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前編

『結婚相手を探す男共よ聞け! 金を稼ぐ事はもちろんだがそれ以上に重要な項目がある。それは……』



(『優しさと男らしさのサンドイッチ』……)


 平日夕方五時過ぎ。めずらしく定時の退社に成功し、職場近くのコンビニにて夕食の次郎系ラーメンを購入する。大学生らしき店員に温めるかを尋ねられ、「はい」でも「あー」でもないあいまいな言葉でスマホを操作しながら返事をした。画面上の決済バーコードで代金を支払い、店員がラーメンを業務用レンジに放り込み該当の温めボタンを押した。できあがるまで三分程かかるため、暇を持て余した俺は店内の窓添いに陳列されている雑誌を立ち読みすることにした。そして何気なく手に取ったムック本にデカデカとこう書かれていたというわけだ。


(どうしてこう、心を抉るような事を平然と書くかねぇ……)


 俺の人生は理不尽の一言でできていた。三人男兄弟の真ん中として生まれ、兄貴の機嫌を取りつつ弟の面倒を押し付けられる。両親も仕事ばかりで俺の意見を聞きやしない。それを『不満を漏らさない優等生』と勘違いしたのかはわからないが、家事全般を俺に押し付けてきたのだ。兄貴は遊びやバイトに勤しみ、弟は弟で学校終わったと同時に友だちと遊ぶ毎日。結果、言いたい事を録に言えなくなった上辺だけの根暗人間がここに誕生した。


「あんたは成績だけがいいんだから国立大学に行きなさい。それ以外は認めないから」


 母親のその一言で進学先を決められてしまった。成績が伸びていたのはゲームや漫画などの娯楽品が全く与えられず、机に向かって勉強をするしか間をもたせる手段がなかったからだ。今になると図書館などの施設を利用すればよかったと思うが、あのときは家が全てで親の言いなりになれば無駄な疲弊をせずに済むと後回しにしていた。家よりも学校の方が気持ちが休まるなんて人には絶対言えなかった。


唯人(ゆいと)君ってぇ~。高学歴だから付き合ったけどぉ~、優し過ぎてつまんない」


 大学一年の数合わせの合コンで流れで付き合った彼女にこう言われ、たった一週間という短い期間で交際が終了した。

 優し過ぎるってなんだよ。悪い奴が好きって事か? 犯罪に巻き込まれてもみろ、間違いなくそいつを一生涯支えようなんて思わないだろうよ。


「ラーメンでお待ちのお客様ー」


 店員の呼びかける声で俺の黒い思考はシャットダウンされた。手に持っていた本を陳列棚に戻すと、新発売のラーメンの味を想像しながらレジに向かった。


「はいはーい。どうもー」


 瞬間、俺と似ても似つかない男がレジ袋を掴み店を後にした。俺が先程までいた雑誌コーナーから店員との距離は約十数メートル。そのわずかな距離での犯行に、驚きや怒りの感情を通り越して関心さえしてしまう。


「あの……え……?」


 店員が何が起こったかわからないという顔をしつつ、声にならない声をあげている。俺が店に出ると泥棒は車かバイクで、逃走を謀ったようでそれらしい人影は見当たらなかった。俺が再び店内に戻ると、店員は顔面蒼白になりながらこちらを見ていた。


「も、申し訳ございません! 今警察に……」

「あぁ、時間の無駄だからもういいよ。気にしないで」

「いえ、自分がボーッとしてたから……」

「だから大丈夫だって。金は払ってるんだからさ。でも次からは真面目に仕事しろよ? じゃ」


 店員はまだ俺に何かを言おうとしていたが、いたたまれないのも相まって静止を振り切り店を後にした。……何だか全てがどうでもいい。

 無気力のまま帰路につく。もう今日は店で夕飯を買う気分になれない。こんなことになるなら最初から自宅で出前を頼むんだった。たらればを言ったところでどうにもならないが。

 どうにか気分を紛らせるべく、スマホとイヤホンを取り出した。スマホの電源ボタンを押すと、SMSの受信を知らせる通知が表示されていた。家電量販店からのメルマガだろうが、ホーム画面のバッジの表示が煩わしいので一瞬だけ立ち上げることにした。


