陥りかけていた村人たちを奮い立たせた。
「ラングルドさんに続け!!」「俺たちの村を好きにはさせるか!!」
士気を取り戻した自警団は、再び魔物の軍勢を押し返し始めた。
戦況は、一進一退の攻防を続けた。
だが、その均衡は、一体の騎士の出現によって、唐突に破られることになる。
魔物の軍団が、モーゼの海のように割れる。
その中から、漆黒の鎧をまとった巨大な騎士が、骨でできた軍馬にまたがり、ゆっくりと姿を現した。
その鎧の隙間からは、青白い燐光が漏れ、手にした大剣は、見る者の魂を凍てつかせるような禍々しい冷気を放っている。
死霊騎士デスナイト。
影の幹部にして、生者の敵意と絶望を糧とするアンデッドの王。
「…あれが、大将か」
デスナイトは、戦場の喧騒など意にも介さず、その虚ろな兜の奥の瞳で、まっすぐに俺だけを見据えていた。
『見つけたぞ、異分子!! ラングルド!!!』
直接、脳内に響いてくるような冷たい声。
こいつが、『影』が送り込んできた、運命の執行人なのだ。
デスナイトが大剣を掲げた。
すると、戦場で倒れた魔物たちの死体が、次々とアンデッドとして蘇り始めた。
それだけではない。
村の墓地から、かつてこの地に眠っていた死者たちまでもが、土をかき分け、おぼつかない足取りで戦場へと向かってくる。
村人たちの顔に再び絶望の色が浮かんだ。
仲間だった者、家族だった者が、敵として襲いかかってくる。
これ以上、精神を削られる攻撃はない。
「惑わされるな!! 彼らはもう、お前たちの知る者ではない!! 魂なき骸だ!! 躊躇なく斬れ!!!」
俺は叫んだが、その声は多くの者には届かなかった。
俺は、デスナイトを倒すしかないと覚悟を決めた。
あれを放置すれば、村は無限に湧き出すアンデッドによって蹂躙される。
俺がデスナイトに向かおうとした、その時。
「グアアアアッ!」
バルガスの悲鳴が聞こえた。
見ると、一体のオーガの攻撃を受け、彼の巨体がくの字に折れ曲がって吹き飛ばされていた。
「バルガスさん!」
俺が駆けつけようとするのをデスナイトは見逃さなかった。
瞬時に俺との距離を詰め、その大剣を振り下ろしてくる。
俺は咄嗟に剣で受け止めるが、その一撃は山をも砕くかのような凄まじい質量を伴っていた。
俺の足が地面にめり込み、腕が悲鳴を上げる。
『お前の相手は、我だ!!』
デスナイトは、俺を完全に足止めするつもりだった。
その間にも、戦況は急速に悪化していく。
指揮官であるバルガスが倒れ、アンデッドの出現で混乱した防衛線は、ついに破られた。
魔物の一団が、柵を乗り越え、村の内部へと雪崩れ込んでいく。
その先にあるのは、エリアナたちが避難している教会だった。
「しまっ…!」
まずい。
歴史が、最悪の形で繰り返されようとしている。
俺はデスナイトの猛攻を捌きながら、必死に教会へと向かおうとする。
だが、デスナイトの剣技は老練かつ冷徹で、俺に一切の隙を与えてくれない。
『無駄だ。
小娘は死ぬ! それが決定された未来…!!』
「ふざけるな!!」
俺は叫び、渾身の力を込めてデスナイトを押し返した。
だが、その一瞬の隙に教会の方角から、女たちの甲高い悲鳴が上がった。
ああ、間に合わなかったのか。
俺の心が、絶望の闇に飲み込まれそうになった、その時だった。
凛とした、澄み渡る歌声が、戦場の喧騒を切り裂いて響き渡った。
それは、エリアナの歌声だった。
教会の中から聞こえてくるその歌は、いつものように優しく、温かいだけではなかった。
それは、愛する者たちを守るため、己の全てを懸けて運命に抗う、聖なる祈りの旋律だった。
歌声が響くと、教会から柔らかな光の波紋が広がった。
その光に触れた魔物たちは、苦悶の声を上げて動きを鈍らせ、アンデッドたちは浄化されて塵へと還っていく。
光は傷ついた村人たちを包み、その傷を癒し、失われた気力を呼び覚ましていった。
これが、彼女の持つ『楔』の力。
世界を安定させ、影を封じる聖なる力の一端。
エリアナは、ただ守られるだけのか弱い少女ではなかった。
彼女は、彼女自身の力で、村をそして俺を守ろうとしていたのだ。
『な…にぃ…!?』
デスナイトが、初めて動揺の声を漏らした。
エリアナから放たれる光の波は、俺の体にも流れ込んできた。
それは、俺の魂に直接語りかけてくるようだった。
『一人じゃない』と。
そうだ。
俺は、一人じゃない。
俺の想いは、エリアナの想いと、今、確かに一つになった。
守りたい。
その想いが、俺の魂を燃え上がらせ、極限まで高まっていく。
未来の俺が言っていた。
『見えざる剣』の本質。
己の魂を燃やし、時空そのものを断ち切る技。
今なら、できる。
俺は剣を静かに構え直した。
目の前のデスナイトではない。
その向こうにある俺とエリアナを隔てる『運命』そのものを斬るために。
「これが、俺たちの絆の力だ!!!」
俺がそう呟いた瞬間、俺の剣が、眩いばかりの光を放った。
そして、振るう。
音は、なかった。
ただ、空間が、世界そのものが、俺の剣筋に沿って、綺麗に『断ち切られる』のが見えた。
それは、もはや剣技ではなかった。
想いの力が引き起こした、奇跡だった。
『馬鹿な…この我の存在が……消え……申し訳ありません…!! 我らが王……カゲカミ様…!! 斬月の皆さ……ま』
デスナイトは、かすれた声で、何かを呟いていた。
『エリアナ……お前は……我と同じ…!! エミール様の…! 数多い鏡像の一人にすぎぬ……!! あのラングルドを選ぶというのか……!! うらめし……や』




