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水月鏡花―中華恋愛譚・静かに灯る初恋―  作者: 麻倉ロゼ
第一章「氷心、春に融く」

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第八話「帳場 前編」1

第八話「帳場 前編」は4分割で更新していきます。これは1つ目です。

 ー翌朝。


中庭を、爽やかな朝風が吹き抜けていた。

湯気の立つ桶のそばで、夕月ゆうづき紅花こうかが洗濯物を

叩く音が小気味よく響く。


春燕しゅんえんそでをたくし上げながら、

少し迷った末に口を開いた。


「……あの、今日……凌偉りょうい様の帳場に

 行くことになったの。」

だから午前の仕事は——と続けようとしたその瞬間。


「……えっ!?」

二人の動きがぴたりと止まり、次の瞬間、

夕月の手から布が宙を舞った。


「うそでしょぉー!?」

「本当に!?」洗濯場が一気にざわつく。


横で手をすすいでいた雪麗せつれいまで、

不安そうに目を丸くした。

「そ、そんなに危険な場所なのですか?」

雪麗の声は少し震えていた。

そんな場所に、お嬢様が……?


「いや……でも!今回は坊ちゃんから許可を

出されているから……!」

夕月はうーんと渋い顔をして考え込む。


「本当に若様が?」

紅花も信じられないという顔をしている。


「貴方ならいい、とは言われたけれど……。」

春燕は洗濯の手を止め、不安そうに言った。

やはり、りん家の帳場というのは特別な

場所なのだろう。


「私……やっぱり断った方が……。」

ぽつりと呟く春燕。


あの夜、仕事場へ誘われたときは嬉しかった。

少し近づけたような気がして。


でも——見に行くだけでも邪魔になるのなら。


「え〜とですねぇ。別に春燕様に問題が

 あるわけではないんですよ!」

春燕の表情に気づいた夕月が、慌てて手を振った。


「ちょっと前に帳場で問題が起きただけで!

 前にこの屋敷に押しかけてきた娘がいたんですけど〜。

 その子がも〜凄くて。」

夕月が思い出したくないという顔をして話し出す。


「地方のそれなりの家の子らしいんですけど、

 若様に気に入られるために、仕事場でも本邸でも、

 とにかく若様を追いかけまわして。


 屋敷内に無理矢理居候するし、すっかり

 婚約者気取りで使用人達も呆れるぐらいで。」

紅花はげっそりした顔でうなずいた。

二人がこれほど言うのなら相当、

手に負えない娘だったのだろう。


「まぁ、実家の期待を背負ってたみたいだし、

 その頃の琳家はただでさえ色んなところから

 坊ちゃん目当てで押しかけてくる

 娘ばかりだったから…。

 焦りもあったんでしょうね〜。」と夕月。


「なんとか若様の気を誰よりも引きたくて、

 若様が取引中に黙って帳場に入ったんです。」

紅花が苦い顔をした。


「まあ……。」春燕も思わず引いてしまう。


「帳場の使用人から聞いた話では、

 勝手に帳簿を入れ替えたり、手伝ってもう、

 めちゃくちゃだったみたいで。」

夕月が震えながら言う。


「詳しいことはわからないんですけど、

 若様の逆鱗に触れて、その子が泣き喚きながら

 屋敷を追い出されて。


 それで、その子が実家に帰った後、

 坊ちゃんを傍若無人だの、乱暴者だの。

 鬼だの色々広めたみたいで……。」

 紅花は苦笑して肩をすくめた。


春燕は「なるほど」と小さくうなずいた。


琳家への旅立ちの日、義姉が言っていた話を

思い出す。

 ——「手当たり次第に年頃の娘を呼んでは、

 気に入らないと追い出している」


 ——「傍若無人、暴力的で鬼人のような奴」


琳家で実際に過ごしてみて、

そんな人にはとても思えなかった。


だから今、ようやく噂の出どころがわかって、

春燕は少しだけ胸のつかえが下りた。


「それ以来、屋敷に押しかける娘は減りましたけどね〜。

 坊ちゃんは『余計な手間が省けた』とは

 言われていましたけど。


 そんな訳で帳場は琳家の方か帳場の専属以外は

 絶対立ち入り禁止なんです。」

夕月はそう言いながら、洗い上がった洗濯物を

竹竿にかけていく。


「検討を祈ります。」

「どうかご無事で〜!」

二人にそう言われ、春燕は思わず苦笑した。

不安は、さらに増してしまったけれど…。

次回の更新は【明日21時頃】です。

春燕と凌偉、それぞれの心の距離が少しずつ

近づいていく時間を、

皆さまにも見守っていただけたら嬉しいです。


「面白い」「続きが気になる」と思っていただけたら、

ブックマークや応援をしてもらえると励みになります。

感想もとても嬉しいです。


ここまで読んでくださって、ありがとうございます!

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