第十三話「揺らぎ」5
第十三話「揺らぎ」は6分割で更新していきます。これは5つ目です。
胸の奥がざわつき、思わず目を伏せた。
これまで誰にも口にしたことのない母の死が、
こうして静かに、しかし確かに言葉にされるのは
初めてだった。
「はい。七年前に…病に伏していました。
身体が弱っていたところを肺の病をこじらせて…。」
言いながら、春燕は自然と視線を落とした。
「そうか。」凌偉の声は、淡々としていた。
けれどその静けさの奥に、ほんの一瞬、何かが
揺れた気がした。春燕は、そっと彼の横顔を
見つめる。黄昏の光が頬を照らし、瞳の奥には、
遠い過去を見ているような影があった。
「貴方は、苦労をしてきたのだろうな。」
不意に落ちた言葉。
その言葉に春燕の胸がじんわりと熱くなる。
「え……。」思いがけない労りに、喉が詰まった。
「そ、そんな……! 私よりも、凌偉様のほうが……!」
春燕は一呼吸置いて、意を決して続ける。
「凌偉様のほうが…お父様とお母様を亡くされて…
きっと…寂しい思いや、悲しい思いを——」
言い切る前に、馬車の中の空気が急に
凍りつくように変わった。
まるで時間が一瞬止まったかのように、周囲の音も
風の揺れも、すべてが消えたかのように感じられる。
春燕の胸はきゅうっと締め付けられ、心臓の鼓動が
耳に響く。手のひらにじんわりと冷たい汗が滲む。
呼吸をするのも怖くなるほどの圧迫感。
その視線の先で、凌偉の顔にはいつも以上に
感情が感じられず、淡々とした無表情が
そこにあるだけだった。
けれど、目の奥には何か深い闇が潜んでいるのが
見え、まるでその闇が春燕の心を一気に
飲み込もうとするように、圧迫してくる。
「寂しい? 悲しい?」
その声は、冷たい刃のように鋭く、響くたびに
春燕の胸を切り裂く。指先が震え、体の芯まで
凍るような恐怖が走った。
息を吸うことさえ怖く、自然に春燕は息を
止めたまま、必死に凌偉を見つめる。
「そんな感情、必要ない。」
ゆっくりと、凌偉は春燕の方を向いた。
その瞳には、深い闇の光が宿り、言葉では
表せない冷徹さと痛みが混ざった何かが、圧倒的な
存在感を放っている。
「二人は、俺のせいで死んだのだから。」
その言葉は、凍りついた空気と共に、春燕の胸に
突き刺さった。呼吸を忘れたまま、全身の力が抜け、
目の前の馬車の景色までも霞んで見える。
恐怖と、理解しきれない悲しみが同時に押し寄せ、
春燕はただ、言葉を発することもできず、動くこともできず、凌偉の深淵のような瞳だけを見つめ続けた。
次回の更新は【明日21時頃】です。
春燕と凌偉、それぞれの心の距離が少しずつ
近づいていく時間を、
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