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水月鏡花―中華恋愛譚・静かに灯る初恋―  作者: 麻倉ロゼ
第一章「氷心、春に融く」

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第十話「豆豆」4

第十話「豆豆」は4分割で更新していきます。これは4つ目です。

 廊下を歩く春燕しゅんえんの後ろで、赤いリボンをつけた

豆豆とうとうが鈴をチリンと鳴らしながら駆け回る。

使用人たちは楽しそうに

豆豆とうとう!」「豆豆とうとう様!」と

声をかけ、屋敷には笑い声が広がっていた。


その光景を部屋から出てきた凌偉りょういが目にした。

「……豆豆とうとう様?誰だそれは?」


「春燕様の猫です!」庭番が元気よく答えると、

凌偉は肩をすくめ、淡々と視線を豆豆に向ける。

しかし、豆豆は鈴を鳴らして胸を張り、まるで

自分がこの屋敷の主だと言わんばかりに歩いている。


「……なるほど、そういうことか」

少し呆れたように呟く凌偉を、使用人たちは

微笑ましそうに見つめていた。


その時、豆豆とうとうが突然くるっと向きを変え、

凌偉のほうへ脱兎のように走り出した。


「あっ、豆豆とうとう!」


春燕が反射的に振り返って追いかける。


「うわっ……!」

豆豆とうとうが凌偉の足元をすり抜け、思わず声が出る。

春燕は止まりきれず、ぎりぎりのところで

踏みとどまった。


ふわりと、互いの距離が近づく。

触れそうで、触れないほどに。


「す、すみません!!」


真っ赤になって頭を下げる春燕。

凌偉は一度瞬きをして、かすかに息を整える。


「……いや、大丈夫だ。」


春燕はきゅっと唇を結び、凌偉の足元に身を

寄せている豆豆とうとうを覗き込む。

驚いたのか、豆豆とうとうは小さく鳴いて春燕のほうを

見上げていた。


凌偉はしゃがみ込み、そっと豆豆とうとうを抱き上げる。

その仕草は、普段の無骨さを忘れたように

慎重で優しい。


「……ほら。」


抱きかかえたまま春燕へ差し出そうとしたとき、

春燕が小さく声を漏らした。

「あっ……。」

豆豆とうとうの赤いリボンが緩んでいるのに気づいたのだ。

春燕は凌偉の腕の中にいる豆豆とうとうにそっと手を伸ばし、

指先で器用に結び直した。


夕日の光が春燕の横顔に柔らかく落ちて、

その瞳は豆豆とうとうを見つめながら、どこまでも

温かく輝いている。

豆豆とうとうも安心したようにゴロゴロと喉を鳴らし、

春燕の手に顔をすり寄せてきた。


まるで、ずっと一緒に生きてきた家族みたいだ。

凌偉はその光景から目を離せなかった。


軽い気持ちで渡した猫だった。

懐いているから、と。

深く考えることもなく。


けれど今目の前で、春燕が豆豆とうとうを宝物のように

抱える姿を見て、胸の奥がじわりと温かくなる。


気のせいだ。

夕日のせいかもしれない。

「本当に猫が好きなんだな。」

気づけば口にしていた。


「え?」

春燕が顔を上げる。驚いたように目を見開いて。


「大切にしているから。」

凌偉の声は思ったより静かだった。


「はい。豆豆は……凌偉様から

 いただいたネコですので。」

春燕は豆豆を胸に抱きしめ、ふんわりと笑った。

その笑顔は飾り気もなく、ただ幸せそうで、

胸の奥に静かに広がっていく。


「そうか。」

凌偉は短く答えると、視線をそっと逸らした。

それ以上、何を言えばいいのかわからなかった。


足早に屋敷の奥へと歩き出す。


――オレからもらったネコだから。


春燕の言葉が繰り返し胸に響く。

重たくなく、むしろ優しく、どこか心を

満たすように。


気のせいだ。

そう思い込むように、凌偉は歩く速度を

少しだけ上げた。

次回の更新は【明日21時頃】です。

春燕と凌偉、それぞれの心の距離が少しずつ

近づいていく時間を、

皆さまにも見守っていただけたら嬉しいです。


「面白い」「続きが気になる」と思っていただけたら、

ブックマークや応援をしてもらえると励みになります。

感想もとても嬉しいです。


ここまで読んでくださって、ありがとうございます!

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