海の向こうへ
「ヤダムさん、港が見えますよ。もう少しですよ」
ぼくは揺り動かされて、死人のように起き上がった。頭がずきずき痛んだが、ここはボーンシェイカーの上でなかった。船だ、海路だ、船酔いだ!
舳先には島の影が白くきらきら輝いた。かの地が名高いビドネス王国だった。
「一思いに海に投げ込んでくれ・・・」
「それはダメです。海が汚れる。海の神の天罰が下ります」
「わしは汚物やないぞ・・・ほいで、海の神の罰は天罰やなくて『海罰』やないか・・・」
「そういう小さな言葉の綾にいちいち拘るのはほんとにあなたの悪い癖ですよ。ほらほら、元気を出して」
付き添いの辛辣な若者はぼくの背中をさすった。彼はナグジェ市八区の商工会の見習いの子で、ビドネス出身で、ぼくの通訳兼補佐だった。口の悪さはたまにきずだが、そのほかの仕事ぶりは非常に優秀だ。ぼくは愛情をこめて、彼を補佐くんと呼ぶ。
ナグジェからサロロ川経由で港町への川下りが三日、そこからの海峡横断が半日、ぼくの三半規管はとうに限界を越え、胃袋が反転して、さらに反転した。
まもなく、船が港に入った。風光明媚な海辺の街が紫色に見えた。重症である。
ぼくは真っ先に陸地に降りて、波止場のベンチに縋り付き、干物みたいにころんと横たわった。不動の大地のありがたさが身と胃に染みた。
「隊長がそんなでどうします? 舐められますよ?」
補佐くんの辛辣な台詞が頭の上で聞こえた。
「舐められる? ぺろぺろと、飴のように舐められる?」
「ああ、この人は狂ってしまった!」
「このタロッケスさんを自転車以外の乗り物に乗せるからだ。きみらはいつもそうだ。大丈夫ですよ、すぐですよ、と根拠なくそそのかす。まやかしだ。ぼくは帰りには泳いで帰る。そうする」
ぼくは精一杯の口答えをして、椅子の背もたれに寄りかかり、みぞおちを撫でまわした。
「あのレースであんなに頑張った人とは思えないな」
補佐くんはぶつぶつ言った。
「自転車は別腹だ。さて、問題です。船で酔う男が船の上で自転車に乗ると酔うか? 酔わないか? そして、それは船酔いか自転車酔いか?」
「ここからサドランまでどうします? 河上りの船がありますよ」
「陸」
休憩後、タロッケス小隊がケーリックの町中に出現した。編成は隊長、補佐、二頭立ての荷馬車、荷物係の少数精鋭で、積み荷は三台のドライジーネ、三台のチャリ、予備パーツ、商談用の試供品、郵便物、書類、食料、調理器具、着替え、お土産などだった。
出発時、三台のペダル付きのチャリの内の一台がぼくの股下にあてがわれた。この数か月の試行錯誤と改良で何とロッドブレーキが搭載された! 下り坂はもう敵ではない。
ゼロ丸は補佐くんのケツの下に滑り込んだ。この一時的なレンタサイクルは隊長のやさしさであり、無礼講な補佐くんの強い要望だった。そう、これが陸路の条件だった。
ぼくは第二世代レデル製自転車をビドネスの石畳の街道に転がした。骨のぐらぐら加減、奥歯のがたがた具合はナグジェの道路とほぼ同じだった。チャリのさらなる進歩にはゴムの木の発見が必須だ。
この手掛かりを持つ人物がいる。先日のレースの優勝者だ。ザザ殿は大陸の南側からはるばるやって来たと言った。個人的にインドやアラブのようなイメージが浮かび、ゴムの木の樹液の生臭い匂いがふんわりと漂ったように思えた。もし、彼とリーンで再会できるなら、その真相を尋ねようと思う。
「賛成です。このタイヤというものはほんとにすばらしい乗り心地です。もうそのかちかちの木の車輪には戻れない」
補佐くんはフロントタイヤをにぎにぎした。
「そう、チャリはゴムタイヤと空気入りチューブで完全になる。皮バンドや布テープではその柔らかな乗り心地は生まれない」
「全くです。早くあの方を見つけて、リャンダへ出発しましょう。きっとぼくらは大金持ちになれる!」
「完璧な計画だ。いざ、リャンダへ!」
二人のライダーは丁々発止だったが、御者と護衛はあきれ顔だった。かように空気入りゴムタイヤの必要性は部外者にはなかなか伝わらない。ボンシェイカーとゼロ丸の乗り心地は歴然だが、一般人はこの二台のバイクを乗り比べられない。選ばれしものは現時点で四人だ。補佐くんはその内の一人である。ちなみに、寡黙な荷物係はレンタサイクルの提供を「恥ずかしい」と頑なに拒否した。
この奇妙な小隊は好奇の視線を浴びながら、荷馬車のペースに歩調を合わせて、時速五キロメートルほどでとろとろ進んだ。




