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タロッケス・ヤダム

 はたして、そこは牧場だった。小屋と畜舎と囲いがあり、柵の中に動物がいた。鳴き声や動作やサイズはぼくらの世界の『牛』にそっくりだ。しかし、何か細部が違う。顔が牛より少し馬っぽく見えるし、鳴き声がやや羊っぽく聞こえる。といって、ぼくは動物学者でも獣医でもないが。


 とにかく、このサイズの家畜を飼育し、このクラスの小屋に住むヒューマノイドは十メートルの巨人ではない。一メートルから二メートルの知的生命体だ。ならば、同等のヒューマノイドのたろすけさんの対処レベルにぎりぎり収まる。狼男やケンタウロスみたいな獣人でなければ。


 空想は物音で途切れた。小屋の扉がばたんと開いて、小さな人影が飛び出てきた。それはドワーフやゴブリンでなく、普通の人間の子供だった。


 ぼくはチャリのベルをちりんと鳴らして、おーいと呼びかけた。坊主は軒先でびくっと立ち止まったが、シンプルな好奇心でこちらにやって来た。


「ハロー、こんにちは、ボンジュール。きみは日本語を話せますか?」


 少年の第一声は「あー」で、第二声は「うー」だった。たしかに彼の顔形は日本人的ではなかった。はっきりした目鼻立ちは東洋より西洋系、アジアよりヨーロッパ風に見えた。

 

 この異邦の少年はぼくとゼロ丸を見比べて、数句の言葉をつぶやいた。その発音は英語やフランス語やドイツ語やスペイン語でなかった。しかし、表情と素振りから「これは何ですか?」だった。


「バイク、チャリ、ジテンシャ、バイク、チャリ、ジテンシャ」


 ぼくはゼロ丸を指さして、この三つの単語を繰り返した。現地の少年の感性には二番目の『チャリ』がしっくり来たか、小さな口が舌足らずに「チャリ! チャリ!」と叫んだ。そして、彼の注意はチャリから乗り手に移った。


「タロスケ、タロスケ、ヤマダ、タロスケ、ヤマダ」


 ぼくはおのれの顔を指しながら、保育園の先生のようにはっきりと発音した。


「ヤームダー、ター、タロッケ?」


 少年は舌足らずに復唱した。


「た! ろ! す! け! まあ、ペンネームだけどさ」


「ペネーム、ダ、ケドーサ?」


「スペインの貴族か」


 数セットの片言のラリーが効を奏し、両名の自己紹介がつつがなく終わった。ぼくが『タロッケス・ヤダム』で、あちらが『ケム』だった。


 ケムくんはタロッケスよりチャリに興味津々で、ゼロ丸の足元にまとわりついて、ぎざぎざのギアやぴかぴかのフレームを熱心に見入った。ぼくは不意にベルを鳴らして、彼をびっくりさせた。それから、少年のお気に入りはこの『チリンチリン』になった。


 にぎやかな交流の最中、小屋の戸口から新手が現れた。はっきりした目鼻立ちがケムにそっくりだった。背丈はぼくより少し小柄だが、体格は骨太で筋肉質、腕の毛深さと太さがとくに際立つ。髭と髪は暗い赤毛だ。顔形はアジア系やポリネシア系ではない。服装はシンプルで質素だが、おそらくハンドメイドの一点もので、百パーセントの天然素材だ。

 

 こちらの親父さんはちりんちりんに全く反応せず、逆にしかめっ面をして、低い声でもごもご言った。ケム少年はチャリから離れて、いかつい大人の陰に隠れた。


 先手必勝だ。ぼくはリュックからチョコのアソートを何個か取り出した。まず、「チョコ」と言って、一粒を実際に食べてみせて、のこりを二人にプレゼントした。親父さんは鹿の糞みたいな贈り物に当惑したが、少年は子供の単純さですぐにパクついた。

 

 このときのケムの顔は必見だった。禁断の果実を口にした男女はこんなだったか。親父さんは息子ほどに大胆でなく、黒い粒をちょっぴり齧って、しばし茫然と佇んだ。一つ目を食い終わったケムがそれを狙って、「チョコ! チョコ!」と叫んだ。かの有名な「ぎぶみーちょこれーと」がこの地で再現された。


 これで場は和んだ。親父さんはいかつい表情を崩さなかったが、ぼくのジェスチャーに応じて、一杯の飲み物をくれた。牛らしきものの乳らしき白い汁はおそらく牛乳だった。非常に濃厚な生ぬるい液体で口の中がほのかにチョコミルクになった。


 この後、ほぼ牛の名前が『バス』で、ほぼ牛乳が『パン』で、さようならが『クル』だと判明した。つまり、『パン』屋で牛乳を買って、店から出るときには『クル』と挨拶して、もーもー鳴く『バス』でのろのろ帰るのがこの地の流儀である。こういう同音異義語は非常に厄介だ。


 ぼくは親切な親子に「クル!」と言って、牧場を後にした。

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