もうひとつの世界線
この話は前ページ分岐の『意中の人に会えないルート』です。『会えたルート』希望の方は前ページにお戻りください。なお、各ルートで橙香の設定が異なります。
『唯人が橙香に会えなかったルート』
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同窓会終わり、俺は橙志と居酒屋のカウンター席で日本酒をチビチビ飲んでいた。彼は他の友だちから呼び止められていたものの、リモート飲み会の約束を取り付けこちらを優先してくれた。とっくりが一本空き、おかわりを頼もうとすると手で制してきた。
「やめておけ。明日に響くぞ」
「そんなことわかってる。だけど……」
「考えてもみろ? 『企業の社長と結婚して海外にいる』言っていたんだ。伝えなくて結果オーライ結果オーライ」
いつまで経っても現れず、橙志の計らいで彼女と同い年のいとこに尋ねてみた。SNSは公開していないが盆暮れ正月に会っているので近況を知っているらしい。話を聞いたときの俺はというと、顔面蒼白で今にも倒れそうな勢いだったとか。正直同窓会前後の記憶が定かでない。いつまでもうなだれる俺を見て彼はガッシリ肩を組んできた。
「そろそろ前向いたらどうだ? 思い出に酔うのも悪くねーけどとにかく自信持て。なんでもかんでも謙遜しすぎなんだってーの」
「うん、間違いなく正論なんだけどこれから何をすれば……」
「筋トレはどうだ? 悩みなんてスッキリするぞー。あとたるんだ根性や体も鍛えられるし、無理さえしなければいいことづくめだ」
彼に俺のビール腹を指摘されたようで急に恥ずかしくなった。確かに好物ばかり食べ、深夜まで起き、休日はほぼ座りっぱなしという不摂生な生活を改善するのは得策だ。俺が話題に食いついた表情を見逃さなかったようで、彼はにんまりと微笑む。
「ニヤニヤ笑うな気持ち悪い。でも興味出てきた」
「周りからチヤホヤされる橙志くんでも気持ち悪いところはあるんだ。そうそう、俺社会人サークルに入ってるんだけど紹介してやろうか?」
「自分で言うな自分で。サークルか……なるほどな」
断る理由がなかった。
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俺は走る。ただただ走る。時刻は午後六時五分前。決死の覚悟の元、仕事を定時で切り上げた俺は自宅へと全力疾走していた。
自分ひとり住むだけの家に急ぐ理由はないだろうが、あの同窓会から十年の月日が経過している。そうなると自身に置かれる状況も環境も変化するものだ。
目的地に到着し、乱れた呼吸を整えインターフォンを押す。数分して俺を出迎えてくれたのは……愛する妻、ひとみとかわいい娘、めぐみだ。
「おかえりなさい。ご飯いつでも食べられるよ!」
「パパおかえり! めぐみもねぇ、ご飯作るの手伝ったんだよ!」
「ただいま。そうか、めぐみはもう五歳だもんなぁ。お手伝いえらいぞ。ちょっと待っててな」
娘の頭をさらりとなで革靴を土間で脱ぐと、洗面台のある脱衣所へと向かった。手を洗いスーツから普段着に着替えリビングの扉を開くと、においだけで美味しいとわかる料理がテーブルに並べられていた。とろとろのたまごが乗った王道オムライス、鶏のからあげ、星形になっているパプリカがあしらわれたコールスローサラダ……どれも俺の大好物だ。
家族三人席に座りほぼ同時に手を合わせ雑談を交えながら食べる。七分目程度まで腹が膨れると、妻が冷蔵庫から箱を取り出した。そこから出てきたのはこれも俺の好物であるいちごショートだ。妻と娘が互いを示し合わせ俺に言う。
「パパ、四十歳のお誕生日おめでとう!」
橙志に誘われたサークルで同じ大学出身のひとみと会った。彼女は俺の五つ年下で料理と読書が趣味なのだとか。人見知りが災いしなかなか話せなかったが、周りの支えもありグループで遊ぶうち交際に発展するようになった。結婚する運びになったとき、橙志は泣いて喜び奥さんと共に証人にもなってくれた。連絡する頻度は減ったものの、定期的に家族同士会うなどして交流を続けている。妹の柚香さんも結婚し、互いの子どもと遊ぶ関係だ。今日の日付変わりにもおめでとうのスタンプがLINEに届いていた。
妻がケーキを切り分けてくれている間、使い終わった食器を台所に持っていく。その最中ふとなにげなく壁に貼られているゴミカレンダーを眺める。自分の誕生日の日付をマジマジと見つめた。
(もう四十か……あっという間だったな……)
そしてその日付から真下に視線をスライドさせる。……いやさせてしまった。あの人の誕生日……
『唯人くん』
彼女の声が脳内に響く。もうこの歳になると、呼びかけが現実なのか妄想なのか判断つかない。正直誕生日でなくても彼女のことを思い出していた。しかしどうにか忘れ取り繕い周りになんでもないと装った。また思い出してしまうことを橙志にLINEで漏らしたときこう言っていた。
『思い出すならそれでいいじゃないか。心の底から自分を肯定できるのは自分だけなんだし受け入れろ』
当初はわかっているけどどうにもならないから苦しんでいるんだと卑屈になっていた記憶がある。しかし今になってみるとこの言葉が胸に沁みる。もう苛む時間すら面倒くさい。妻を子どもを悲しませるわけでないのだから黙っていればいいのだ。卑怯と言われようがこれ以外方法など存在しないのだ。
ケーキを切り終え、皿に上手く乗せられたことを子どもと喜びを共有する妻がたまらなく愛おしくなり思い切り抱きしめた。いきなりのことで驚くのも構わずつぶやく。
「いつもありがとう。愛してる」
「ちょっといきなり何? はいはい、私も愛してますよ」
「ママずるーい。めぐみも抱っこー」
うん、愛している。これは本物の感情だ。そしてごくたまに思い出す彼女の思い出も。きっと寿命尽きるまでこの悩みは消えないだろう。しかし不思議と嫌な気はしないのだ。その理由はよくわからないけれど。
薄汚れた不純な想いを胸に抱き、俺は目の前のケーキを頬張った。涙を浮かべながら掻きこむその様子に、ふたりは戸惑いながらも微笑んでいる。
甘い。酸っぱい。食べ過ぎると気持ち悪くなる。それでもまた狂うように欲してしまう。この刺激を求めて。
まるで青春だ。
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『会えないルート』 終わり
ご覧いただきありがとうございました。
この話は概ね私の感情を綴っています。backnumberの『高嶺の花子さん』を何度も聞くくらいには感傷に浸っています。私はこの曲の『たかが知人B』にもなれませんでした。
作中の橙志ような気持ちに寄り添ってくれる友人もおらず悶々とした日々を過ごしておりました。
結婚し子どもを産んでも誕生日というイベントがある限り呪いに苛まれましたが、ふと作中の持論(?)が思い浮かんだのです。自己満足といえば自己満足でしょう。しかしこの作品を読んだ方が少しでも共感してくれるならと公開へ踏み切りました。
書いていて苦しんだ分楽しかったです。まるで青春をやり直しているようでした。
ありがとうございました。長文失礼しました。