『お誕生日おめでとうございます! あなたにピッタリなクーポンをお届け!』



 誕生日か……



 一人暮らしの独身に加え、パートナーと呼べる人間がいない俺にとって誕生日は記号にしか機能していない。免許証、保険証などに小さく印字してある数字。そもそも真心もへったくれもない企業のダイレクトメールで己の誕生日だと気づくくらいなのだからその程度の認識なのだろう。

 帰宅し無駄な書類でパンパンになったバッグをベッドに放り投げる。梅雨の真っ只中、網戸の状態で開け放ち窓から湿気を含んだ生ぬるい風が室内に入り込む。扇風機を起動させると肌寒く、スイッチを切ると暑いという中途半端な気候である。

 毎年この季節になると思い出す。あの女性のことを。


「トウカちゃん誕生日おめでとう!」

「放課後、プレゼント渡しに行くね」


 脳裏にクラスの女子の声がよぎる。渦中には誕生日を祝われている女子。俺がスクールカーストの最下層だとしたら向こうは頂点。これは大げさな表現でなく、文化部で何の役にもたたない役職の俺に対し、女子バスケットボールの部長兼中学校の生徒会副会長をこなす凄腕だ。いつでも人に囲まれて本人も楽しそうで……同じ中学の、同じ学年の、同じクラスの人間でもここまで違うのか。彼女との接点は給食の受け渡しくらいしか思い浮かばない。

 正直に言おう。俺は彼女のことが好きだった。「だった」と過去形なのは中学の卒業から十五年の月日が経っているためだ。高校と大学はバラバラだし連絡先も知らない。ついでに名前の漢字も忘れてしまった。


「トウカちゃん、トウシ君と高校で付き合ってたんだって」

「へぇー。じゃあ、過去形ってことは別れちゃったの?」

「さぁ? 私は同じ高校だったけど、卒業してからSNS更新してないみたいだし気になってるんだよねー」


 成人式の後の同窓会。華やかな会場に気疲れしていると、中学当時から噂好きな女子たちの声がどこからともなく聞こえてきた。


 トウシ……トウシ……六沢(ろくさわ)橙志(とうし)


 男子バスケットボール部長兼生徒会長。学問運動共に成績優秀。しかも男前。まるで雲の上の存在で俺と比べるのもおこがましいというものだ。


 そうか、あのふたりが……


 別に俺が判断する権利なんてない。付き合うなら付き合えばいいし、別れるならそうすればいい。ただ似合ってるな……と思うだけ。

 その話題を出したなら学年総出で盛り上がるところだろうが、幸いというかなんというかどちらとも連絡が取れず欠席だという。


 自分がキモいことは重々承知している。今年三十路になる男がいつまでもネチネチと過去の思い出に縋りついているのだから。そんなことなら勢いに任せて告白するんだった。……ほら、またたらればだ。

 忘れている時もある。一週間という短期間だが彼女もいた事があるし、仕事や趣味で没頭している時は特に。


 しかし、しかしである。


 俺の誕生日はまさに今日。彼女の誕生日がその一週間後。つまり俺の誕生日が来る度に彼女との記憶がセットで蘇る。自分で言っていて情けなくなるが。


 ただ、またひと目会えたら……


 あぁ、ダメだ。どんどん自分が小さい存在に見えてくる。空想を切り上げ自室の壁掛け時計を見上げると十八時を示していた。

 あれだけ外出をしないと息巻いていたのに腹は減る。人間は単純な生き物だとつくづく実感し、それゆえに憎たらしくもある。今更自炊する気にもなれず、俺は背広からTシャツとジーンズに着替えスマホだけを持ち外に出た。


 何気なしに牛丼屋に向かっていたが、先ほどのコンビニのことを思い出し苦笑した。牛丼なら注文すればすぐに食べられるし奪う隙なんてないからな。

 どうせ外出したならと会社までのルートと別の道を選び、スマホで牛丼屋を検索すると案内された方角に歩を進める。歩きスマホはやめるよう駅や電車の中刷りにあるが方向音痴の自分にとっては死活問題だ。たかだか数分のことだし周囲に気を配れば許容範囲だろう。


