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水月鏡花―中華恋愛譚・静かに灯る初恋―  作者: 麻倉ロゼ
第一章「氷心、春に融く」

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第三話「琳家」3

第三話「琳家」は少し長くて7分割で更新していきます。これは3つ目です。

「お嬢様……。」

春燕しゅんえんが本邸の方へと歩いていく後ろ姿を、

雪麗せつれいは不安げに見送っていた。

朝、少し話した時には「手厚く迎えられた」と

笑顔を見せていた春燕。


けれど――りん家の家族と正式に顔を合わせるのは今日が初めてだ。

どうか、何事もありませんように……。


心の中でそう祈りながら、雪麗は両手を胸の前で

ぎゅっと握りしめた。


家では、ずっと春燕と一緒にいた。

同じ屋根の下で、同じ時間を過ごしてきた。

けれど琳家に来てからは、立場がはっきりと分かたれ、雪麗は“主”と“使用人”の線を痛いほど感じていた。


寂しさが胸に広がる。


そんな雪麗の気持ちに気づいたのか、夕月ゆうづきが明るい声で呼びかけた。


「雪麗!私たちもご飯に行こう!お腹すいた〜!」


洗濯場で桶を片づけながら笑う夕月。

その隣で紅花こうかも振り返りながら言った。


「ここでは使用人の食事は、仕事の合間に承光楼しょうこうろう側の厨房でもらってきて食べるの。」


そう言って「こっち」と手で促す。

雪麗は小さく頷いて、二人の後を追った。


 広い庭園の壁沿いを歩くと、道の先に立派な楼閣ろうかくが見えてくる。


その名も承光楼しょうこうろう


琳家の取引客をもてなす場でもあるという。

歩くたび、足音が石畳に軽く響く。

空気には香の匂いがほのかに混じっていた。


「本邸にも厨房はあるけど、坊ちゃん達

 ――琳家の方々専用だからね〜。」

夕月が笑いながら説明する。


「そう…なんですね。」

厨房まで別々にあるなんて――。


雪麗は思わず足を止めそうになった。

琳家の規模の大きさに、昨日からずっと

圧倒されっぱなしだ。


 承光楼側の厨房に入ると、熱気と香りが一気に押し寄せる。

中では数十人の使用人たちが慌ただしく動き回り、鍋の音、包丁の音、

指示を飛ばす声が入り混じっている。


「おかみさーん!!本邸の新しい子!春燕様のお付きの子!」


夕月が厨房の真ん中で指示を出している

女性に声をかける。


「ああ!夕月と紅花かい!みんな!新入りだよ!」


おかみさんと呼ばれた女性が声を上げると、

ざわっと空気が動いた。

一斉に二十人ほどの視線が雪麗に集まる。


雪麗は思わず背筋を伸ばし、深く頭を下げた。


「雪麗と申します。よろしくお願いします。」


顔を上げた瞬間、朝の光が差し込み、彼女の髪を

やわらかく照らした。

長い睫毛の影の下で光る左目が、

まるで宝石のように輝く。

一瞬で厨房が静まり返った。


「こりゃあ驚いた……。」誰かが呟く。

「なんて美しさだ!」

「あの子、凌偉様の婚約者様の侍女だろう?」

「侍女どころか後宮に入れる程じゃないか!?街にもあれほど上等な娘いないぞ!」

ざわめきが一気に広がる。


雪麗は顔を伏せ、頬を赤らめた。

居たたまれない。視線が熱い。


「何見惚れてるんだい!!手を動かしな!」

大きな声が響く。

「雪麗!あたしは張桂香ちょう けいこう

こっちの厨房の厨房番だよ!」

桂香は豪快に笑いながら、鍋を木杓子きさくでかき回す。


その勢いに圧され、雪麗は思わず背を伸ばす。


「お前達!騒いでないで働きな!今日も忙しいよ!」


桂香の一喝で厨房の空気が再び動き出した。

まるで大河のように、再び音と熱が流れ始める。


「雪麗!何か食べたくなったらいつでもここに来な!」


桂香は笑いながら、温かい粥の入った椀を差し出した。


朝餉あさげだよ!」


「行こう。」

紅花が促し、三人は厨房の外へ出る。


外の風はひんやりと心地いい。

木の縁台に腰かけ、湯気の立つ粥を手にした。


「こっちの厨房は一日中あんな感じ。

 活気があるでしょ〜?」

夕月が面白そうに笑いながら言う。


雪麗はまだ呆気に取られたまま、

ようやく小さく頷いた。


「…はい。」


目の前の光景、匂い、熱気――何もかもが桁違いだ。


「…いただきます。」


粥を口に運びながら、雪麗は胸の奥で

小さく息を吐いた。


――とんでもないところへ来てしまった。


けれど、どんな場所でも。

お嬢様と共に歩む覚悟だけは、決して揺らがない。

湯気の向こう、遠くの本邸を思い描きながら、

雪麗は静かに粥を飲み込んだ。

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