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「…変わった、ですか?」
「前はもっと荒々しくて、がむしゃらで、幼稚な剣だった。だが、今のお前さんの剣は…貫禄がある。まるで、何千、何万回も人を斬ってきた者の剣に見える。静かで、冷たくて、一切の無駄がないんだ。恐ろしいほどにな…」
彼の洞察力と、獲物を探す猛獣のような鋭い勘に、俺の背筋は、ただ震える。
そうだった。忘れていた。
バルガスさんはガーベラの花言葉のように優しくて、ただのお人好しの中年ではない。
多くの戦場を潜り抜けてきた、猛獣だ。
俺が隠しているつもりの『二十年分の経験』の爪を、屈強な猛獣である彼は、その本能のみで嗅ぎ分けているのかもしれない。
そう思っただけでも、俺の背筋の震えが止まらなくなりそうになっていく。
「…考えすぎですよ。俺はただ、強くなりたいだけです。大切な人を守れるくらいに」
俺がその震えを抑え、恐る恐るそう言うと、バルガスさんは俺の目をじっと見つめ、やがて"何か"を察したように、ふっと微笑んだ。
まるで、ガーベラのように優しく。
「そうか。…そうだな。男にゃ、そういう時があるもんな。ガハハ!! いい目をするようになったじゃねえか、ラングルド!!」
彼はそれ以上、何も聞いてこなかった。
俺のことを比較的、慕ってくれるカイも似たような感じだった。
その沈黙が、今の俺には何よりもありがたかった。
だが、この男達になら、いつか話す必要があるかもしれない。
俺一人では、あの未曾有の猛攻は、防ぎきれないのだから。
第三章:最初の亀裂
信用を得るには、言葉ではなく、この剣で何かを守り抜き、示すしかない。
そして、その機会は、思ったよりも早く訪れた。
村の酒場で、最近この村の近くに出没するようになったらしい、ゴブリンの群れが話題に上っていた。
酒のつまみに話す人々。この村の住人が、平和ボケしている事が、まるわかりだ。
……が。未来の記憶を探っても、この時期にゴブリンが問題になった話はなかったはず。
となると、これは、俺が過去に来たことによって生まれた、最初の『歪み』……か。
俺が、そんなことを考えていると。
隣の席の異臭のすごい傭兵が、酒に酔いながら絡んできた。世に有名な、あの酒カスとか言われてる輩だ。
「なあ、聞けよ…! ゴブリンの野郎どもが、何か変な儀式をやってやがったんだぜ…!! 真っ黒なローブを着た奴が一人いて、そいつがゴブリン共に命令してたんだよ!! ありゃあ、ただのゴブリンじゃねえ! グビ、グビ…!! ぷはぁ!! 酒だ!! こんな時こそ酒だよ!! アッハッハ!!!」
黒いローブの魔術師。
その言葉に、俺は眉をひそめる。
秋の本番を前にした、小規模な運命の悪戯か。
ならば、そんなものは、ここで叩き潰す。
エリアナに危険が及ぶ前に。彼女の向日葵の香りが、なくなってしまう前に。
****
翌日、俺はバルガスさんに、ゴブリン討伐の話を持ちかけた。
持ちかけたにも関わらず、一人で行くと言い出す俺をバルガスさんは許さず、結局、俺とバルガスさん、カイを含めた自警団の若者数名で森へ向かうことになった。
エリアナには「少し遠出の訓練だ」とだけ伝えた。
彼女はかなり心配そうな顔をしていたが、最後には俺の決意に免じて、「無理しないでね」とだけ言ってくれ、手作りの干し肉を持たせてくれた。
俺たちは森のあらゆるところを、数時間かけて探索した。
その甲斐あって、森の奥で、俺たちは儀式の跡を発見した。
「ラングルドさん!! 見つけまし…!! ガハ!!」
そう叫んだ若者の一人が、心臓を刺され、倒れる。
心臓を突かれたんだ。生きているわけがなかった。
…これが、戦争。長らく感じていなかった、命の奪い合い。
俺の手に汗が滲み、剣が少し震える。
そして、その直後、三十を超えるゴブリンの群れに囲まれた。
「囲まれた!! 各自…! ラングルドを主力として、円陣を組め!!!」
バルガスさんの怒声が響く。
カイを始めとする自警団の若者たちは、いきなりの奇襲と仲間の死に動揺し、動きが硬くなっている。
だから、ここは、経験の深い俺が前に出る。
「落ち着け! 相手はたかがゴブリンだ、恐れるな!!」
俺はそう叫び、真っ先に一体のゴブリンに斬りかかる。
二十年もの圧倒的な経験が、俺の体を最適に、そして正確に操り、動かした。
