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1.友の遺体と酒宴

 ギチギチギチギチ、ギュイギュイギュイ、ギチギチギチギチ……。


 内地ないちのヤドカリは海中で棲息するのに対し、沖縄をはじめとする南西諸島のオカヤドカリは、幼少こそ海ですごすが、やがて成長するとその名の通り陸上生活をするようになる。しかも夜光貝ほどの巻貝や、アフリカマイマイのそれに潜り込んで適応する大型甲殻類である。


 後生グソー山にまで我が物顔でのさばっているのだから、4人の若者は歩くにしたがい、うんざりさせられた。

 常緑広葉樹と低木が密集する中を藪漕やぶこぎすると、出るわでるわ。

 そこかしこにオカヤドカリが群れている。


 ギチギチギチギチ、ギュイギュイギュイ、ギチギチギチギチ……。


 大型のヤドカリは前肢で巻貝の内側をこすり、独特の音を出す。

 あたかもヤドカリ自身が鳴いているかのようだ。

 若者たちはおかまいなしにそれを蹴飛ばして、道を開けた。


 小高い山を上っている最中だった。いや、山と呼ぶにはいささか低すぎる。傾斜のついた藪にすぎない。津堅島つけんじまは標高わずか40メートル足らずしかないのだ。

 夏が終わりを告げ、爽やかな秋風の吹き抜けるさなかとはいえ、こうもオカヤドカリが多いと閉口せずにはいられない。


 4人の男女は、それぞれ酒の一升瓶やらグラスや皿、さかなの入った紙袋やらを手にしていた。

 最後尾をのろのろと歩く娘がいた。

 田舎の島民にしては洗練され、見目麗しいその佇まい。髪にハイビスカスの花を挿し、三線さんしんを大事そうに抱えている。沖縄や奄美で広く親しまれる弦楽器だ。本土における三味線のルーツでもある。


◆◆◆◆◆


 津堅島は沖縄県うるま市与勝(よかつ)半島の沖に浮かぶ孤島だった。面積はわずか1.88キロ平方メートル、周囲7キロと小さい。島民にとって、世界は狭すぎた。

 時は戦後の記憶が生々しく残る1955年のこと。終戦から10年経った今でも、島のあちこちに砲弾による傷痕が残っていた。


 というのも、沖縄本島上陸を阻止すべく、防波堤として1941年に陣地が築かれた。新川しんかわ・クボウグスク周辺の陣地壕群(ごうぐん)である。司令部が設置された壕は、戦時にはアメリカ軍の恰好の標的となってしまったのだ。


 守備隊には津堅島の若者たちが誇らしく従事。

 当時、少年少女だった4人は、部隊が壊滅していくさまを目の当たりにし、言葉もなく立ち尽くしたものだ。島は見るも無残に戦禍で引き裂かれた。アメリカ軍の艦砲射撃や戦闘機による爆弾で、徹底的に叩きのめされたのだ。

 敗戦の記憶がいまだ生々しくとどめる昭和30年のことである。――当時幼かった彼らは今、青春の時を迎えていた。




 ほどなく、目的地に着いた。

 藪の中に、ぽっかりと楕円形の広場があった。広っぱの向こうにはガジュマルの大木がそそり立ち、根元にはむしろにくるまれた物体が横たえられている。筵とはワラで編んだ簡易的な敷物である。まるで沖縄のちまき(ムーチー)を思わせた。

 その端から、男のものと思われる骨太の両足が露出している。およそ死後しばらく経っているかのごとき、青白い色をしていた。


「どうだ、隆盛たかもりの奴、腐敗は進んでるか?」


 と、 夏雄なつおは臆することなく口にした。漁師をしているだけに逞しい身体つきの青年で、まだ24だというのに、若禿わかはげの兆しが頭頂部に現れている。


「臭いはしないね、まだ」


 サキ子が鼻をくんくんさせながら答える。異臭はしない。代わりに、熟れすぎた果実の甘ったるい匂いがあたりに立ち込めているのは、どういうわけか。

 サキ子はいかにも気性の激しそうな顔立ちをしていた。骨ばって華奢な身体つきだが、きびきびと動き、エネルギッシュな娘だった。


「よしてったら。あんたら、親友だったじゃない。失礼でしょが」


 三線を抱いた浴衣姿の宮城みやぎ あやめの声に怒気が含まれる。長い髪を後ろで束ね、身体のラインは優美で、所作もたおややかだ。ふだん二重瞼をしたアーモンド型の目元は泣き腫らし、疲れた様子を隠しきれない。髪に挿したハイビスカスの赤い花がよく似合っている。


「あやめにとっちゃ、隆盛はいい人(、、、)だったよねえ。悲しいけど、もう過去形」と、サキ子があやめを見ながら厭味ったらしくズケズケと言った。「どう――ちょっとは気持ち、落ち着いた? 亡くなった人はどうあっても帰ってこないんだし、吹っ切るしかないのに」


「簡単に忘れられるわけ、ないでしょ。部屋の電球切るみたいに」


 あやめは相手をにらみつけた。


「だったらよ」と、夏雄は広場のど真ん中で大きな声を出した。一升瓶を芝の上にどすんと置き、その場であぐらをかく。膝をパシンと打った。「あいつんの屋根にのぼって魂呼ばい(タマスアビー)でもすっか!」


「そんなの迷信さ」と、みつるが笑った。南国の離島生まれにしては、メガネをかけた色白の青年だった。「ま――せっかくのもがりの夜だ。ケンカはよそうや。あいつの魂だって浮かばれない」


「そ。今は殯に集中しよう」


「よっしゃ、そうと決まれば、うたげのはじまりだ!」


 夏雄の合図で、みんなは車座になった。幸いこの広場にはオカヤドカリは入り込んでいない。

 グラスが配られ、夏雄が泡盛あわもりを注ぐ。

 6年ものの古酒クース

 肴はミミガーのジャーキーをはじめ、島らっきょう、つけもずく、コマ貝の煮物、豚のホルモン炒めだった。


 皿に盛られ、男たちは我先に箸をつける。

 娘たちは遠慮がちにグラスを傾けた。水割りにし、シークヮーサーを搾ったものだ。

 黒麹くろこうじで造られた酒は、芳醇な香りとふくよかな味わいである。ただし30度と度数は高いため、ピッチが速いとたちまち酔い潰れるだろう。夏雄だけがストレートでやった。


 日もすっかり暮れた。

 広場の頭上には空をさえぎる樹冠もないため、月明かりだけが光源だった。

 宴のはじめこそ、みんなあぶなっかしい手つきでグラスをつかみ、ツマミを手探りしたが、しだいに夜目よめに慣れていった。


 広場の中央で、若者たちは珍味を口にし、酒で流し込み、時間とともに出来上がって(、、、、、、)いく。

 やや離れたガジュマルの根元に横たえられた同級生の遺体。

 宴のさなか、酔った勢いで若者たちは、代わる代わる筵のそばに足を運ぶ。

 かたわらにしゃがみ、遺体に話しかける。――まるで生前の隆盛と言葉を交わすのと同じく。

 死体が怖いものか。どうせ友だちのそれである。これこそが津堅島の弔い方だった。


 あやめは、ようやく沈んだ心から落ち着きを取り戻しつつあった。

 どうせ人は遅かれ早かれ、どんな形であれいずれ死ぬ。恋人の早すぎる報せを聞かされた直後は、現実を受け止めきれなかった。それが3日前のことだった。その晩は隆盛の母とともに、棺桶のそばで夜伽よとぎをし、一夜をかけて決別した。

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