第十五話 「燕」1
第十五話「燕」は4分割で更新していきます。これは1つ目です。
その日は、朝から激しい雨が降り続いていた。
雷鳴がとどろくたびに、地面がわずかに震える。
空が裂けるような閃光が、一瞬、廊下の柱を白く照らした。
春燕は、胸の奥で何かがざわつくのを感じていた。
——この雨。あの事故の日も、きっとこんな雨だったのだろう。
「凌偉様……。」心が急く。
まさか今日も外に出ているのでは。不吉な予感を
押し殺しながら、春燕は本邸の奥へと足を速めた。
長い廊下の先。薄暗い灯の中で、一本の柱に
もたれてうずくまる人影が見えた。
「凌偉様!」春燕は思わず駆け出した。
近づくと、凌偉の息は荒く、汗が額を濡らしていた。
虚ろな瞳。何かに耐えるように、指先が震えている。
春燕はそっと背中に手を伸ばした。
「凌偉様、大丈夫ですか——」
「触るな!」低く、鋭い声が飛ぶ。
春燕は思わず身を引いた。
「もういい!オレに構うな!
……やはり、オレが死んでおけばよかったんだ!」
その一言が、刃のように突き刺さる。
「そんなこと——言わないで!」
春燕は顔を上げ、まっすぐに凌偉を見つめた。
「オレのことなど、何も知らないくせに!」
凌偉の瞳に、冷たい光が宿る。
「知りません!何も知らないです!
でも——“死ねばよかった”なんて言わないで
ください!」
春燕の声が震える。
「同じことを言わないで!」
その言葉は、懇願にも似た響きだった。
凌偉の心が、ざらついたように乱れる。
“同じこと”? 何の話だ。
どうしてこの娘は、こんなにもまっすぐに踏み込んでくる。
胸が痛い。呼吸が乱れる。
心の奥に、押し込めていたものが暴れ出す。
「お前に何がわかる!!」
凌偉の声が廊下に響いた。
「雨の中で、冷たくなっていく両親の身体を
抱きしめる絶望を!」
「何もできずにただ見ているしかできなかった
自分への怒りを!」
「亡くなった両親の重みに押し潰されて息も
できなくなるあの恐怖を——お前にわかるか!!」
激しい言葉とともに、雷鳴が轟く。
廊下の外の雨が、ますます強くなる。
凌偉は胸を押さえた。鼓動が早い。痛いほど早い。
この娘と関わると、閉じ込めていた感情が
溢れ出してくる。怒り、悲しみ、後悔。
それらが渦のように胸を掻き乱す。
——こんなはずじゃない。
オレは琳家の当主だ。皆の理想でいなければ。
「琳家が傾けば、この街も傾く。だからオレは
琳家を守らねばならない。そのためには、過去も、
感情も、心も、すべて捨てなければ。」
凌偉は春燕を見据えた。
「こんなのは、オレじゃない。
オレの求める“琳凌偉”じゃない!」
理性の限界が崩れ、衝動のまま春燕の肩を掴んだ。
爪が食い込み、春燕は顔を歪める。
だが、逃げなかった。
痛みに耐えながら、ただまっすぐに凌偉を見つめ続ける。
「わかりません。」
春燕の声が震えながらも、静かに響いた。
「凌偉様の気持ちは、凌偉様にしかわかりません。
でも、ひとつだけわかります。
——その心は、ちゃんと凌偉様の中にあります。
なくしてなんか、いません。」
その言葉とともに、春燕は凌偉の両手を包み込んだ。
冷たいその手の中に、自分の温もりを重ねるように。
「皆様の想いを、この手に託されています。
凌偉様を信じて、救いたいと願う人たちの想いを——。」
愁飛の言葉が脳裏をよぎる。
——“身体ごとぶつかってあげて”。
その言葉通りに、春燕は、力いっぱい凌偉の胸に
飛び込み。ぎゅっと、強く抱きしめる。
「凌偉様の心は、ずっと凌偉様の中にあります。
もう一度、輝けると……皆様、信じています。」
春燕の迷いのない真っ直ぐな瞳に、凌偉が映し出される。その顔は恐怖に揺れていた。
次回の更新は【明日21時頃】です。
春燕と凌偉、それぞれの心の距離が少しずつ
近づいていく時間を、
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