2.淫らな行進のカリカチュア
死んだ者は、いくら魂呼ばいをしたところで息を吹き返さない。
生前から厭世主義の隆盛だった。10年前、守備隊に志願した父を戦闘機の機銃掃射で亡くし、諦観が彼の人格形成に暗い影を落としたのかもしれない。
追い込み漁の最中に誤って海に落ちた不運はあったとはいえ、こうもあっけなく24の青年が命を落とすのか。生きることに稀薄だったからこそ、死の崖っぷちで踏みとどまることができなかったのではないか。
あやめは恋人の魂を慰めるため、三線を弾いた。
美声を唇に乗せる。
まるで潮風のようなさわやかなシマ唄である。祖母仕込みの演奏と歌唱力であった。聴く人の心の傷を癒すような優しさにあふれている。
暗さが増すにつれ、宴は盛り上がっていった。
三線と唄に手拍子を取ったり、ふらつく脚で踊り出す者まで現れた。夏雄と充が両手をあげ、身体をくねらせる。サキ子は手を叩いて男どもを囃し立てる。
月の光が4人を浮かび上がらせた。後生山に、三線の素朴な音色と、あやめの唄が切々と響きわたる。沖縄特有の独特なこぶしを突吟という。
いつしか男たちは大の字になって寝込み、あやめも唄い疲れてうなだれていた。酒に強いさすがのサキ子も、ぐったりしていた。
「そろそろ、帰るよ、あんたたち。こんなところで寝てたら風邪、ひいちゃう」
と、サキ子は虚ろな眼で夏雄と充に向かって言った。
「……どうせ殯は続くんだしな。今夜はこれにてお開きってことに」
夏雄は半身を起こし、薄い頭をセットし直しながら答えた。盛大なあくびをする。
4人はのろのろと片付けをしはじめた。時間をかけ、身支度を整える。
ガジュマルの大木の方を向いて合掌し、お互い身体を支え合いながら広場をあとにした。
根元には筵にくるまれた友の遺体だけが取り残された。
◆◆◆◆◆
翌日。隆盛の死後4日目だった。
夕方になると、今度はあやめを先頭に、夏雄、サキ子、充の縦列に並び、死んだ友を偲びながら畑の真ん中の畦道を練り歩く。
萌黄色の浴衣姿を着こなしたあやめは、三線で弾き語りをした。昨日と同じく、髪にハイビスカスの花を挿している。
シマ唄を口ずさんでいる。
うしろを歩く3人は腕を広げ、身体をくねらせた。
ただし今日はすぐ後生山をめざすのではなく、趣向を凝らし、島の北側にある月夜のヤジリ浜を散歩した。
ヤジリ浜は長さ200メートルほどの白い砂浜が続いており、地元では恰好の散歩コースだった。
海は遠浅で、浜に穏やかな波が寄せては返している。
すぐそばに、アフ岩の黒いシルエットが見える。岩と言いながら立派な無人島である。
それ以外になにもなく、静けさだけが取り柄の浜だった。
「あーちゃんの唄は、うっとりさせられるなあ! あっ、それそーれっ!」
夏雄は褒めながらも、前を歩くあやめの尻に見とれていた。腰のくびれなど、まるでアシナガバチのよう。夏雄は欲情しているのを誤魔化すため、指笛を吹き鳴らし、半ばやけっぱちに踊った。
「そらそうよ。あやめちゃんの唄声は島の希望の光!」
充がサキ子を追い越し、夏雄と並び、カチャーシーを舞って競い合う。
こぶしを握り、肘から先を高く上げ、しなやかに左右に大きく振る沖縄特有の踊りである。カチャーシーとは『かき混ぜる』の意であり、唄や踊りに島人の喜怒哀楽をかき混ぜ、即興の歌舞に興ずることに由来するという。
