第十六話 「灯」
朝の光が、薄く閉ざされた部屋を満たしていく。
鳥の声が遠くで響き、雨の名残を残した空気が
清らかだった。凌偉はゆっくりと目を覚まし、
寝台から身を起こす。
窓を開けると、ひんやりとした朝の風が頬を撫で、
陽の光が部屋の奥まで流れ込んだ。
それはまるで、閉じていた時間をやさしく解き放つようだった。
「……綺麗だな。」
思わず零れた言葉が、光の中で小さく揺れる。
凌偉は微笑み、部屋を後にした。
長い回廊を歩くたび、すれ違う者たちが一斉に頭を下げる。
「凌偉様!」
「当主様!」
「坊ちゃん!」
「若様!」
それぞれの声に敬意と親愛が混ざり合っていた。
庭園へ出ると、朝露をまとった緑が光を弾き、
空はどこまでも澄み渡っていた。
目線の先には、琳家の象徴――承光楼が堂々と立ち、
陽を受けて金色に輝いている。
庭のあちこちで使用人たちが働き、商人たちは
市が開くのを待ちわびてざわめいていた。
屋敷全体が息づき、まるで生きているようだった。
歴代の当主たちが築き、守ってきた琳家。
それはただの家ではなく、一つの小さな国だった。
「民為邦本,邦由民興。」
(民こそ国の根本であり、国は民によって興る。)
凌偉は胸の奥でその言葉を繰り返す。
――自分は、こんなにも多くの人々に支えられていたのだ。
今までもずっと、この光景は目の前にあったのに。
どうして気づけなかったのだろう。
温かな感情が胸に満ちていく。
凌偉は本邸番の仲遠を呼び止めた。
「屋敷で働く者、全員を集めてほしい。」
***
やがて承光楼の大広間に、三百を超える使用人たちが集まった。
衣の色も職も身分も違うが、皆の顔には同じ表情があった
――緊張と期待。
ざわめきの中、凌偉が静かに現れる。
その瞬間、空気がぴたりと止まった。
「忙しい中、集まってくれてすまない。」
彼の声は穏やかで、よく通る。
「今日は……皆に伝えたいことがある。」
一呼吸置いて、凌偉は続けた。
「父上と母上が亡くなって、四年になる。」
楼閣内が静まり返る。
その話を凌偉の口から聞くのは、誰もが初めてだった。
「あの日、皆が駆けつけてくれて、雨の中、
救い出してくれたこと。
傷を負いながらも父上と母上を助けようとしてくれたこと。
本当に……感謝している。」言葉が広間に響く。
凌偉の瞳はまっすぐに、集まった一人ひとりを見つめていた。
「礼を言うのが、こんなにも遅くなってしまった。」
「いつも琳家を支えてくれてありがとう。
皆は琳家の宝だ。これからも未熟な俺を、
どうか支えてほしい。」
そう言うと、凌偉は――奴婢(奴隷)を含めた全ての
使用人たちに向かって、深く頭を下げた。
一瞬の沈黙。そして、どこからともなく啜り泣きが
聞こえた。それはやがて、感情の波となって広がっていく。
「琳家昌盛!(琳家、ますます盛んなれ!)」
誰かが声を上げた。
「福壽無疆!(福も寿も、限りなく続け!)」
続くように、次々と声が重なり、広間全体を揺らした。
「琳家昌盛! 福壽無疆!」
「琳家昌盛! 福壽無疆!」
歓喜の声が承光楼に満ちていく。
凌偉の胸に、熱いものがこみ上げた。
――守っていきたい。
琳家を。そして琳家を支える、この人々を。
その時、群衆の間にふと赤い髪飾りが見えた。
よく見ると、春燕が使用人の中に混じり、静かに笑っている。
(何をしているんだ、そんなところで。)
春燕と目が合う。彼女の顔がぱっと輝き、凌偉の心を照らす。
凌偉は春燕に向かって穏やかに笑った。
その笑顔を見て、使用人たちが息を呑む。
誰も見たことのない、柔らかな笑みだった。
凌偉が春燕へ向かって歩いていくと、自然と道が開かれていく。
凌偉が一歩、また一歩と春燕に向かって歩み寄る。
凌偉が春燕の前に立つ。
春燕は驚いたように目を瞬かせた。
次の瞬間、凌偉は春燕をそっと抱きしめた。
「凌偉様……?」
その抱擁に、再び大きな歓声が上がった。
承光楼が、屋敷が、庭園が、喜びの声で満たされる。
「琳家昌盛!」
「福壽無疆!」
天まで響くような声が重なり合い、若き当主と春燕を祝福していた。
――凌偉様は見つけられたのだ。自分だけのお方を。
雨の季節は、もう終わった。
そして、輝く陽の下で、新しい琳家の時代が
始まろうとしていた。
第一章 終幕 第二章へ続く
第一章をここまで読んでくださり、本当にありがとうございました。
凌偉と春燕の物語は、ここでひと区切りとなります。
この続きを第二章として、2026年1月5日から
開始します。第二章は月・水・金 更新予定です。
次章では、凌偉側の感情が大きく動き、
凌偉と春燕の距離が一気に近づきます。
物語の雰囲気も、これまでより甘さ多めになります。
再び、春燕と凌偉、それぞれの心の距離が少しずつ
近づいていく時間を、
皆さまにも見守っていただけたら嬉しいです。
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ここまで読んでくださって、ありがとうございました!