ゴブリンの首を斬り飛ばしても、剣の勢いはまだ止まらない。
「うおおおおおお!!!! 誰も殺させるかぁ!!!」
俺は、叫ぶ。
ここでは、もう誰も死なせない。
もう、失うだけの人生は嫌だから。
俺の剣が一閃するたびに、ゴブリンの肉片が宙を舞い、ゴブリンが一体、また一体と血飛沫を上げて倒れていく。
その圧倒的な強さに、カイを始めとする自警団の若者たちは呆気に取られていたが、やがてカイの『続くぞ!! ラングルドさんに!!! バルガスさんに!!!』との叫び声により、我に返り、奮起して戦い始めた。
ゴブリンの数が半分ほどに減った時、森の奥から低い詠唱の声が聞こえてきた。
「…来たか。ラングルド・ハーヴェスト。我らがカゲカミ様の、ひいては我ら『影』を脅かす者よ…!! 見るがいい!! この私デスナイトが! カゲカミ様から頂いた我が禁術の全てを!!」
黒いローブの魔術師がそう叫ぶと、倒れたゴブリンたちをアンデッドとして蘇らせ始めた。
「嘘だ…!! これって!!?」
「アンデッドだと!!!?」
バルガスさんやカイが驚愕の声を上げる。
若者たちの顔には、絶望の色が浮かんでいた。
「うろたえるな! 首を刎ねろ! アンデッドのゴブリンは頭を潰せば動かなくなる!!!」
俺は的確な指示を飛ばしながら、元凶を断つべく魔術師に向かって駆け出した。
カイも、飛び出す。
「バルガスさん! ここは任せます! 俺は術者を叩く!!」
「無茶だ、ラングルド!」
「バルガスさんの言うとおりだ!! ラングルドさん!!! 無茶です!!」
バルガスさんとカイの制止を振り切り、俺は魔術師の懐に飛び込んだ。
奴は「私は『影』の一人。名は、先ほど申し上げた通り、デスナイト。月を斬り、世界の歪みを正す者だ」 と名乗り、「世界の楔であるエリアナは死ぬ。それが世界の理にして、運命だ…!」 と、ただ嘲笑うのみだった。
奴は俺が未来から来た異分子であることを見抜いているかのような、そんな卓越した口ぶりだった。
俺は奴の魔法という魔法を切り払っていき、追い詰めた。だが、魔術師は転移魔法で、またもや俺たちを嘲笑いながら、煙のように立ち上る魔術霧に包まれながら、姿を消した。
「デスナイト…!! 貴様!!!」
「次に会う時までに、せいぜいエリアナとの甘い時間を楽しむがいい!! 貴様の大切なエリアナは、この私…!! デスナイトがこの手で殺す!!!」
その言葉だけを残して。
奴が消えると、アンデッドは崩れ落ち、残ったゴブリンも、惨めったらしく逃げていった。
後に残されたのは、ただの静寂と、若者一人とゴブリンたちの死体だけだった。
帰り道、誰もが口を閉ざしていた。
特に自警団の若者たちは、自分たちの無力さと、仲間一人の死と、戦場で隣り合うことになる死の恐怖をまざまざと見せつけられ、顔面蒼白になっている。
俺は、この結果を良しとしなければならないと思った。
この程度の脅威で怖気づくようでは、秋の決戦は戦えない。
今日の出来事は、平和ボケした村に警鐘を鳴らす、良い機会になったはずだ。
村に戻ると、入り口でエリアナが待っていた。
俺の服が破れ、血糊がついているのを見て、彼女は顔を青ざめさせた。
「ラングルド! その怪我…!」
「かすり傷だ。問題ない」
食い下がる彼女の言葉を遮り、俺は彼女の横を通り過ぎようとした。
俺の背中にエリアナの悲しそうな声が突き刺さる。
「どうして…? どうして、そんなに遠いの…ラングルド。あなたは、私の知っているラングルドじゃないみたい…」
その声に俺は足を止めた。
振り返ると、エリアナは泣きそうな顔で、こちらを見ていた。
違う。
俺は彼女を守るためにここに来たんだ。
悲しませるためじゃない。
俺は彼女の元へ引き返し、何も言わずに彼女の頭をそっと撫でた。
不器用な慰め方しか俺は知らない。
「…すまない。心配かけた」
「ううん…。生きてて、良かった…ラングルド…!!」
彼女は俺の胸に顔をうずめた。
そうだ。
俺がやるべきことは、ただ一つ。
この腕の中にある、向日葵のような温もりを、何があっても守り抜くこと。
たとえ、世界そのものを敵に回すことになったとしても。彼女は、死なせない。
第四章:仲間という名の結束
ゴブリンとアンデッドの襲撃は、村人たちに現実の脅威を突きつけた。
俺やバルガスさんは、村に二人しかいない熟練剣士として、カイを含めた自警団の訓練を強化し、俺も積極的に若者たちの指導にあたった。
