後編
近年飲食店では、感染症の蔓延防止の観点から自動化が爆発的に増加している。受付、またはテーブルでの注文、配膳ロボットの導入、そして自動精算機。騒動が落ち着いた今でもシステムは継続していて、どこをどう見ても抜かりない。特定の具材を取り除いてほしいなどの要望は、直接店員に尋ねなければならないが許容範囲だろう。むしろ不便な方が俺とってありがたい。
雑誌で取り上げられるような美男美女、それについて回るモブ。はたから見ればそんな図式ができあがるだろう。しかし午後六時過ぎという微妙な時間と上記の事柄から、ほぼ人と会うことなくテーブルにつくことができた。それでも何人かにチラ見されたような気がしないでもないが。
モニターで案内された席に六沢と柚香さんがソファに横並び、俺は彼の正面に向かい合う形で椅子へと腰を下ろした。テーブル端に立てかけてあるタブレットを六沢が台座から取り外すと俺に差し出してきた。俺が遠慮しようとすると、容赦なく己の胃を情けなく鳴らす。はにかむふたりにいたたまれなくなり、俺はいっそのこと開き直ることにした。
「あー、腹減った! 今日は誕生日だからたくさん食べるぞー」
「そうだったのか? おめでとさん! ならより奢り甲斐があるってもんだ」
「いや、さすがに悪いからここは自分で払うよ」
ここで奢る奢らないのやり取りが数回ラリーあったのち、俺の分は割り勘するということで落ち着いた。と言っても俺は人並程度しか胃に収めるられないので、鶏のからあげ定食とドリンクバーに落ち着いた。単品のエビチリとミニチョコミントパフェも追加してささやかな贅沢を楽しむ。俺に即発されたのか、六沢きょうだい各々の料理に加え同じデザートを注文した。軽くチョコミントの素晴らしさを談義しつつタブレットを台座に戻す。
柚香さんがドリンクを取りに行ったタイミングで、六沢は俺に軽く頭を下げつつ改めて感謝の意を示した。
「さっきは本当にサンキューな。あいつ、見た目のせいでよく絡まれるんだ。いわゆる妬みってやつでさ。我が妹ながら誇らしくもあるんだけど」
「いやいや、通りすがりだからマジで何もしてないんだって。勝手に向こうが逃げ出しただけっていうか」
「でもそのたまたまがひとりの女子を救ったんだしもっと自信もてよ。な?」
相手の立場にたってフォローができる。中学のころと全く変わらない。変わったところといえば、左薬指で主張している指輪くらいだろうか。俺がさりげなく見ていると、察したのか自身もそれに視線を落とす。
「あぁ、これか? 付けて六年になるけど結構ムズムズするんだよな」
六年……つまり二十四の歳くらいにあの人と……しかし六沢の口から続けて発せられる言葉は思いもよらないものだった。
「向こうが年上で頭上がらないけどなんとかやってるよ。俺にはもったいないくらいの嫁さんさ」
「え……年上……?」
「おう、俺SNSやってないから知らないのも当たり前だよな」
さらに情報を聞き出そうとした矢先、柚香さんがメロンソーダの入ったグラスをテーブルに置き席に着いた。
「お待たせー」
「ちょっとさすがに時間かかり過ぎじゃないか?」
「いいの! 普段飲めないジュースがいっぱいあるから悩ませてよ」
きょうだいのちょっとした言い合いに耳を傾けつつ、俺はトイレに行こうと席を立った。すると六沢は俺の分のドリンクも持ってきてくれると言ったので、お言葉に甘えウーロン茶をリクエストした。どこまでお前はいいやつなんだ。これじゃまるで……
俺がとことんダメなやつだと烙印を押されてるようなものじゃないか……
トイレで用を足し、洗面台に向かうと六沢も入室してきた。てっきり個室に入るのだと思い、急速に手を洗いその場をあとにしようとすると彼は俺の肩をガッチリと組んできた。突然のことに目を泳がせている俺に真剣な表情で話しかけてきた。
「今、何を考えている?」
「……え?」
「だから、俺と妹と会ってから何か考えているだろ? 結婚のことを話したら余計心ここにあらずみたいな顔してんだもん。十五年ぶりとはいえ同級生なんだし遠慮なく言えよ」
一気にまくしたてられ少しの間頭が真っ白になってしまったが、瞬間俺の頬に水が重力を伴ってタイルに落下した。自分でも気づかぬうちに泣いていたようだ。そうだ、俺は誰かに聞いてほしかったのかもしれない。俺は手に持っていたハンカチをまぶたに当て己の感情の証拠を打ち消していく。そして何年もくすぶっていた想いを吐露する。
「六沢くん、俺はずっとトウカさんが忘れられないんだ」
食事のあと連絡先を交換し解散した俺たちは、帰宅後に当たり障りない会話からもう少し踏み込んだ話題を展開することにした。
トウカこと江山橙香は中学を卒業後に六沢と同じ高校に進学した。入学早々名前が似ているというだけで周りから囃し立てられ、当人同士もなんとなく空気を読んで付き合ったらしい。しかし交際というふた文字が認識できていなかったので結局一ヶ月程で別れたのだとか。思い悩んでいた彼の前に先輩である今の奥さんと出会い、社会人二年目という異例の速さで結婚した……これが六沢と彼女との関わりだという。
『今思えばお互い子どもだったんだよ。その気持ちを言葉にできなかった意味では唯人くんと同じようなものさ』
なんともいえない持論である。六沢ほどの頭脳と性格、リーダーシップがあれば付き合った女を繋ぎ止められただろうに……さすがにこのことは言わないでおいたが。話題がひと区切りついたところで、もうひとつの疑問をぶつけてみることにした。
