第六話「隠し事」4
第六話「隠し事」は5分割で更新します。
これは四つ目です。
「……不思議ですね。」
雪麗がかすかに呟くと、愁飛が頷いた。
市の喧騒が遠くで響いている。
二人の間には、静かな風だけが流れていた。
「人が怖い?」不意に愁飛が声をかける。
「え…?」その言葉に雪麗は戸惑った。
愁飛がゆっくりと雪麗に顔を向けて目を合わせる。
「大丈夫だよ、雪麗。」と愁飛が優しく声をかける。
「琳家にも街にも…ここには春燕を傷つける人はいない。
もちろん雪麗を傷つける人もね。」
雪麗の目をじっと優しく見つめる愁飛。
「何を…。」
目を逸らせず雪麗の声が戸惑う。
「ここは胡家ではないよ。」
愁飛がゆっくりと言う。
「だからそんなに怯えなくても大丈夫。」
優しく柔らかい愁飛の声。
雪麗の澄んだ目が揺らぐ。
雪麗を捉える目は全てを見透かしているようでー…。
「!!」
雪麗は思わずかざしていた手を自分の
胸元に素早く戻す。
「怯えてなど…。」
何か反論をしたかったが雪麗は動揺を
隠しきれず言葉が詰まる。
「君達の胡家での扱いを…琳家の人達は知ってる。
知っていて迎え入れている。」愁飛が話す。
知ってる…?どこまで…?
胡家での、まるで奴婢(奴隷)の
ような日々が雪麗の脳裏に甦る。
先程温まった指先がじんわり冷えていく。
「来たばかりだから緊張してるのはわかる。
琳家に来てから見てるけど雪麗は常に
気が乱れてる。このままだと身体と心の
均衡が崩れてしまうよ。」
優しく柔らかい口調で愁飛は話す。
「少しずつでいいから慣れていきなよ。」
「何にですか…?」
「春燕以外の人から大切にされる事に。」
雪麗は言葉が見つからず答えられなかった。
*
帰り道、愁飛は他愛もない話をして
雪麗と歩いて帰る。
屋敷に到着し、雪麗は愁飛に頭を下げる。
「オレが必要になったらいつでもどうぞ〜!」
愁飛はニコニコと得意気に手をひらひらさせ、
琳家の隣にある楊家の道場へ帰って行った。
その後姿を見送りながら雪麗はこう呟く。
「やはり…あの人は苦手だ……。」
愁飛と別れた後、雪麗はしばらく門の前に
立ち尽くしていた。夕陽が傾き、
屋敷の影が長く伸びる。
その影の中に溶け込むように、彼女は息を吐いた。
胸の奥が静かにざわめく。
愁飛の言葉が、何度も何度も反芻される。
——「ここは胡家ではない」「怯えなくても大丈夫」
まるで、雪麗の心の奥を見透かすような声。
雪麗は小さく首を振った。
胡家での記憶は、決して触れてはいけない場所。
痛みと、恥と、そして春燕を守れなかった
後悔が沈んでいる。
(琳家での日々が穏やかでいられるのは…私が“何も語らない”からだ。)
余計なことはせず、余計なことは言わない。
雪麗は自分に言い聞かせるように、
胸元を握りしめた。
(胡家での日々を琳家が全て把握している
わけではない…。もしもっと内情を
知られてしまったら…。きっと琳家は
お嬢様を追い返すだろう。
お嬢様の今の幸せをお守りするためにも…
私は今のままでいい。)
心に重ねた言葉は、自らに課した
鎖のようでもあった。
弱さを隠し、冷静を装い、
ただ春燕の傍にいる——それが、雪麗にできる
唯一の生き方だった。
深呼吸を一つする。
雪麗は門をくぐり、ゆっくりと屋敷の
中へと足を踏み入れる。空気が変わる。
柔らかい香と、穏やかな声が漂ってくる。
「雪麗!」春燕が駆け寄ってきた。
「街に行っていたの?迷わなかった?」
心配そうな瞳に、雪麗の緊張がふっとほどける。
「大丈夫でした。愁飛様が案内してくださったので。」
そう答えると、春燕が微笑んだ。
「そうなのね。雪麗は愁飛様と仲がいいのね。」
一瞬、雪麗の目が揺れる。
けれど次の瞬間には、いつもの冷静な顔に
戻っていた。
「いいえ、違います。誤解です。」
淡々とそう告げる声。
春燕はそんな雪麗を見つめ、少しだけ笑った。
「そう?でも、少し顔が柔らかくなってる気がするわ。」
雪麗は答えず、小さく頭を下げた。
その仕草の奥にある揺らぎを、
春燕はまだ知らない。
屋敷の中へ戻る雪麗の背に、
夕陽が静かに落ちていった。
次回の更新は【明日19時】です。
春燕と凌偉、それぞれの心の距離が少しずつ
近づいていく時間を、
皆さまにも見守っていただけたら嬉しいです。
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