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ビドネスにて

 旅路は天気に恵まれた。二十キロ、四十五キロ、四十キロの三泊四日でぼくらはサドラン市へ到着した。


 ビドネスの首都はナグジェと同様の大都会だった。ゆえに道路状況と交通事情もそっくりだった。舗装は石畳だったし、木製ホイールのチャリはドリルのように揺れ、奥歯はがたがたした。サドランの人々の反応も同じだった。驚異と感嘆の「うぉー!」や「あっ!」が通りのあちらこちらから聞こえた。快感である。


 タロッケス・ヤダムはナグジェ市では八区とねんごろになったが、サドラン市では中央区と親密になった。ぼくの立場はレデル工房のエージェント兼ナグジェ自転車協会会長という大層なものだった。ビザは商用である。商工会の手先という声がどこからか聞こえた。


 このエージェントは補佐くんの手引きでサドラン市中央区の商工会に赴き、なんやかんやの紹介や会談や手続きを経て、宿と倉庫を確保した。


 四日の旅を共にした小隊は積み荷を市場の脇のトランクルームみたいなところに詰め込んだ後につつがなく解散した。シャイな荷物係は餞別を受け取って、ついにレンタサイクルを承諾し、ペダル付きチャリに挑戦したが、一撃で横倒しに倒れて、照れ笑いしながら去っていった。


「やはり、展示会と試乗会は大事ですね。乗り方を知らない人はじきに諦めてしまう」


 補佐くんは冷静に呟いた。


「そうさ、誰も直感的にはこれに乗れない。バランスを取る、ペダルを漕ぐ、ハンドルを切る、身体はこの三つの動作を一遍にこなせない。あとは恐怖心と恥ずかしさだな。人前でぼてぼてこけるのは格好良くない。それが上達を邪魔する」


 ぼくはしたり顔で言った。


「この人は自転車にはほんとに真摯だ」


 補佐くんは唸った。


「会長を舐めるなよ。商品の輸出は大前提だが、乗り方の輸出も不可欠だ。使えないチャリはただのお飾りになってしまう。それは道具の美学にもとる。走ってなんぼだ」


「案内書を書きます? ぼくが訳しますよ」


 補佐くんが空想のペンを走らせた。


「庶民がそれを読めるか? まあ、最初のお客は貴族や金持ちの旦那さんばかりだけどな。そういう人はこれを日頃の足に使おうとはしない。でも、ぜいたく品は時代を経ると安くなって、一般市民のものになる。この世界の本とかがそうだな」


「たしかに本はだいぶ安くなりました。おかげで農家の小倅のぼくが読み書きを習えて、町で働ける。しかし、あなたはたまに別世界の人のように話しますよね?」


 補佐くんはじろりとにらんだ。


「ぼくの故郷はリャンダより遠い場所だ。そういえば、きみの実家はどこだ?」


 ぼくはうまく切り返した。


「ここから馬車で一日くらいの田舎です」


「顔を出さんの?」


「補佐が隊長を置き去りにして、自分の用事を優先できます?」


「ごもっとも。今はお仕事の時間だ。大量の予約を取って、うちの社長を困らせてやろう」


 ぼくは多忙な社長の姿を思い浮かべた。


「もう時の人ですよ、レデルさんは。あそこは地味な工房だったのに、一夜でがらっと変わりましたよね」


「時代の流れというやつだな。天国の親父さんが浮かばれる。きみもお父さんを大事にしろよ」


「じじくさいですよ、ヤダムさん。そもそも、三年で人はそんなに変わりませんよ」


 若者は若者らしく年長の忠告を軽んじた。ぼくはふと思った


「ん、お父さんはいくつだっけ?」


「うちの親父ですか? えー、三十八・・・三十九だったかな?」


「ひゃー! わしより年下だ!」


 ぼくはたじろいだ。


「そうですよ。だから、ぼくはあなたに感心します。そんな年でひょいと身軽に未知の冒険へ挑戦できるヤダムさんは商人の鑑ですよ!」


「ヤダムさんは物書きだが?」


 フリーライターの文芸主義の信念はそう反論したが、サドランでの執筆活動はさっぱり捗らず、試乗会と展示会が大いに成功した。やはり、金持ちや貴族や道楽者が好意的だった。実際、せっかちな旦那にせがまれて、ぼくは一台の試乗車の売却に応じた。現地での二十ポンドの現金収入は若社長には秘密だった。


 ぼくらは当地の市況レポートと最初の受注票を作成して、ナグジェの本社に郵送した。これは文芸ではなかったが、文字の仕事ではあった。筆ペンの取り扱いは大変だ。ぼくはベアリングとボールペンの試作品をしつこく促して、ベイン宛ての手紙を綴じた。

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