5.アダンの実のあるところに
小雨は昼すぎになってもやまず、15時すぎには本格的になった。
気が挫かれたわけではないが、なんとなく本日の殯は乗り気ではなくなってしまった。恐らく他の同級生たちもそうだろう。雨天の中を風葬場へ足を運ぼうとは思うまい。
あやめはふだん、母の畑仕事の手伝いをしたり、追い込み漁の漁師である父とともに浜へ出かけ、網の修繕をしたり雑用をしていた。こんな日は無理して出かけることもなかった。じっさい、両親とも母屋で新聞を読んだり、アダンの葉を編んで草履作りをしながら寛いでいた。
夕方、あやめに電話がかかってきた。
出るとサキ子からだった。
「ねえ、降ってることだし、今夜の殯、やめにしない?」
「……だよね」
「今夜は勘弁してもらって、せめて明日で終わりにしよう。充分、隆盛を弔ったでしょ。ちょうど初七日になるんだよね」
「うん」と、あやめは受話器を手にしたまま頷いた。そして昨夜の逃亡劇を思い出し、「……昨日、隆盛君の身体が動いたような気がしたけど、あれってなんだったの?」
「でしょ? あんたも見たよね? 見間違いじゃなかったんだ」と、サキ子は鋭く囁いた。まるで他言は無用だと言わんばかりに早口でまくし立てる。「あたしたち、羽目を外しすぎたのかも。隆盛の魂を慰めるのなんかそっちのけで、どんちゃん騒ぎしてたから。でも一番はいけないのは、あんた」
「どうして――」
「恋人が亡くなったのをいいことに、夏雄たちがあんたをモノにしようとしてる。あんただってチヤホヤされて、まんざらでもなかったでしょ。そんなの傍目に見せつけられたら、死んだ人だって浮かばれない」
「私は――そんなつもりじゃない!」
あやめは声を荒らげた。サキ子は子どものころから物言いがはっきりしすぎた。さすがの温厚なあやめも頭に血がのぼった。
「とにかく」と、サキ子は機先を制するかのように、さらに声を大きくしてさえぎった。「酒に飲まれないこと。明日でどんちゃん騒ぎもおしまい。――いい? とくに夏雄の奴には注意。二人きりになったくらいなら、なにしでかすか、わかったもんじゃないから」
「ご忠告、痛み入ります」
あやめは噛みつきたくなるのをこらえ、お休みの挨拶も告げず受話器を置いた。
◆◆◆◆◆
翌日は、打って変わって晴天に恵まれた。
日中はあやめをはじめ、夏雄やサキ子、充はそれぞれの仕事に汗を流した。
あやめは午前中、母とともにサツマイモの収穫をしてから、喪服に着替え、11時前に隆盛の家を訪ねた。
初七日法要に参加したのは、仲間内ではあやめだけだった。
隆盛の母親らとともに御願を行ったあと、ぶじ式は終わった。
昼すぎからは島の西側にあるトゥマイ浜へ出かけ、色とりどりの貝殻を拾い集めた。ガラス瓶に砂と貝殻を詰めたものを、土産物として沖縄本土へ出荷するためだ。作業の途中、息抜きをかねて三線を弾き、練習するのに余念がない。
西日が射すころ、夏雄たちが酒瓶を手にして迎えにきた。風に物悲しさと冷たさが混じる季節だった。
サキ子も手料理を用意してきているが、どこか浮かない顔つきである。
「どうだった、初七日。さっちゃんの提案で、今夜でおしまいってことだけど、あやめちゃんはそれでいいか?」
と、充が言った。
「うん。充分、隆盛君を見送れたんじゃないかな」浴衣に着替えたばかりのあやめは、玄関でサンダルを突っかけてから頷いた。下駄箱に飾ってあったカサブランカの花を頭に挿す。「やっとひと段落ってことで」
「それじゃあ、今夜で隆盛ともお別れだ。とっておきの古酒をいただいてきた。あいつとも酌み交わそうや」