「そもそもなんで居合わせたとき俺だってわかったんだ? 中学当時と全然姿格好違うし、第一ほとんど話したことなかっただろ? 同じクラスって接点以外ないと思うんだけど」
『卑屈になるなよ。定期テストはずっと上位だし、学校には遅刻しない、制服をカッチリ校則通りに着てるの唯人くんだけだったんじゃない? それにひと目見ただけですぐわかったよ。でも確証持てなかったから一応中学は聞いたけど』
俺のメッセージの既読から数分経っても返ってこなかったので、てっきり呆れてしまったのかと思ったがその後の長文に面食らってしまった。俺にとって学校が人生の全てと過言じゃなったから、そうせざる負えないというか当たり前というか。よくわからない。クラスの一軍でキラキラしているやつでも認識はしてくれていたんだ。……悪い気はしないけども。
夜が更けてきてそろそろお開きという時間になったとき、彼は思い出したかのように一文を添えた。
『来月の同窓会どうする? 俺は行くつもりだけど』
「うーん……成人式のときは壁の花状態だったから、話し相手になってくれると助かるかな」
『了解。というか話しかければ普通に応えてくれると思うぞ? っていうかさ、俺のこと下の名前で呼んでくれよ。俺も唯人って呼ぶからさ』
まるで中学のころに戻ったような感覚だった。だがなんとなく同じ属性のグループで固まって話すきっかけがなかっただけだ。初めて俺に友だちという人間ができるだなんて。次に送る返信は恐怖そのものだったが今なら、彼になら言える。そう思い勇気を振り絞った。
「ありがとうな、橙志。あのさ……もしトウカさんに会えたとして気持ちを伝えても引かれないか?」
『俺だったら普通に嬉しいけどな。少なくとも自分に好意を持ってくれたんだからお礼くらい言うさ。それに拒否されたらその程度の女だったんだよ。……って付き合ってた俺が言うことじゃないけど』
「うん。早くこのモヤモヤを取りたいって自己満足の方が大きいけど、十五年ぶりの勇気そこで発揮してやる。今日はありがとうな。助かった」
『おう。またメシ行こうぜ。おやすみ』
俺が無料のスタンプで返すと、向こうは親指を立てているリアクションを追加してきた。全く……ここまで来ると聖人か何かか? 奥さんや家族を大事にしろよと念じつつ眠りについた。
この日俺は夢を見た。
自分は制服を着ていたので学生だろう。場所は……どこかの学校の教室。そして意中のあの子が俺を見て微笑んでいる。
昼間だというのに俺と君以外誰もいない。不思議なことに彼女は微笑んでいるはずなのに顔を顔だと認識できない。まるで口以外モザイクがかかっているような。そんな不可解な状況でも声をかけずにいられない。
「あの!」
彼女は表情を保ったまま動こうともしない。もうこのまま言ってしまえ。
「ずっとあなたのことが……」
瞬間、目を開けると自室の見慣れた天井がそこにあった。また言えなかった……現像でもなんでもいいから早くこの思いを伝えたい。枕元にあるスマホを手に取ると同窓会の日付を確認した。
会えるといいな。
_______
【セーブしますか?】 ▶はい いいえ
※ここから分岐となります。同窓会で彼女に『会えたルート』と『会えないルート』ふたつご用意いたしました。
『会えたルート』を選択する際はこのまま下へスクロールをお願いします。また『会えないルート』の場合は次のページをご覧ください。
準備はよろしいですか?
それでは『唯人が橙香に会えたルート』をどうぞ。
______
当日会場に到着し橙志にLINEを送ると、近くにいるとのことだったので歩を進める。彼はさっそく数人と話しているようだ。やはり当時から人気者だったから仕方ないよな。話しかけるタイミングを見計らっていると彼の方から声をかけてきた。
「よっ! お疲れさん! お前ら驚け? こちらの新井唯人くんは俺の妹をいじめから救ってくれた英雄なのだ!」
己の右手を軽く俺へ向けると再会早々自分のことのように称えてきた。急に言われたものだから、どう対応してよいものか困惑していると後方から軽い歓声が聞こえてきた。
目を向けるとそこには。
あの頃の面影はあった。しかし髪を黒から暗い茶色に染め、派手過ぎない化粧、華美でもない地味でもないこの場にふさわしい服装。そう、『垢抜けた』という表現がこれほどしっくりくるなんて。指輪は……していない。
どれくらいの時間見ていたのだろう。橙志が俺の肩を肘でつつかれるまで気がつかなかった。彼はニヤニヤと笑いながらこっそり俺だけに聞こえるよう耳打ちする。
「いってこいよ。周りのやつは俺が引き留めておくから。結果がどうであれ二次会で酒飲もうぜ」
「お前が飲みたいだけじゃないか? まぁ、ありがとうな。何かしら奢るわ。この前話聞いてくれたお礼に」
「へいへい。じゃ、幸運を祈る!」
軽く背中を押されたせいで、上手く足を地面に着けられず派手に転んでしまった。情けない。せっかくのスーツが埃まみれだ。
「大丈夫? 立てる?」
痛みと恥ずかしさに悶えていると、頭上から女性の声が降ってくる。やはりというか声は変わらないんだな。
会いたかった。ずっと……会いたかった。
今まで理不尽にまみれたつまらない人生だった。
でもそこにひとつまみの青春くらい加えたっていいよな?
______
『会えたルート』 終わり