獅子は世界の狭間で夢をみる
薄暗い森の中、目の前にそびえたつのはこの世界で誰もが最初に遭遇する中ボス級モンスター「棘森獣ラフィ=ガルダ」
体中に茨をまとったような姿をした熊型の魔獣は茨と自前の鉤爪を利用した物理攻撃しか行わず、動き自体も大振りで単調、さらに見た目通り火属性がが弱点となるため、初心者も戦いやすく、また中級者から上級者にかけてもよくお世話になるモンスターだ。
「マグナフレア!」
可憐、だが力強いその声と共にラフィ=ガルダのはるか上空より燃え盛る隕石がその巨体へ降り注ぎ、いくつものダメージ表記が画面を埋め尽くす。
ラフィ=ガルダが苦しそうに雄たけびをあげその行動が阻害された途端、今度は地面からいくつもの火柱が出現し、巨体を包み込んだ。
そして火柱が消えた時、そこには茨ごと焼き尽くされ黒焦げになったモンスターの死骸のみが残っていた。
「うーん、威力は上がった気がするけど、理論値まで足りてない気がする」
先ほどの声の主である少女は黒焦げとなったモンスターが光の粒子となって消える場面を見ながら首をかしげる。
「バフが乗ってないんじゃないか?マグナフレアは最上級だから上級スキルのバフだと乗らないぞ」
「あ、そっか」
ぽん、と納得したように手を叩く少女の隣に立つ男は目の前に浮かぶステータス画面を確認しながら満足げに頷いた。
「まあでも、威力的には次のダンジョンでも通用するくらいは火力出てるし、VPの消費も想定内ならしばらくはその装備で問題ないと思うぞ」
「ほんと?よかったー!全然素材集まらなくてどうしようかと思ってたんだよね、付き合ってくれてありがと!姉ちゃん!」
姉ちゃん、と呼びかけられた男はそれに手を挙げて答えると視界の端に移る時計へと視線を向けた。
「どういたしまして。それより時間は大丈夫か?」
「げ、もうこんな時間!」
その言葉に同じように時計を確認した少女は慌てて光の粒子が消えた場所、もともとモンスターの体があったその場所から素材を回収すると左手首をなぞり、メニューを起動させログアウトのボタンを押す。
「それじゃ、俺はこれで落ちるわー」
「寝坊しないようにね」
気まずそうに目をそらした彼女の姿はさきほどのモンスターと同じように光となってその場から消えていった。
「ふあ……ねむ……さすがに遊びすぎたかな……」
少女と別れた後、男はいくつかのフィールドを周り、モンスターを倒し素材集め、満足したのか伸びをすると、少女と同じように左手首の模様をなぞる。
転移先を指定し手首から浮かび上がった画面のボタンを押せば、先ほどまでいた火山地帯の灼熱の大地がらぐるりと視界が切り替わった。
ごうん、と低く響くような振動。軽快なジャズのようなBGMとともにまるで遠くで巨大な機械が動いているかのような振動がわずかに聞こえてくる。
天井は金属製のリブが走り、壁面には航路の地図や各種装備の設計図、掲示板などがデジタル投影されている。だが、それらのクールな演出とは裏腹に、床の一角には過去イベントで配布された置物や観葉植物、果てにはポップなイラストが描かれた家具などが乱雑に設置されていた。
そんな部屋の一角に設置された窓の向こうに見えるのは、漆黒の宇宙と、コロニーの外壁に沿って流れる人工オーロラの光。青白く、静かで、どこか現実離れしたその景色を見ながら男は白い大きなベッドへと倒れこんだ。
沈み込む体と素肌に感じる滑らかな感触。実際にふれているわけではないのに本当にベッドに沈み込んでいるかのような感覚を初めて体験したときの感動を思い出した。
そう、この世界は現実の世界ではない。
VRMMORPGとして世界でもトップのプレイ人口を誇る「Valdis Online(ヴァルディス・オンライン)」の仮想世界なのである。
Valdis Onlineは宇宙での冒険を元にしたフルダイブ型VRMMORPGに属するゲームで、長年MMORPGを手掛けてきた大手ゲーム会社が何年もの月日と他に類を見ない開発費をかけて作られたゲームだ。
もともとMMORPGゲームを手掛けていたゲーム会社が出しただけあり、その世界観、ストーリーにバトルの爽快感などクオリティは高く、VRMMORPGといえば「Valdis Online」と言われるくらい世界中で人気を博している。
特に人気の理由としてあげられるのは「キャラクターの自由度」と「宇宙での生活」