夏雄が黒い一升瓶をかかげてみせた。
島の若者たちは昨日と同じように列を作り、とぼとぼと歩きはじめる。
けれども、昨夜の出来事を憶えているだけに、誰もが心の底から湧いてくるざわめきを無視できずにいた……。
島の北側に位置する後生山をめざすべく、広大な畑の真ん中を突っ切っている途中から、4人とも気づいた。
風に乗って、独特な生臭ささが鼻孔を刺すのだ。豚肉のドリップまみれのトレーを洗わず放置し、数日経ったときよりさらに輪をかけた異臭だ。
あやめを先頭に三線を弾いていたが、思わず演奏を中断し、足を止めたほどであった。
夏雄たちをふり返る。
誰もが表情をなくし、返事すらできない。
刻一刻と日が傾き、西の空が赤々と燃えていた。
夏雄が無言でうなずき、安心させる。
後生山はすぐそこでシルエットと化していた。やけにたくさんのカラスが喚いていた。
今度は夏雄を先頭に、藪の中をかき分ける。異臭はさらにひどくなった。
若者一行はおっかなびっくり進んだ。
本能的にわかるのだろう。前を歩く夏雄の足取りは、明らかに前進するのをためらっている。
青い闇の中、がむしゃらに藪漕ぎした。
目的地に近づくにつれ、なにかが聞こえる。
ギチギチギチギチ、ギュイギュイギュイ、ギチギチギチギチ……。
規則正しい異音。
地虫のざわめきか、それともネズミの咀嚼音か。静かな、けれど確かな生の営みに、4人は耳を澄ます。
もはや疑うべくもない。
「おい……。さっきからなんの音だよう」
「硬いものがこすれるような感じ」
「行って確かめるしかないだろ。どうせ隆盛のいる方だ」
「隆盛君もニライカナイに帰るときが来たのよ、きっと……」
「だといいが」
ようやく広場に着いた。
そのころには日は完全に翳り、ろくに足元も見えない。この期に及んで、誰も懐中電灯の類を用意していなかったのはルーズすぎた。
酸味のある腐敗臭が立ち込めている。
反射的に喉の奥から嘔吐感が突きあげてくる。隆盛の遺体が腐っているに違いあるまい。広場の頭上でカラスが鳴いていたものの、ガジュマルの根元まで降りてはいなかったのは意外だった。
ギチギチギチギチ、ギュイギュイギュイ、ギチギチギチギチ……。
代わりに、地面にはオカヤドカリで埋め尽くされていた。その黒々とした光景に、全員背中の産毛がそそけ立つ思いにかられた。
アフリカマイマイやサザエ、夜光貝、バイガイなど多種多様な貝殻にもぐり込んだ甲殻類の集会であった。大方は広場の外縁に立ったアダンの木の下で、落ちた果実に群がり、足の踏み場もないほどである。
アダンの熟れた核果は人間こそ口にしないが、ヤドカリにとっては恰好の餌となるらしい。
臭いに加えて、この有様では酒宴どころではない。
若者たちはヤドカリを蹴飛ばしながらガジュマルの大木に近づいた。
友が自然に還っていくさまを見届けずにはいられない。使命感からくるものか。
ガジュマルの根元に、筵にくるまれた遺体が横たわっていた。やけに黒い物体に変化しているようだ。
筵の塊は、一昨日よりもこんもりと盛り上がり、しかもザワザワと内側が蠢いている……。
それだけではない。まわりを無数の蝶が舞っている。異様な数のメスアカムラサキが飛び交っていた。
夏雄はためしに木の枝を折り、恐る恐る筵の端をめくった。
ハラリと浴衣の衿がはだけるように開き、中身が露わになった。
「……ひっ!」
「なによ、これ!」
夏雄は顔をしかめてうめき、むしろサキ子など、身を乗り出して凝視した。