「ちょっとぉ!」と、サキ子が両手で二人のジーンズの尻ポケットをつかんだ。二人とも戦後、GHQが放出した古着を履いていた。演奏に夢中になるあやめに近づけさせまいと妨害する。「殯の最中でしょ、隆盛の。なに二人で競い合ってんのさ!」
「隆盛は死んじまった。だったらよ、おれたちがあーちゃんを慰めなきゃ!」
「そうさ! あやめちゃん、元気出せよ!」
当のあやめは三線をかき鳴らし、シマ唄を口ずさむのに没頭し、外野の声は耳に入らない。
「信じらんない」サキ子は腕組みし、唇を尖らせた。「夏雄の奴なんか、あそこ、膨らませちゃってるじゃないのさ! いやらしい!」
◆◆◆◆◆
陸側にはアダンの木がずらりと並んでいた。タコノキ属の常緑小高木で、海岸沿いは群落と化しているのだ。
長いあいだ浜風に当てられたせいか、斜めに傾いだ木ばかりだ。特徴的な長い気根が伸び、タコノキ科だけに文字どおりタコの足を思わせた。
ちょうど果実の季節らしく、パイナップルに似たオレンジ色の実をつけ、熟れた香りを放っていた。潮風に運ばれ、砂浜一帯に漂う。
アダンの実は球状の楕円形で、50から90個もの核果が集まった集合果である。大きいものは大人の頭ほどある。核果がこぼれ、熟れすぎた実はむせ返るような甘い芳香を放つ。
完熟すれば食べられないこともないが、タケノコと同じくシュウ酸塩を含んでいるため、生で食べるとえぐ味があり、おまけに繊維質が多すぎて美味とは言い難い。よほど飢えに悩まされないかぎり、好んで口にする島民は稀だった。
暗いヤジリ浜には若者4人だけ。
そもそも他の島民は海に出て漁をするか、畑仕事をして生計を立てなければいけない。戦後10年経ち、都心部は高度成長期の幕開けに沸いた年だった。見放された南国の離島と言えど、のんびり遊んでいる暇はないのだ。その点、若者たちは暢気なものだった。
あやめが弾き語りをし、夏雄、サキ子、充が続く。
すでに3人は泡盛を引っかけていた。ほろ酔い気分であやめを追う。
そのうち、オカヤドカリが群れる地点にさしかかった。
大小さまざまの貝殻におさまり、白い砂浜から陸地のアダンの木めざして進んでいる。おびただしい数であった。足の踏み場もない。
あやめは唄いながら、サンダル履きの足でヤドカリを蹴飛ばし、道を作る。
夏雄たちもそれにならった。指笛を鳴らしながら大きな殻の甲殻類を邪険にした。
しょせんヤドカリは、臆病な生物にすぎない。
少しでも音を立てたり、人の気配に気付けば、殻の中に閉じこもるか、トコトコ逃げていく。決して人間に歯向かってはこない。
ギチギチギチギチ、ギュイギュイギュイ、ギチギチギチギチ……。
よく観察すれば、小さなヤドカリに、ひと回り身体の大きいヤドカリが覆いかぶさるようにして挑んでいる姿が見られた。
どうやら交尾を迫ろうとしているらしい。
オスは脚の付け根にある生殖突起を伸ばし、これもメスの脚の付け根にある生殖孔に精包を付着させようとしているのだ。
やたらと一匹のメスに、複数のオスが競い合うように挑んでいるカップルさえある。
その光景を見て、夏雄は鼻を鳴らした。
この淫らな行進をカリカチュアされたようで、ヤドカリどもの恋など癪に障る。
揉み合いになっているヤドカリを蹴飛ばした。
ヤドカリは散り散りに転がっていく。
なおも青年たちはサキ子をそっちのけにし、あやめの背後からモーションをかける。
あやめの唄に指笛で応え、やたらと容姿を褒めちぎる。
いつしか行進から離されたサキ子は、不機嫌そうに頬を膨らませた。
恋に夢中になるオカヤドカリのカップルに八つ当たりした。