プレイヤーは自分のキャラクターを作る際、様々な種族、そして身長や髪型からまつ毛の長さまで無数の選択肢の中から選ぶことになる。
さらにキャラクターはゲームを進めていく中で自分好みの成長が可能で、さらに種族の進化によってキャラクターは無限の可能性を持つことが可能になる。
そして、ゲームの舞台となるのは広大な宇宙。プレイヤーは宇宙コロニーに所属しつつ、アップデートによって新たに発見される様々な惑星での冒険を楽しむことができるのだ。
新たな敵との戦闘、未知の素材の発見、知的生命体との交流、その楽しみ方は人それぞれであり、たとえ戦闘やアクションが苦手でも貿易、製作、栽培、謎解き等、決して飽きることのない世界が多くのプレイヤーたちを虜にした。
ベッドに横になり、目を閉じる男、いや、ヒューマン族の男性キャラクター「レオン」もそんな世界にどっぷりはまり込んだプレイヤーのひとり、水城結が操作するキャラクターである。
Valdis Onlineが発売される前の公開テストから参加しているいわゆる古参プレイヤーと言える水城は、女性でありながら2m近い体躯のヒューマン族の男性キャラを操る。
性別どころか種族すらも異なるキャラクターを使うプレイヤーは多く、水城のように男性キャラに成りきって遊ぶ者も決して少なくない。
「(アイテム整理なんかは明日……いやもう今日か)」
水城が目を開けると、視界の端に表示される時計にはすでに日付を跨いで数時間たったことが示されていた。
ここ最近仕事が立て込んでおりほとんどプレイ時間が取れていなかったため久々の連休と、大型の新規案件の成功による特別ボーナスで購入した最新型のヘッドギアに心躍り、つい時間を忘れて遊んでしまった。
顧客の理不尽な要求も女だからと舐めた態度の上司からの嫌味もゲームをしている間、レオンというキャラクターでいる間だけは忘れられる。
名前も顔も知らない人との会話も、遠く離れて暮らしている弟との時間も、頼れる仲間との冒険も、ゲーム内に広がる美しい景色も。
たかがゲームだと笑う奴もいるだろう、だが水城にとって確かにValdis Onlineは心のよりどころだった。
ベッドに横になった途端襲ってくる眠気にそのまま身を委ねようとした水城の視界に運営からの通知を知らせるマークが点滅していることに気が付いた。
どうせ明日、いや起きたらまたすぐにログインするのだし、その時に確認したらいいとは思いつつ、水城の腕は無意識に点滅するマークを押す。
途端に開かれるメールボックス。既読済みの過去のお知らせメールが並ぶ中、その一番上にnewとマークの付いたメールのタイトルが目に入る。
ーー【重要なお知らせ】大規模アップデート「神化」実装ーー
「かみ、か……」
眠る直前の揺れる視界の中、かろうじてその文字だけ読み取る。
確か仕事で忙殺されていた間にそんな通知が来ていたような気がしなくもない。普段の水城であれば新しい情報が出た瞬間、運営からの告知を隅々まで読み込み、ネットでの情報やゲーム仲間たちと情報を交換する。
しかし現実世界の水城の体に重くのしかかる疲労というステータスがそれを許してはくれなかった。
「おきたら……よ、もう……」
まるで言い訳のようにそう呟けば、意識はあっという間に深く深く沈んでいく。
水城の意識が途切れた途端、ゲーム内のレオンの腕も力なくベッドへと沈む。その際、指先が触れたのか、ピピ、という電子音とともに新しいウィンドウが立ち上がる。
【重要なお知らせ】大規模アップデート「神化」実装
親愛なる冒険者の皆様へ
世界の理を超える力――「神化」。
限界突破を果たした者だけが辿り着く、その先の存在がいよいよ解放されます。
神化を選んだ者は、キャラクターの外見・能力・物語に深く関わる変化を受け、新たな運命を歩むことになります。
それは祝福であり、呪いでもあるかもしれません。
選ぶか否かは、あなたの意志に委ねられています。
※注意※
・神化後、キャラクターのステータス・スキル・外見が大幅に変化します。
・一部イベントやストーリー展開が変化します。
・神化は取り消せません。
なお、本アップデートは限界突破済み、かつ神化条件を満たしたキャラクターに対して、次回アップデート時に自動的に適用されます。
Valdis Online運営チーム
そんな文字の羅列を映したウィンドウがベッドで目を閉じたレオンの体を照らしていた。