3.犬を飼うのはタブー
若者たちは後生山の広場に着くなり、隆盛の様子を恐る恐る見に行った。
筵にくるまれたちまき然とした友だちの遺体に、とくに目立った変化はない。かすかに異臭がしているような気もするが――。
蝶が飛んでいた。やたらと色とりどりのメスアカムラサキが飛び交っているのはどういうわけか。
広場の外縁をよく見れば、遺体を安置したガジュマルの大木を筆頭に、オオハイヌビワなどの常緑広葉樹、 クロツグ、フウトウカズラ、ギンネムなどに混じり、ここにもいくつものアダンの木が紛れていたことに今さら気づいた。
アダンは砂浜だろうが岩場だろうが、場所を選ばず根を張ることのできる生命力の強い植物。ここでもパイナップルに似た果実を結び、ちょうど完熟の頃合らしい。どうりで昨夜も甘ったるい匂いが鼻についたわけだ。
若者たちは車座になった。
おかまいなく、ふたたび酒宴をはじめる。
そのころにはサキ子の機嫌もいくらかは晴れていた。というのも、手作りの料理を男どもに褒めてもらえたからだ。
豚バラ肉とひじき、ニンジンなどの具材と、豚肉のゆで汁、昆布の出汁で作った炊き込みご飯のおにぎりをペロリと平らげてくれたのを皮切りに、豚の角煮は、箸が止まらなくなる自慢の一品だった。千切りにした昆布を炒め、豚肉やカマボコなどを秘伝の出汁で煮込んだ郷土料理、クーブイリチーの味も絶賛された。
本来クーブイリチーはハレの日に振る舞われるのが一般的だったが、若者にとって殯であるケガレさえも境界線はあってないようなものだった。
「うめーな、このジューシーのおにぎり。いくらでも入るぜ」あぐらをかいた夏雄はパクつき、泡盛をストレートで流し込む。ガジュマルの大木の方に向き直り、「悪りーな、隆盛。おまえの霊魂を慰めにきたのに、晩飯の方にいっちゃってよ!」
と、大きな声で言った。広場の向こうの筵の塊は、ぼうっと月明かりに浮かび上がっている。
「さっちゃん、漁港で魚さばく仕事なんかしてないで、沖縄で料理屋出せよ。きっと人気出るよ」
充も、トロトロになるまで煮込まれた豚バラの角煮を頬張った。泡盛で味付けしているためか、かすかにカラメルに似た甘い味付けで、喉に滑り落ちたあとも余韻を残す。
「おめえはアレだな。男は胃袋でつかめってタイプの女だな」
「なにさ、あやめみたいに唄えないからって、飯食わせるのが本分じゃないから!」
「でも、サキ子の料理、才能ある。すごくおいしい」
あやめも舌鼓を打ちながら笑い、時折水割りで喉を潤し、思い出したように三線を演奏する。
三線は音を出す胴にはニシキヘビの皮が使われている。胴から棹の先に向けて3本の弦を張り渡し、奏者の指につけた爪のような義甲で弦を弾き鳴らすのだ。単音でメロディ部分を演奏する。本土の三味線は、しゃもじに似た撥を使うのが異なる点だ。
あやめも、酔いが回ってきたようだ。
横座りの姿勢で弦を鳴らし、しっとりと葬送歌を口ずさむ。
3人は陶然たる顔つきで眼をつぶり、耳を欹てた。
トゥシアマイ、ナイビタン(年が余りました)
ティラバンタ、ウュキティ(ティラバンタにきました)
シッチ、ハタバルヤ(干潟は)
ナミヌシュル、タチュル(波が立つ)
ナミヤ、ハタバルヤ(波の干潟は)
ヒブイ、タチュサ(煙が立つ)
ニルヤリューチュ、ウシュキティ(ニルヤリューチュにきて)
ハナヤリューチュ、ウシュキティ(ハナヤリューチュにきて)
フガニジャク、ハミヤビラ(金盃をいただこう)
ナンジャジャク、ティリヤビラ(銀盃をいただこう)
◆◆◆◆◆
「あたしだって鈍くない」サキ子はあやめの葬送歌を聴き終え、友の冥福を祈ったあと、やおら口を開いた。「あんたたちが、あやめに惹かれてるってのは知ってる。隆盛が死んだってのに、これ幸いに後釜を狙おうって魂胆、見え見え」
サキ子はグラスを手にしたまま、酔いにまかせてまくし立てた。
当てつけるようにあやめの横顔をにらむ。
そんなあやめは薄目を開け、下を向いた。もう昨日のように反論すらしない。浴衣姿で横座りし、裾から形よいふくらはぎがむき出しになっている。仕草さえも煽情的である。
「美しすぎるってのは罪だね。あーちゃん、おれが守ってあげる」
「よせよ、あやめちゃんをからかうのは」と、充はメガネを正しながら、夏雄に向かって甲高い声をあげた。「隆盛が亡くなったあとなのに、そんなわけないだろ。心外だ。おれは、そんなつもりじゃない」
「いいなあ、あたしも恋人、欲しい」と、サキ子は片膝を立て、頬杖ついたまま空を見上げた。星が瞬いていた。「あんたたちみたいなイモ男じゃなく、内地の、それも都会的なオトコが」
「都会的? おれだって去年まで東京で揉まれたんだぜ」
充が軽く肘鉄砲をサキ子に食らわせる。
確かにこの色白の青年は、東京で3年ばかり会社員勤めをしたが、ホームシックになり、結局津堅島に帰ってきたのだった。今は島に唯一ある郵便局に、コネを使って入り込んだ。
「怖い怖い怖い。誰がサキ子なんかに手ぇ、出すかって。尻に敷かれ、ぐうの音も出ないほどペシャンコにされるのがオチだな」
「言えてる」と、あやめが三線を抱いたまま賛同した。「サキ子、きつすぎるから」
「頭に来る。あんたまで乗っかって!」と、サキ子は地面の芝を引きちぎり、あやめに向かって投げつけた。あやめは嬌声をあげて、手で払いのける。「……おあいにくさま。あたしがきついのは生まれつき。百歩譲って恋人は先でもいいや。なら、せめて犬か猫でも飼いたい。島の夜は寂しいもん」
「なーにもない島だからな。特産物でも作らないと、こんな吹けば飛ぶような小島、世間から忘れ去られちまう。いっそのこと、島中ニンジンでも植えて、名産地にしちゃえばいいんじゃないか?」
と、充。
「犬だと?」と、夏雄がグラスを口につけたまま言った。「おめえ、知らねえのか? 島じゃ、昔から犬を飼うのはダメなんだとよ。津堅島のタブーに触れるべきじゃあない」
「なんでダメなのさ? 誰が決めたの」
「どうせ偉大な先人、喜舎場子でしょ」あやめが笑いながら夏雄に向かって言った。喜舎場子は津堅島では知らぬ者はいない。かつて、沖縄本島から津堅島に渡り、島民が豊かに暮らせるよう尽力した人物である。喜舎場子の死後、島民は彼を祖神として祀っているほどなのだ。「そんなの初耳。犬か猫くらいいいでしょうに」
「あーちゃん、おれは冗談言ってるんじゃない」と、夏雄は手のひらを広げて、しかつめらしく言った。げっぷを洩らす。「とにかく犬はダメなんだってさ。おれん家のじいさまが言ってた。言い付けを守らないと、村八分にされるって脅されたぜ」
「犬がダメ? 長崎の青島や奄美の与論島、お隣の久高島でもそう言うよな。なんでだ?」
充はメガネの奥の眼を細めた。