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水月鏡花―中華恋愛譚・静かに灯る初恋―  作者: 麻倉ロゼ
第一章「氷心、春に融く」

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第五話「贈り物と意地悪 後編」2

第四話「贈り物と意地悪 後編」は4分割で更新していきます。これは2つ目です。

 あれから数日が経った。穏やかな昼下がり。

琳家本邸の廊下に柔らかな光が差し込み、

仕事を終えた凌偉りょういがゆったりと歩いていた。


その時――


「凌偉様、今よろしいですか?」

珍しく春燕しゅんえんの方から声がかかる。

凌偉は思わず足を止めた。


「なんだ?」


普段は遠慮がちで、挨拶程度にしか

話しかけない彼女が、直接声をかけてきたのだ。


「貸していただいた書物、

 ありがとうございました。

 お返ししますので……後ほどお部屋に

 お持ちしてもよろしいでしょうか?」

春燕は少し緊張しながらも微笑む。


「……は?」思わず声が漏れる。


春燕はハッとして慌てた。

「もっ……申し訳ありません!

 私のような者が馴れ馴れしく

 お部屋に行くなど……失礼しました!」


「いや、違う。」凌偉は軽く首を振る。

「貴方は渡したものを……全て読んだのか?」

声に驚きが混じる。


春燕は満足げに頷いた。

「は、はい。どれも素晴らしかったです。」


凌偉は目を細める。


「あれだけの量を?

 読むだけでも時間がかかるはずだ。

 まだ貸して一週間も経っていない。」


「本を読むのは好きです。

 夕方からは仕事もありませんし……

 とても面白くて、夢中で読んでしまいました。」


嬉しさが抑えきれず、春燕の声は明るい。


凌偉は言葉を失う。


あの分量を一週間足らずで……。

だが嘘を言っているようには見えなかった。


春燕は少し申し訳なさそうに言葉を続けた。

「……ただ、読むのに夢中になってしまって。

 連日、夜に灯りをつけてしまい……。

 灯りの油をたくさん使ってしまいました。

 今日は早めに消しますので!」深々と頭を下げる。


その姿に、凌偉は呆気にとられた。

油の消費を気にするなど、今まで誰も

口にしたことがなかった。


そして――春燕は一呼吸おき、

意を決したように顔を上げた。


「それで、凌偉様……。

 一つお聞きしたいことがありまして。」


「……なんだ?」


春燕から質問されるのは初めてだ。

心のどこかで、期待にも似た感情が芽生える。


「米の取引記録を拝見しました。

 不作の時期でも、価格が上がっていませんでした。

 需要が増せば高値で売れるはずなのに……。

 商人なら、もっと利益を上げる

 べきではないのでしょうか?」

真剣な眼差し。

凌偉は思わず息を止め、数秒の間を置いた。


そして近くの長椅子に腰掛け、

春燕にも座るよう促す。


空気が変わった。


春燕も背筋を伸ばし、息を呑む。


「昔、計然けいぜんという人物がこう言っている。」凌偉は静かに口を開く。


「米の価格が二十銭では安過ぎて農民の損。

 九十銭では利益は出るが、値が高く

 売れなければ商人の損。


 商人が損をすれば物資は出回らず、

 農民が損をすれば耕作が進まない。


 値が八十銭を超えず三十銭を下回らなければ、

 双方に利益が残る。

 穀物や商品の価格を安定させて、

 関税も市場の品も欠乏させないのが、

 国を治める方法だと。」

春燕は頷き、目を輝かせて聞き入る。



「時代が変わり、計然けいぜんの頃と

 物価はだいぶ違うが、教えは変わらない。

 商いは循環するものだ。

 利益を独占すれば、誰かを枯らし、

 いずれ自分に返ってくる。

 商人は利益を出すべきだが、不当な利益は

 出すべきではない。


 財も貨幣も、水のように世に行き渡ることが

 理想だ。オレはそう考えている。」


凌偉の言葉を聞き、春燕は小さく頷いた。

胸に響くようにその言葉を受け止めていた。


「商人は四者――農、工、商、山番のうちで

 一番下だ。物を食べられるのは農夫の力、

 資源を供給するのは山番の力、

 それを仕上げるのは工人の力。


 商人は売るものがなければ商いはできない。

 ……そうだろう?」


春燕はしばらくその言葉を胸で反芻し、

やがて静かに口を開いた。


「――飲水思源いんすいしげん為商思本いしょうしほん


“水を飲めば源を思い、商いをすれば大本を思う。”


琳家の家訓に書かれていましたね。」


凌偉の目が見開かれる。

「そうだ。……覚えたのか?」


「は……はい。」

春燕は恥ずかしそうに俯いたが、

すぐに顔を上げる。


「目録、取引記録、家訓……すべて、覚えました。」


その言葉に、凌偉の胸は大きく揺さぶられた。

思わず彼女を見つめ、言葉を失う。


[参考図書]

「史記列伝 5 ワイド版岩波文庫」

(2016)小川環樹,今鷹真,福島吉彦 訳 岩波書店


「史記・貨殖列伝を読み解く 富豪への王道」

(2007)林田慎之助 

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