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水月鏡花―中華恋愛譚・静かに灯る初恋―  作者: 麻倉ロゼ
第一章「氷心、春に融く」

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第三話「琳家」5

第三話「琳家」は少し長くて7分割で更新していきます。これは5つ目です。

 朝食を終えると、凌偉りょういは「ついてこい。」と短く告げ、

春燕を敷地内へと案内し始めた。

彼の説明は必要最低限で、建物の名前や由来を

簡潔に言い添えるだけ。

声の調子も変わらず、表情も淡々としている。

その背に続きながら、春燕しゅんえんは何度も息を呑んだ。


「……信じられない。これが、敷地の中だなんて!」


庭園に出た瞬間、春燕は思わず感嘆の声をもらした。


早朝はまだ暗くてよく見えなかったが、今は朝の光がすべてを照らし出している。


中央には、鏡のように静かな大池。

その上を渡るのは、滑らかな曲線を描いた石橋。欄干らんかんには

雲と波の意匠が彫り込まれ、足を踏み出すたびに朝露がきらりと光を返した。


池の水は澄み、金や朱の鯉がゆるやかに泳いでいる。

ときおり跳ね上がる水しぶきが陽光を受け、

まるで宝石の粒が舞うように輝いていた。


池の周囲には、四つの小さな池が配されている。

それぞれに趣向を凝らしたてい東屋あずまや)が建てられ、

まるで庭そのものが一幅の水墨画のようだ。


最も近くの亭は「碧風亭へきふうてい」。

緑青を帯びた瓦屋根が朝の光を受けて鈍く光り、四方の柱には竹を象った

彫りが施されている。中には石卓と椅子があり、風を感じながら茶を

たしなむのに最適な造りだ。


隣の小池には「鳳華亭ほうかてい」が佇む。

朱塗りの梁に鳳凰ほうおうの文様が浮かび、周囲には梅が咲き乱れている。


少し離れた林の中には「清音亭せいおんてい」。

屋根は青瓦、床下には小さな水路が流れ、涼やかなせせらぎの音が絶えない。

ここでは文人たちが詩を詠み、琴を奏でるのだと凌偉は静かに言った。


最後に見えたのは、「雲楼亭うんろうてい」。

やや高台に建てられ、屋根の上には鶴をかたどった飾りがある。

庭園全体を見渡すことができ、朝霧の中では

まるで雲の上に浮かぶ楼閣のようだった。


そのすべてを繋ぐように、曲がりくねった小道が続いている。

敷き詰められた石畳の間からは苔がのぞき、露をまとった松の葉がきらめく。

庭園内のいたる所で、美しい花が咲き誇る。庭の西側には松林が広がり、

足元には柔らかな芝が一面に生えている。

樹齢百年を超える老松の枝が空を覆い、朝の光を細かく刻んでいた。

東側には竹林が配され、まっすぐに伸びた竹の幹が風に揺れるたび、

さやさやと音を奏でる。涼やかで凛とした気配が漂い、

空気そのものが透き通っていくようだった。


「まるで……別世界みたい。」


春燕は思わず足を止め、ため息をもらす。


しかし凌偉は振り返りもせず、一定の歩調で歩き続ける。

春燕は驚いたり感嘆したり、くるくる変わる自分の表情を持て余しながら、

慌てて後を追った。


屋敷も、庭園も、どれを取っても圧倒的な豪奢さだ。


「どこを見ても素敵なものばかり……。」


春燕は胸がいっぱいになる一方で、

もう一つのことに気付いてしまう。


「……人の数がすごい。」


敷地内を歩くたび、使用人達が次々と行き交い、

そのたびに一斉に丁寧に頭を下げる。

近くからでも、遠くからでも、彼らの視線を感じるたびに、

春燕は小さく肩をすくめた。

自分が好奇の目で観察されているのがはっきりわかる。


「(きっと私は屋敷中から品定めされているのでしょうね。

 凌偉様の婚約者としてふさわしいかどうか……。)」


思わず、父から聞かされた話が頭をよぎる。


――凌偉は手当たり次第に娘を呼びつけ、気に入らなければ追い出している。


――傍若無人、暴力的で鬼人のような奴。


――両親の死だって、あれは凌偉のせいだと噂されている。


「(……本当に? 本当にそうなのかしら。)」

春燕は自分の胸の中で問いかけながら、前を歩く凌偉の背中を見つめた。


昨日、馬に乗るときにそっと手を差し伸べてくれたこと。

感謝を伝えたときに見せた小さな頷き。

その瞬間に感じたのは、噂とはまるで違う、人の温もりだった。


凌偉様は――大人びていて落ち着いた方。

けれど、それとも少し違う。

誰に対しても感情を見せない。

まるで……心が波立たない、

平らな湖のように見える…そう春燕は感じていた。

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