最初は俺を「気味の悪い奴」と遠巻きに見ていた者たちも、俺の他を寄せ付けない実力と、自警団の若者に対する的確で熱心な指導を目の当たりにし、次第に俺を『頼れる剣士』として認めてくれるようになっていった。
人と関わること。
誰かに何かを教えること。
それは、孤独に生きてきた俺にとって、新鮮で、何ものにも代えがたい経験だった。
だが。
運命は、俺たちに安息の時間を与えてはくれなかった。
数日後、王都から一人の使者が村を訪れ、俺に一枚の召集令状を突きつけた。
『北方国境にて、魔王軍残党の不穏な動きがある。
至急、王都へ出仕し、北方討伐軍に参加せよ。これは、王命である』
北方国境。
そこは、エリアナが死ぬ秋の決戦の地から、遥か遠く離れた場所だった。
これは、偶然ではないだろう。
俺をエリアナから引き離すための『影』の、デスナイトの、そして運命の謀略だ。
こんなもの……拒否するしかない。
選択肢は、もちろん、それしかなかった。
だが、王命への拒否は、国家反逆罪に等しい。
下手をすれば、この村そのものが王家への反逆と見なされる。
その夜、俺は道場の床に座り込み、思考を巡らせていた。
どうすればいい。
村に迷惑をかけず、この召集を回避する方法は。
「…眠れねえのか、ラングルド」
バルガスさんだった。
彼は俺の隣にどかりと腰を下ろした。
「使者の話は聞いた。
村の連中もみんな心配してる。
お前さんが、いなくなっちまうのかってな」
「…俺は、絶対に、行きません。こんな時に、この村を離れるわけにはいかない」
「そうだろうと思ったぜ。だが、どうするつもりだ? 王命は絶対だぞ」
俺は覚悟を決めた。
一人で全てを抱え込むのは、もはや限界だった。
「…バルガスさん。信じられないかもしれませんが、聞いてください」
俺は語り始めた。
ゴブリンを操っていた『影』と名乗る魔術師のこと。
奴らがこの村、特にエリアナを狙っていること。
そして、この秋、おそらくは魔王軍の残党を装った大規模な軍勢が、この村を襲うであろうこと。
それは俺が、ある情報筋から得た、精度の高い予測なのだと、付け加えた。
俺の話をバルガスさんは、眉一つ動かさずに聞いていた。
俺が話し終えると、彼は大きなため息を一つつき、夜空を見上げた。
「…そうか。やっぱり、そうだったか」
「え…?」
「ゴブリンの件以来、ずっと考えていた。お前さんのあの剣、あの戦いぶりは、ただの傭兵崩れの若者のもんじゃねえ。まるで、何十年も地獄を見てきた古兵のようだ。そして、今回の召集命令。不自然すぎる。何か、とんでもないことが起ころうとしてるんじゃないのか。この村で」
バルガスさんの猛獣のような洞察力は、俺の想像を遥かに超えていた。やはり、この人は凄い。
そう感じずには、いられなかった。
「お前さんの話が真実かどうか、今の俺には判断できん。だが、お前さんの目が嘘をついちゃいねえことだけはわかる。お前さんは、エリアナちゃんとこの村を守るためにたった一人で途方もない敵と戦おうとしてるんだな」
「…はい」
「よし、わかった。腹は決まった」
バルガスさんは、膝を叩いて立ち上がった。
「その召集令状、俺がなんとかしてやる。カイ達、村の若者にも声をかけてやるしな」
彼は、村長や長老たちを説得し、『ラングルドは召集に向かう途中、凶暴な魔獣に襲われて再起不能の重傷を負った』と王都に報告するという、大胆な策を提案した。
「そんなこと、村長たちが…」
「許させるさ。あの人たちも、孫や子供が可愛いからな。村が滅ぶかもしれないって話を聞かされたりすりゃ、王命なんかちっぽけなもんより、自分たちの家族を選ぶに決まってる。それに今の村にゃ、お前さんの力が必要だってことは、ゴブリンの件で誰もが理解してる。お前さんは、もう村にとってのよそ者なんかじゃねえ。俺たちが守るべき、仲間の一人だ」
仲間。
その言葉が、俺の胸に温かく響いた。
二十年間、誰からもそう呼ばれることのなかった俺をバルガスさんは、優しい、真っ直ぐな目でそう呼んでくれた。
「…ありがとうございます」
俺は、深く頭を下げた。
ーーこの過去に来てから、俺の中で、何かが、変わり始めてきた気がした。
一人で、エリアナを守ろうとしていた俺が、バルガスさんや、カイという仲間を頼る。
俺は、一人じゃない。
そう思えることが、これほど心強いとは、全くもって、知らなかった。