遺体に取り付いていたのはオカヤドカリだった。おびただしい数の大型甲殻類がびっしりと集り、しきりに太い鋏脚を動かし、死肉を啄んでは、小さな口に運んでいる。食べるそばから糞をひっていた。同級生の肉体は毟り取られ、見るも無残な姿に変わり果てていた。
シャムシャムシャムシャムシャムシャムシャム…………。
オカヤドカリが一斉に貪り食う音がこだまする。
露出した遺体に、メスアカムラサキの大群が取り付く。肉汁や血液にストロー状の口吻を突き立てているのは、アミノ酸や塩分を補給するためだろう。
たくさんのヤドカリと蝶に群がられ、隆盛は覆い隠されてしまった。
4人は悲鳴を上げることすらできない。
回れ右して今来た道を戻り出した。こんなおぞましいところにいるべきではない。
男女は泣いたり嗚咽を洩らしたり、叫んだりと騒々しい。足元のオカヤドカリを蹴散らし、死に物狂いで風葬場をあとにした。
若者たちは別れ、それぞれの家に帰った。
家こそがみんなの安全な貝殻――宿だった。そこにもぐり込めば、嫌なことは忘れられる。
あやめは涙をこぼしながら、後生山で眼にしたことを両親に話した。
父には声を嗄らして叱りつけられたが、母は娘の身体を労わり、抱いて慰めてくれた。
やがて父は声を落とし、一人娘にこう諭すのだった。
――オカヤドカリは沖縄や奄美では神聖な生き物で、足蹴にするのは論外である。とはいえ、この生物は海の掃除屋としての側面も持っているのだという。海岸に打ち上げられた魚の死骸や海藻などの有機物を食べるし、アダンの実も好む。
さらにはアダンの実のあるところに人間の遺体すらあれば――あとは推して知るべしであった。
風葬場で遺体を分解する生物は数あれど、多かれ少なかれヤドカリがその一端を担っており、興味本位でのぞくべきではないと釘を刺されたのだった。
あやめは寝室で眠る前に、縁側のガラス戸を開けた。
島の北側に向かって手を合わせる。恋人の冥福を祈らずにはいられなかった。
その後、近しい人の亡骸が藪に放置されても、殯に参加しなくなったのは言うまでもない。
1年後、彼女は思いきって故郷を離れ、沖縄本島へ渡り、いくつもの恋を重ねた。
民謡大会で三線の弾き語りを披露し、グランプリを獲得したこともあった。芸能事務所所属の審査員からプロの歌手になるつもりはないかと誘われ、ボイストレーニングまで積んだこともある。
しかしながら新たな恋のせいで、夢の芽を摘んでしまった。
いずれ彼女は、沖縄を代表する歌手として遅咲きながら大成するのだが、それは別の物語として語られるべきであろう。
了
※参考文献
『大嘗祭の成立 民俗文化論からの展開』谷川健一 小学館
『南方文化の探究』河村只雄 講談社学術文庫
『沖縄文化論集』柳田国男・折口信夫・伊波普猷・柳宗悦ほか 角川ソフィア文庫
『沖縄島の古風葬とオカヤドカリ類の関連について(予報)』 当山昌直
『琉球のオカヤドカリ類に関する民俗的伝承について(試論2)』 当山昌直
『与論島における洗骨習俗の現状』 近藤功行
あらすじでも書いたが、あらためて――。
以前ネットで風葬について調べていたら、谷川健一(民俗学者・地名学者・作家)の書いたあるエピソードを知った。もしかしたらご存知の方もいるかもしれない。
せっかくだから、その著書を入手した。少し引用してみよう。
>喪に籠って死者と共寝することは、死者の魂の復活を祈るだけでなく、死者の魂を引き継ごうという意味ももっている。
そのもっとも生々しい例は南島にあった。伊波普猷(那覇市出身の民俗学者・言語学者)は沖縄では、葬式のときに豚肉料理を会葬人にふるまう理由を次のように言っている。