「やめて!」


 最初は聞き間違えかと思った。新卒からこの場所に引っ越してきて約十八年。その期間に事件らしい事件といえば、今年の冬自転車のサドルが盗まれたという触れ込みが自宅マンションの掲示板に張り出されたくらいだ。それにその犯人は再び同じことをしでかし現行犯逮捕されている。そんな比較的治安の良い地域で何があったというのか。聞き間違えならその方がずっといい。俺はスマホを手に持ったまま声のする方へ向かった。


 そこはどこにでもあるような雑居ビルと店舗の間の通路だった。ただ通路とは名ばかりで、人と人がすれ違うのがやっとという幅に加え、ゴミが所せましと散乱しわざわざ通りたいとは思わないだろう。そんな場所にも関わらず、中間地点で一人の女子高生を数人の同じ制服を着ている男女が取り囲んでいた。こんな状況は一つしかありえない。

 通路の一方が消え暗くなったのを感じ取ったのか、一人の男がこちらに顔を向けた。


「おい、見られた! 行くぞ!」


 同じ男がそういうやいなや中心にいた女子を残し、一目散に反対方向へ逃げ出した。俺がスマホ持ってたから録画していたとでも思っていたのだろうか。ただ地図アプリを起動していただけなのだが。

 俺の視線に気が付いたのか彼女はこちらに向かって歩き始めた。路地という場所柄暗くてわからなかったがその顔を見て驚いた。美人。それ以外に形用しがたかった。芸能には疎いが、彼女はその界隈にいてもおかしくない程に。彼女は下心の無い自分に警戒心を解いたのか、薄く笑顔を浮かべ自身の長い黒髪が崩れるのも構わず頭を下げた。


「助けてくださりありがとうございました。私普段から絡まれやすいんですけど、今回はかなりしつこくて。とても助かりました」

「いやいや、俺は通りすがり一般人。ドラマのエキストラみたいなもんさ」


 オヤジギャグだったかと言い終えて後悔したが、彼女はそんな素振りをみせずコロコロと笑う。職場と店員以外の女性と話したのはかなり久しぶりにも関わらず、不思議とこの子とは普通に会話できた。


「じゃあ、俺はこの辺で。周りからみたら変な目で見られそうだし」

「いえ、歳の離れた兄と奥さんがいるので気にしませんよ。連絡したのでそろそろここに来るかと……あ、来た」


 彼女が視線を向ける方向を見ると、上等そうなスーツを着こなした高身長の男前が駆け寄ってきた。彼女は先程より更に肩の荷を降ろしたようにくだけた口調で男に話しかける。


「急に連絡してゴメン。来てくれてありがと」

「こっちこそ遅れてゴメン。柚香(ゆずか)大丈夫だった?」

「うん! お兄さんが助けてくれたの」

「いや、自分は何も……」


 俺がそう言いかけたところで男はこっちをマジマジと見つめた。


「あの、間違っていたら申し訳ないです。中学校は第一北ですか?」

「ええ、そうですけど……」

「やっぱり! 唯人くんだよね!? 俺、六沢。六沢橙志!」

「え、おにいと知り合いだったの!? すごい偶然!」


 美男美女のきょうだいが盛り上がっている中俺の心情は複雑だった。

 ただコンビニのラーメンを食い損ねて、牛丼を食べに行こうと外出して、女子高生のいじめに遭遇して、それを助けたことになって……よりにもよって想いを寄せていた女子の交際相手と再会するなんて……


「今回のお礼も兼ねてこれからご飯行かない? もちろん奢るからさ。もうご飯食べた?」

「いや、まだ……」

「よっしゃ。じゃ、行こう!」


 さりげなく肩を組まれ、ファミレスのドアを潜るまで俺は柚香さんの言葉を反芻していた。



“歳の離れた兄と奥さん(・・・)がいる”

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