第一話「夏の宴」2
第一話「夏の宴」は5分割で更新していきます。これは2つ目です。
朝から琳家の屋敷は慌ただしかった。
いつもよりも多くの使用人が行き交い、あちこちで
声が飛び交っている。
廊下を走る足音、器の触れ合う音、
香の漂う支度部屋——。
屋敷全体が、まるで生き物のように活気づいていた。
今日は、琳家が久しぶりに催す初夏の宴の日。
先代——凌偉の両親が事故で亡くなってから…。
服喪の期間が明けても、大々的な宴は一度も
開かれなかった。
凌偉がそれを許さなかったからだ。
しかし、長く続いた雨の季節が終わり、
ようやく夏の陽光が戻ってきた今——。
琳家にも新しい風が吹き始めていた。
「春燕! さあっ! 着替えますよ!」
湯浴みを済ませた春燕を、凌偉の叔母・嬌が
仁王立ちで待ち構えていた。
普段から鋭い眼差しが、今日はさらに倍増している。
「春燕! 今日はおめかし日和ですわよ!
存分に着飾らせてもらいますからねっ!!」
パァァーン!と勢いよく扉を開け放つ嬌。
その後ろには、すでに準備万端の衣装が並んでいた。
上質な絹で仕立てられた薄桃色の衣。
腰から裾にかけては鮮やかな花の刺繍が広がり、
胸元や腰帯にも繊細な文様が咲く。
披帛(ショールのような掛け布)は風を
受けるとふわりと揺れ、まるで天女の羽衣のようだった。
「こんなにも上等な服……見たことない……。」
春燕は思わず小声でつぶやく。
嬌に手伝われながら着替えるうちに、背筋が
自然と伸びていく。髪を解かれ、櫛がすっと通るたび、
甘く柔らかな花の香りがふわりと漂った。
嬌の手つきは意外なほど優しい。
嬌は春燕の髪型、髪飾りは変えず、あえてそのままにした。
春燕の亡き母の衣で作られた赤い髪飾り。
そして雪麗が婚約の祝いとして贈った、木彫りの梅の簪。
嬌は、それが春燕にとってどれほど大切なものかを知っていたからだ。
「春燕。これだけは贈らせてくださいな。」
嬌はそう言って、梅の簪を邪魔しないように
髪へ金の簪を挿した。
牡丹と蓮の花を象った金細工が、朝の光を浴びて
やわらかく輝く。
「これは……!」
それは凌偉の母・芙蓉が好んで
身につけていた花模様だった。
「よく似合ってますよ。」
嬌が微笑む。
そのとき、扉が開いて凌偉の叔父・恭信が顔を出した。
「さてさて。支度はできたかな?」
恭信は春燕の姿を見て、目を細めた。
「おお! これは可愛らしい。春燕、よく似合っている。」
何度も頷きながら、満足げに笑う。
「私からもこれを春燕に。」
そう言って、春燕の腰帯に翡翠の佩玉を結びつける。
深い緑が光を受け、微かに音を立てた。
「ふむ。いいだろう。」
恭信は満足げに頷き、穏やかに言った。
「さあ、行こうか。凌偉が待ち侘びているぞ。」
*
本邸の門を出ると、陽光の中に凌偉の姿があった。
漆黒の衣を纏った彼は、まっすぐに立ち、まるで
光そのものを背負っているかのように凛々しかった。
春燕の胸が、とくん、と鳴る。
凌偉がこちらを見た瞬間——その動きが止まった。
彼の瞳が見開かれ、言葉を失っている。
時が一瞬、静止したようだった。
どうされたのかしら……。
やっぱり、こんな立派な衣…
私のような者には……不相応だったのかも——。
胸の奥に、不安がじわりと広がる。
凌偉はしばらく春燕を見つめていた。
やがて、ゆっくりと二度まばたきをし、視線をそらす。
口元に手を当てて、少し照れたように呟いた。
「よく似合っている……。」
その言葉に春燕の頬がふっと熱を帯びる。
背後では——嬌が、悶絶していた。
「ぎゃぁぁ……っ!」と声を押し殺してうずくまり、
紅花が慌てて背中をさすっていた。
夏の陽がきらめく中、琳家の庭には、爽やかな風が流れていた。
「水月鏡花」の更新は【週3日、月・水・金:21時頃】です。
春燕と凌偉、それぞれの心の距離が少しずつ
近づいていく時間を、
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