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メイド・イン・ナグジェ

 数日の秋雨の後で季節が少し進んで、空気が冬の気配を見せ始めた。朝晩の気温はゆうに一桁だ。寝床から出るのが一苦労だ。自転車では手先と足先が異常に冷える。毛皮の手袋か厚手の靴下か、それが問題だ。両方を買う余裕はない。ナグジェの一般的な服飾類はハンドメイドの天然素材で、非常に重厚で高価である。


 冬物の入手を躊躇して一張羅の春物の薄手のジャケットで粘ったからか、このアラフォーのおっさんのボディは見事に風邪でダウンしてしまった。初の病欠だ。なぜか神主さんが異常に張り切って、大量のハーブ入りのホットワインをくれた。


「なんでホットミルクでないの?! 温かいキツネウドンとは言わないが、カボチャのスープかオートミールのポリッジをくれよ!」

 

 と、そんな軽口は熱っぽい舌から出ず、がらがらの喉は大人しく香草入り葡萄酒の熱燗をすすった。


 この病欠のせいでレデル工房への定期的な訪問はすこし間延びした。直前の数回の視察ではナグジェ製バイクの進捗はやや不安だった。店の営業日にはベインは工房への立ち入りを嫌ったし、定休日には制作の実態を見せなかった。現場にはバイクらしいもののシルエットは現れず、個々のパーツや図面の殴り書きばかりが目立った。不穏である。


 そんな直前の光景と病み上がりのコンディションでメンタルはかなり落ち込んだ。十日ぶりの八区への足取りは自然と重くなった。


 その日は週の半ばの平日で、レデル工房は営業日だった。しかし、建物はひっそりと不人気で、臨時休業の札が見えた。嫌な予感で胸がざわついた。


 ぼくは軒下の作業場から奥を眺めて、店と工房の勝手口をこんこんと叩いた。沈黙である。不穏な空気を察知したゼロ丸くんがベルをじゃりんじゃりんと盛大にかき鳴らした。ようやく屋内で気配が動いて、足音が戸口に迫って、扉がぎいと開いた。


「おまえはだれだ?」


 ぼくは面食らって、咄嗟にうめいた。


「お、タロさんだ。なんか痩せた?」


 その髭面の男は目をこすりながら、ぼそぼそ声で言った。たしかにそれはベインだった。しかし、毎度のこじゃれた優男の風情がなかった。


「風邪を引いてね。しかし、きみも痩せたな?」


 ぼくは若者のやつれた頬を見ながら言った。


「そう? 飯を食ったのはいつだったかな? ふわぁ」


 ベインは生欠伸を連発して、ぼさぼさの髪と無精ひげを撫でつけた。


「食うか?」


 ぼくはお土産のりんごを差し出した。


「おお、頂きます」


 ベインくんはりんごを咥えながら、ぼくを室内に招いた。


「もしや、お仕事がお忙しい?」


 ぼくはたずねた。


「仕事? ああ、ぼちぼちですね。飛び入りの修理がいくつか重なって・・・」


 ベインは生返事でふにゃふにゃと応対して、生欠伸をかみ殺し、りんごを物凄い勢いでバリバリ食べた。

 

「もしや、お休みでしたか?」


「うーん、寝落ちしちゃった? 今は何時です?」


「昼過ぎだよ」


「あらら」


「徹夜した?」


「まあね」


 ベインは手拭いで顔をごしごし拭いて、こめかみをとんとん叩いた。


「で、大将、あれの具合はどうですか?」


 ぼくは鍛冶屋をおだてながら、工房の秘密の区画へ目を飛ばした。


「あれねえ・・・」


 ベインは真剣な渋い顔をしたが、すぐに頬を緩めて、くすくす笑い出した。


「なんだよ?」


「へっへっへっへ」


「おかしくなったか?」


「へっへっへっへ。見ます?」


「お! じゃ、できたのか?!」


「へっへっへっへ、お待たせいたしました」


 ベインはりんごの芯をごみ箱に投げ捨て、異様ににやにやしながら、軽やかなステップで工房の奥へ向かった。


 久方の作業現場は凄惨な有様だった。大量の木くずと鉄くずがあたりに散乱して、粒子が光の筋に怪しく渦巻いた。


「うお! 死ぬぞ、おまえは!」

 

 ぼくは目と喉に痛みを感じて、換気用の小窓を開け、ヤバい空気を外に逃がした。


「おお! 親父の顔が見えたのは夢じゃなかったか! タロさんは輪廻転生を信じますか?」


「きみは窓の前で深呼吸しなさい」


「おれは正気だよ。で、さあ、これだ!」


 ベインは大きなカバーで覆われた何かの前に来た。


「焦らすなよ」


 ぼくはもったいぶりに唸った。


「ふん、作家先生の台詞じゃありませんな? なべてお客さんの最初の反応こそは創作のだいごみではありませんかね?」


 ベインは気鋭のクリエイターらしく言って、悠然と腕組みをした。


「自信満々だな。開けるぞ?」


「はいはい」


 ぼくはシートをばっと取り払って、「おー!」と叫んだ。そこには鉄と木の英知の結晶、自転車の源流的な二輪車、伝統と信頼のドライジーネがあった。木製のスポーク、三角形のステー、革張りのサドル、船の錨みたいなハンドルはぼくの記憶の中の実機と一致する。ドライス男爵も文句を言うまい。

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