「この風習が、かつて南島全体にあったことは、最早疑ふ余地がない。之に就いてはかういふ民間伝承がある。昔は死人があると、親類縁者が集まって、其肉を食った。後世になって、この風習を改めて、人肉の代わりに豚肉を食ふようになったが、今日でも近い親類のことを真肉親類といひ、遠い親類のことを脂肪親類といふのは、かういふところから来た」云々。
これを見ると葬式のとき豚肉料理を会葬人にふるまうのは、かつて死者の肉を食った名残であるということがわかる。死者の肉をなぜ食ったかというと、それは死者の霊力を受け継ぐために他ならない。こうした風習は宮古島でも行われた。
葬式のときに豚汁を出されると、死者の肉を思い出して食べられなかった、という話を池間島の前泊徳正(沖縄の民謡民話研究家)から聞いたことがある。本土でも葬式に行くのを、「ホネガミに行く」とか「ホネカジリに行く」と言っていた地方はあちこちにある。
大分県宇佐郡などでは、葬式の加勢に行くことをホネコブリという。コブルはシャブルの方言である。長崎県の五島では葬式の日に喪家の馳走になることをホネカミまたはホネヲシャブルと言っている。
私が五島列島で聞いた話では、夜泣きする子がいると、三十三年忌あるいは五十年忌をすぎた祖父の骨を墓場から掘り出し、それに醤油をつけて鉄灸(※魚などを炙るのに使う細い鉄の棒)の上で焼いて食べさせると、たちまち夜泣きが癒えるという話であった。祖父の身体の一部を孫の身体に入れることによって、その活力を甦らせようとしたのである。このように死者の肉体の一部を受け継ぎ、その活力を自分にも生かそうという試みは古くから行われてきたと考えられる。葬式に行くのは単に死者を弔うだけの目的ではなかったのである。
(中略)
★沖縄の中部の東海岸から沖に離れた津堅島で、しばらく教員をしていた知人が、彼が赴任する十数年前までは、同島で風葬が行われていたという(※1960年代半ばと思われる)。そこでは人が死ぬと筵に包んで後生山と称する藪の中に放ったが、その家族や親戚友人たちは、遺体が腐敗して臭気が出るまでは毎日のように後生山を訪れて、死人の顔をのぞいて帰るのが習わしであった。
死人がもし若者である場合には、生前の遊び仲間の青年男女が、毎晩のように酒肴や楽器を手にしてそこを訪れ、一人一人死人の顔をのぞいたあとで、思う存分踊り狂ってその魂を慰めたものである。
私も数年前にこの島に講演しに行ったついでに、いわゆる後生山の跡を見たが、島の西北部の海岸に沿うた藪で、いまだに薄暗いところであった。ここでは風葬の関係上、古来より犬を飼うことはなかった。(引用ここまで)
……離島マニアの面目躍如である。
津堅島は今でこそキャロットアイランドの異名を持ち、ニンジンの一大生産地の島として有名だが、かつては沖縄・奄美の島嶼の例に洩れず、風葬が行われていた。
それと、「犬を飼うのはタブー」という離島が日本全国にはいくつかあるのを以前から知っていた。
諸説あるが、最たる理由は風葬場に野良犬が入り、遺体が食い荒らされるのを懸念したからにちがいない。
本作は想像力とグーグルマップを駆使して(今回はあいにくストリートビューまでは不可だったが)、構想を練った。いかんせん時間が足りず、テクニカルタームに信憑性があるのかどうかや時代考証は、いささか自信がない……。
ヤジリ浜の陸側や、後生山の山中にアダンの木が生えているかどうかは、完全に空想の賜物だったりする。
せっかくの企画最終日に、こんな悪酔いするがごとき物語を送り込み、申し訳ありません。
脱稿した今、燃え尽きちゃった……(#^.^#)