獅子は静かに産声をあげる
「降りろ」
森の中を走る馬車の荷台という決して快適とは言えない旅の終着点は森の中に隠されるように立つぼろ小屋だった。
男たちの手によって乱暴に荷台から引きずり降ろされ、地面へと体がたたきつけられる。
綺麗に結われ、整えられていたであろう茶色の美しい髪も、健康的でよく手入れされているのであろうその美しい肌にはいくつもの傷ができて痛々しい。
それでもその澄んだ空のような瞳は決して屈することなく、自分を見下ろす男たちへと鋭い視線を向けていた。
「きゃっ」
「や、やめて……」
自分の後からも数人の女性が同じように馬車の荷台から乱暴に下ろされ、地面へと転がされる様子に彼女、セシリアは我慢できずに声をあげた。
「彼女たちに乱暴するのはやめなさい!」
しかし、武器を取り上げられ、身動きができないよう縛られた女性の言葉に男たちが耳を貸すはずもなく、そればかりかその下卑た笑みをさらに深くし、清潔感とはかけ離れたその顔をセシリアへと近づける。
「さすが貴族様ってとこか。さぞ高く売れるんじゃねえか?」
「あぁ、今までで一番の上物だ」
「へへ、売り飛ばす前にちょっと遊んでもいいよな?」
「っ!」
泥と垢にまみれた手がセシリアの肌に触れる。背筋に走る悪寒に体を逸らしそうになるが唇をかみしめ背筋を伸ばし男をにらみつける。
貴族として、民を守る軍門の娘として、顔をそむけるわけにはいかなかった。
そんなセシリアの表情に男が顔を顰めたその時だった。
「おい、遊んでねえでとっととずらかるぞ。あの腰抜けが誰かにチクらないとは限らねぇんだからな」
最後に馬車から降りてきた男、他の男たちよりも大きな体、背中に背負う大剣の様子からただ物ではない気配を感じる。
周りの男たちもそんなリーダー格の男には逆らえないのか、セシリアから手を放すと自分の仕事に戻るように散り散りとなった。
ようやく男の手から解放されたセシリアが息を吐いたその瞬間、リーダー格の男はセシリアへと歩み寄り目の前でしゃがむとその美しい亜麻色の髪を鷲掴みにした。
無理矢理顔をあげさせられ、苦痛の表情を浮かべるセシリアをその男は何の感情もない目で見つめる。
「お前と一緒にいた腰抜け野郎、確かお前のことをセシリアと言っていたな。侍女といいその服といい貴族なのは間違いねえ……てこたぁ、お前、あのリオネス家の娘か」
「……だったらどうするというの?」
セシリアの言葉に男は頭をかくと、めんどくさそうにため息をついた。
「貴族様ってのはいい商品にはなるが……足がつく。めんどくせえ。どうせなら、侍女どもまとめて処分してからトンズラするか」
冷たく、淡々とした殺意。その瞬間、周囲の空気が凍りついた。セシリアの背後で侍女たちがかすかにすすり泣き、震える声で「いや……」と呟く声が聞こえる。
セシリア自身もその恐怖に喉の奥がひきつった。目の前の男は相当の手練れであり、この様子からして人を手にかけるなんてことは日常茶飯事なのだろう。
しかし、同時に湧き上がったのは怒りだった。侍女たちを守れず、屈辱にまみれ、何もできずにただ殺されるという現実。
背後では巻き込まれた侍女や他の犠牲者である女性が震えている気配がする。
「セシリア様っ!」と侍女が呼ぶ声がする。
こんなところで、死ぬわけにはいかない。
なんとかして、せめて彼女たちだけでも。
そんな緊張感漂う空気の中、その男は突然現れた。
「おい、その手を放せ」
水城、いやレオンは低く威圧を込めその言葉を放った。
水辺からしばらく歩いた場所にいたのは複数の人間だった。マップ上では自分との相対的かつザックリとしたレベルしかわからない。そのため、レオンは念のため姿を隠しながら自らが持つスキル"神眼"を発動させその場にいるすべての人間のステータスを確認した。
「(弱いな)」
感想はその一言。レベルはその辺を歩き回っている男たちは20以下、縛られて地面に転がされている女性たちにいたっては5レベルもない。
レベル100、かつその先の限界突破と言われる上限を超えているレオンのステータスとは比べ物にならない。PvPを想定したとして、ヴァルディス・オンラインの世界であればレオンと対等に渡り合えるのは同じく限界突破を果たした存在だけであり、レベル100ですらレオンの相手にはならない。
しかもその限界突破すら条件が厳しく全プレイヤーのうち条件を満たしているのは10%程度というのが運営の発表だ。
そんなレオンとはまさしく格が違う中でも、気になる者と言えばレベル32の大男と、レベル28の女性。
「セシリア・リオネス……侯爵令嬢に精霊の加護、か」
神眼のスキルによって明らかになるのは名前や所属だけではない。そのキャラクターやモンスターのステータスやスキル等も確認できる。ヴァルディス・オンラインでは初心者から上級者まで必須のスキルだった。
確かヴァルディス・オンラインでは精霊と呼ばれる存在と契約を交わすことができ、その際にプレイヤーに付与されるステータスだったはずだ。
とはいえ、ほぼすべてのプレイヤーはストーリー進行上何かしらの精霊と契約することになるので、水城にとっては特に気にすることもないステータスだった。
「プレイヤーにしては弱いな……」
他にも何かわかることはないかと神眼で覗き見しながら、男たちの会話に耳を傾ける。
しばらく状況がつかめなかった水城でも、ようやく男たちが人攫いで女性たちがその犠牲者だと理解したころ、精霊の加護を持つ女性がレベル32の男に髪を掴まれた。
同じ女性である水城として胸糞悪くなるようなその光景、しかしその心はどこか冷静でまるで画面の向こうを見ているような感覚だった。
「(ああ、これがレオンが感じる世界か)」
その言葉がすとんとこれまでの違和感を埋めるようにピースがはまる音がした。
今、このレオンの体の中には水城としての感覚とレオンとしての経験が同居しているのだ。
冷静に状況を判断し、常に最善の道をとる熟練の戦士。そう水城が作り上げたレオンという男は見知らぬ場所でも取り乱したりしないし、例えレベルがはるか下の相手でも油断したりしない。
「……だったらどうするというの?」
恐怖に震える女性を背に精霊の加護を持つ女性はその澄んだ青い瞳に強い意志を宿らせ目の前の男をにらみつけている。だがよく見れば後ろ手に縛られた手は強く握りしめられ、その姿は必死に抗う彼女の覚悟を感じさせるには十分だった。
たった一歩で崩れてしまうような虚勢でもはったりでも、ただ強くあろうとする彼女の姿をただ、美しいと思った水城としての感情が、レオンの中に微かな熱を呼び覚ました。
ーーあぁ、そうだ。あんな強い女性に私はなりたかったんだーー
だから、男の「処分」という言葉に彼女の瞳が陰った瞬間、レオンの中の熱が一気に燃え盛り、気が付けば男たちの前に姿を現していた。
「おい、その手を放せ」
レオンは低く威圧を込めその言葉を放った。