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水月鏡花―中華恋愛譚・静かに灯る初恋―  作者: 麻倉ロゼ
第一章「氷心、春に融く」

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第五話「贈り物と意地悪 後編」3

第四話「贈り物と意地悪 後編」は4分割で更新していきます。これは3つ目です。

 廊下に夕陽が射し込み、白壁に二人の影が並んだ。

凌偉りょういは驚きに眉をひそめる。


「……全て読んで、覚えた?」


信じられないという声が自然と口を突いて出た。


春燕しゅんえんはきょとんとした顔をして、「はい」と頷く。

なぜそんなに驚かれるのか、

彼女には理解できない様子だ。


凌偉は腕を組み、試すように問いかけた。


「家訓は全部で十二あったはずだな。言えるのか?」


春燕は慌てて背筋を伸ばし、両手を胸の前で

合わせると、目を閉じてスラスラと唱え始めた。


琳家に伝わる十二の家訓を、一言一句間違わず。


一、飲水思源いんすいしげん為商思本いしょうしほん

 (水を飲めば源を思い、商いをすれば本を思う。)


二、誠信為寶せいしんいほう欺利為禍ぎりいか

  (誠信は宝とし、欺きの利は禍となる。)


三、貨通四方かつうしほう義守一心ぎしゅいっしん

 (貨は四方に通ずとも、義は一心に守る。)


四、勤以立業きんいりゅうぎょう儉以養德けんいようとく

 (勤勉によって業を立て、倹約によって徳を養う。)


五、帳明如鏡ちょうめいじょきょう心正如秤しんせいじょしょう

 (帳簿は鏡のごとく明らかにし、心は秤のごとく正しくせよ。)


六、遇貧不慢ぐひんふまん遇富不驕ぐふふきょう

 (貧しきを遇して慢るなかれ、富めるを遇して驕るなかれ。)


七、財聚則人散ざいしゅうそくじんさん財散則人聚ざいさんそくじんしゅう

 (財を一人に集むれば人は散り、財を施せば人は集まる。)


八、貿易無遠ぼうえきむえん信義常在しんぎじょうざい

(交易に遠近なし、信義は常に在り。)


九、交官守法こうかんしゅほう交友守禮こうゆうしゅれい

 (官と交わるには法を守り、友と交わるには礼を守れ。)


十、子孫習學しそんしゅうがく家運久昌かうんきゅうしょう

 (子孫が学を習えば、家運は久しくさかん。)


十一、和以處家わいしょか仁以治眾じんいちちゅう

 (和をもって家を処し、仁をもって衆を治めよ。)


十二、富貴無常ふきむじょう惟德乃常ゆいとくないじょう

 (富貴に常なし、ただ徳のみ常なり。)


 凌偉は呆気にとられて見つめるしかなかった。


「……何度も読んだのか?」

「いえ、一度だけです。

 一度読めば大体は覚えられますので……」

恥ずかしそうに、けれど素直に言う春燕。


凌偉は言葉を失った。自分も暗記には自信があるが、おそらく彼女の方が上だろう。

「貴方にこんな才能があるとはな」


その言葉に春燕は大きく手を振る。

「さ、才能だなんて!そんなことありません。

 私、容量の悪い娘ですし……。

 毎日のように“出来の悪い役立たず”と

 言われてきました。

 これくらい誰でもできるはずです。」


凌偉は呆れ半分に眉をひそめる。

「……嫌味で言っているのか?」


春燕は真剣な顔で首を振った。

本気でそう思っているらしい。


凌偉は彼女の瞳をまっすぐ見据えた。


「貴方は“出来の悪い役立たず”なんかじゃない。」

「凌偉様……。」春燕の声が震える。

「商売人は信用第一。嘘は言わない。」

淡々と告げる凌偉の声音には、不思議な力があった。


一瞬の沈黙のあと、凌偉はさらに問いを重ねた。


「他には何ができる?書物を記憶する以外に。」


「……か、家事です。」

春燕は恥ずかしそうに答える。


「他には?」間髪入れずに返す凌偉。

「そ、その……特には……。」困惑してうつむく春燕。


凌偉は思い出したように口を開く。

「初めて会った日に薬剤の知識があると

 言っていたな。誰かに教わっていたのか?」


「昔……母に教わりました。

 でも、大したことでは……。」

春燕の声が段々と小さくなっていく。

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